後亀山天皇 嵯峨小倉陵 (京都市右京区)  
Imperial mausoleum of Emperor Gokameyama
後亀山天皇 嵯峨小倉陵 後亀山天皇 嵯峨小倉陵
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「後亀山天皇嵯峨小倉陵参拝道」の石標






「後亀山天皇嵯峨小倉陵」の石標




五輪塔、周囲の小石塔




西に見える小倉山



【参照】近くの竹林
 嵯峨鳥居本小坂町の小倉山東麓に、登りの細い参道が御陵まで続き、嵯峨小倉陵(さがの-おぐらの-みささぎ)がある。
 かつてこの付近には、南朝最後の後亀山天皇が過ごした「小倉殿」が営まれていた。その後、陵が造営され葬られた。このため、小倉陵、また、旧福田寺跡に因み福田寺陵とも呼ばれた。
◆歴史年表 室町時代、1394年、2月、後亀山上皇(第99代・南朝第4代)は、この地の小倉山東麓、「小倉殿」に隠棲した。
 1424年、4月12日、後亀山法皇が亡くなる。この地の嵯峨小倉陵に葬られた。
 その後、小倉殿は浄土宗・福田寺(ふくでんじ/ふくだじ)に改められた。
 中世(鎌倉時代-室町時代)以降、福田寺は衰微する。
 江戸時代、1808年、福田寺陵に後亀山天皇陵があると記されている。(『山陵志』)
 1862年-1863年、文久の修陵では陵として修陵された。
 近代、1879年、陵名は福田寺陵より後亀山天皇嵯峨小倉陵に改められた。
 1882年、福田寺は大聖寺(上京区)に合併された。陵はこの地に残される。
◆後亀山天皇 南北朝時代の大覚寺統・第99代・南朝第4代(最後)・後亀山天皇(ごかめやま-てんのう、1350?-1424)。熙成(のりなり)。第97代・南朝第2代・後村上天皇の第2皇子。母は嘉喜門院(かきもんいん)藤原勝子(二条師基の猶子・後村上天皇の女御、阿野実為の娘とも)ともみられる。1383年末頃、同母兄・第98代天皇・南朝第3代・長慶天皇より皇位を継承したとみられている。南朝の行宮(あんぐう)にあった。当初は長慶上皇の院政が敷かれた。1392年、足利義満より南北朝合一の提案があり、大内義弘が仲介した。後亀山天皇は受諾し、神器は禁裏(北朝)に返還される。後亀山天皇は南朝皇位を退き、南朝の年号も廃された。第100代・北朝第6代・後小松天皇の一統が実現する。後亀山天皇側の条件として、1.南朝の正統性の承認、三種の神器が南朝から北朝に帰座する際には、後亀山天皇から後小松天皇に譲位の儀式をもって行う。2.皇位の両統迭立(りょうとう-ていりつ)、持明院統・後深草天皇の血統(北朝)、大覚寺統・亀山天皇の血統(南朝)の2皇統から交互に皇位に就く。3.諸国の国衙領(こくがりょう)のすべてを大覚寺統が管領する。4.諸国の長講堂領はすべて持統院統が管領するなどがあった。(南北朝合一)。天皇は、吉野の行宮より、橘寺、興福寺を経て大覚寺に入った。1394年、義満は太上(だいじょう)天皇の尊号を贈る。北朝廷臣らは、後亀山天皇が未即位帝としてこれに反対した。以後、亀山上皇は大覚寺を仙洞とし、小倉山東麓の「小倉殿」に隠棲した。1397年、尊号を辞退し、その後、出家し金剛心と号した。1408年、義満の没後は、待遇も悪くなり、幕府の講和条件の不履行も生じた。1410年、亀山法皇は、幕府に不満を抱き、嵯峨から出奔し吉野山に入る。1412年、後小松天皇は、皇子・実仁親王(第101代・称光天皇)に譲位し、両統迭立は反故にされる。1414年、北畠満雅はこれに抗議し挙兵している。1415年、亀山法皇と幕府間に和議が成立し、1416年、幕府の請により帰洛した。1424年、上皇は大覚寺御所で亡くなった。大覚寺統の最後の天皇になった。
 墓所は嵯峨小倉陵(右京区)にある。
 この後、南朝の遺臣らは南朝の再興をはかり、後南朝と呼ばれた。
◆陵墓 陵の背後、陵域内中央に五輪塔が立つ。天皇の墓石であり、南面している。かつては西面していたという。高さ2.3m。
 周囲に西に小五輪塔2基、東に小宝篋印塔2基が立てられ、皇妃・皇子の墓になる。
 
室町時代、1394年2月、後亀山上皇は、この地の小倉山東麓、「小倉殿」に隠棲した。1424年4月12日、後亀山法皇が大覚寺御所で亡くなった。この地の嵯峨小倉陵に葬られる。その後、小倉殿は浄土宗・福田寺に改められる。中世(鎌倉時代-室町時代)以降、福田寺は衰微する。江戸時代、1808年、福田寺陵に後亀山天皇陵があると記されている。僧院は愛宕山に登る途中にあったという。(『山陵志』)。1862年-1863年、文久の修陵では陵として修陵された。近代、1879年、御陵は福田寺陵より後亀山天皇嵯峨小倉陵に陵名が改められた。1882年、福田寺は大聖寺(上京区)に合併され、陵は現在地に残されている。


88 後嵯峨天皇(在位:1242-1246) →89 後深草天皇(持明院統)(在位:1246-1259)→90 亀山天皇(大覚寺統)(在位:1259-1274)→91 後宇多天皇(大覚寺統) (在位:1274-1287)→92 伏見天皇(持明院統)(在位:1287-1298)→93 後伏見天皇(持明院統) (在位:1298-1301)→94 後二条天皇(大覚寺統) (在位:1301-1308)→95 花園天皇 (持明院統) (在位:1308-1318)→96 後醍醐天皇(南朝1、大覚寺統)(在位:1318-1339)→97 後村上天皇 (南朝2、大覚寺統)(在位:1339-1368)→98 長慶天皇(南朝3、大覚寺統) (在位:1368-1383)→99 後亀山天皇(南朝4、大覚寺統)(在位:1383-1392)→100 後小松天皇(北朝6、持明院統) (在位:1382-1412)→101 称光天皇(持明院統)(在位: 1412-1428)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『検証 天皇陵』『天皇陵 謎解き完全ガイド』『歴代天皇125代総覧』『昭和京都名所図会 4 洛西』『歴代天皇年号事典』『京都市の地名』『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 後亀山天皇 嵯峨小倉陵 〒616-8435 京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町
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