円山公園 (京都市東山区)
Maruyama-koen Park
円山公園 円山公園 
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円山














樹齢800年以上の祇園枝垂桜。1949年に先代に代わり植栽された。エドヒガン桜の変種という。サクラの銘木として名高い。


他方公園内に、祇園枝垂桜の後継木が育てられており、こちらも見事な花を咲かせているようになってきた。


山鉾館、祇園祭の各山鉾が収められている。


「祇園小唄歌曲碑、譜面銅板」


ラジオ塔、1932年、NHK京都放送局開局の際に、ラジオ普及のために建てられた。当時は、ラジオ体操、野球中継も流された。


働く少年の像


坂本龍馬、中岡慎太郎の銅像


料亭「左阿弥」(1849-)


花灯路・竹灯り「幽玄の川」
 円山公園(まるやま-こうえん)は、東山の景観を取り入れた、京都で最も古い公園としていまも親しまれている。 
 公園は、明治維新の廃仏毀釈による寺院破壊の跡地を整備し、1886年に造られた。1890年に、京都府から京都市に移管されている。
 枝垂桜(円山公園)は、「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン 1つ星観光地」(改訂第4版)に選ばれている。
◆歴史年表 平安時代、辺り一面の台地には葛やススキが生い茂り、真葛ヶ原(まくずがはら、真葛原)と呼ばれていた。
 鎌倉時代、佐渡に流された順徳院(順徳天皇、1197-1242)は、「深山より杉の風や通ふらん真葛ヶ原に露のこぼるる」と詠んだ。鎌倉時代の慈円僧正は、「わが恋は 松を時雨の染めかねて 真葛ヶ原に 風さわぐなり」と歌い、それ以来和歌の名所になっている。
 かつてこの一帯は、祇園社の社域の一部であり、円山安養寺、長楽寺、双林寺などの寺院も建ち並んでいた。円山の名は、この円山安養寺に因んでいる。
 江戸時代、1702年、7月、安養寺の塔頭・花洛庵重阿弥で赤穂浪士による密議(円山会議)が行われた。
 南画家・池大雅(1723-1776)も住んだ。江戸時代、一帯は祇園林と呼ばれ、夜桜の名所となっていた。また、六阿弥(正阿弥、春阿弥、庭阿弥、連阿弥、也阿弥、左阿弥)といわれる料亭などもあり、遊興地ともなっていた。多蔵庵春阿弥の名庭園は、相阿弥の作庭といわれる。なお現在は、京料理の料亭・左阿弥(1849-)のみが残されている。
 近代、明治維新の廃仏毀釈(神仏分離令は1870)、上知令(1871)で、祇園感神院(現八坂神社)は壊され、仏像や経典も燃やされた。祇園社の宝寿院、宝光院、神福院、竹房、鳥居房などの三院三坊もこの時打ち壊され、寺領は官に没収された。その後公園が整備された。
◆庭園 公園は、8万6641㎡の敷地があり、作庭は、「植治」の小川治兵衛による。1913年から3年をかけて造られた庭園には、かつて琵琶湖疏水の水が引かれていた。さらに第二疏水の水も新たに引かれ、「せせらぎ」の流れを作っていた。現在は井戸水が利用されている。
 1931年に国の名勝に指定された。
◆桜 公園には、680本とも850本ともいう桜が植えられ、花見の名所としても知られている。
 かつての宝寿院には枝垂桜もあった。1866年、八坂神社や茶店などが焼け落ちたが、この桜は生き残った。その後、桜の木が印鑑の材に伐られかかった際に、明石博高(1839-1910)が、買い取ったことから「五両桜」の異名もある。
 明石は公園内で、「吉水(きっすい)温泉」(1873-)を経営し、また舎密局にも関わった。1906年、京都初のホテル・也阿弥ホテル(1879-)の火災により、吉水温泉も類焼した。だが、この桜だけは再び残っている。なお、火災ではなく、寺の打ち壊しの際に桜だけが残ったという説もある。
 現在の祇園枝垂桜(イトザクラ)は、二代目となる。先代は樹齢200年を誇っていたが、枯死した。1979年、「植藤」の15代・佐野藤右衛門によって現在の桜が移植された。
◆祇園小唄歌曲碑 「祇園小唄歌曲碑、譜面銅板」の碑が立つ。 
 「月はおぼろに東山 霞む夜毎のかがり火に 夢もいざよう紅桜 しのぶ思いを振袖に 祇園恋しや だらりの帯よ」の祇園小唄は、マキノ映画の「絵日傘」(1930)の主題歌として大流行した。作詞は小説家・作詞家・長田幹彦(1887-1964)、作曲は作曲家・佐々紅華(さっさ こうか、1886-1961)による。
 4世・井上八千代(1905-2004)が曲に振り付けしたことから、祇園の芸舞妓による代表的な舞踏の一つになった。
 碑は、1961年に「吉うた」の2代目女将・お龍の長年の呼びかけにより、祇園甲部をはじめとする各界の協力により建立された。
◆山根子 山根子(やまねこ、山猫)は、下河原(八坂神社南門-庚申堂、鷲尾町、下河原町、月見町、上弁天町)に住んでいた芸妓をいう。東山、円山の山の根(麓)に集まっていたことから呼ばれたという。また、延暦寺の僧が使った「子」(妓の意)、「山の子」より転訛したともいう。
 北政所(高台院)とも関わりがあったとの伝承がある。安土・桃山時代、1599年9月に北政所は大坂城から京都の三本木に移った。その後、江戸時代前期、1605年6月に下河原に移る。徳川家康の後押しを受け、1606年に、北政所は高台寺を建立した。北政所には白拍子の流れを汲む舞芸者らが追従していた。寺にも諸国の舞伎が出入りしたという。北政所は侍女に遊芸を学ばせた。1624年、北政所没後、高台寺の舞芸者は円山の六阿弥、双林寺、正法寺での市井の宴席で舞を披露し、纏頭(てんとう/はな、花代)を得ていた。後に芸妓らにより下河原遊郭も生まれた。
 幕末-近代(明治期中期?)以降も存在したという。女伶(まひこ/まいこ)とも呼ばれた。山根子は真葛踊りという総踊りを舞った。これが1872年の附博覧の際に披露された祇園甲部の都踊りの先駆けになった。
 近代、1886年、府令により祇園町は下河原町を合併し、山根子の名も消滅した。
◆円山会議 江戸時代前期、1702年7月28日に、安養寺の塔頭だった「花洛庵重阿弥」で、赤穂浪士による密議(円山会議)が行われる。この時、仇討ちが決断されたという。
◆花暦 桜、杜若、藤、菖蒲、紅葉、梅。
◆文学 ◈与謝野晶子(1878-1942)には「清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵あふ人みな美しき」の歌がある。
 ◈川端康成(1899-1972)『古都』『虹いくたび』、林芙美子(1903-1951)『放浪記』にも登場する。
 ◈夏目漱石(1867-1916)は、学生時代に親友・正岡子規(1867-1902)と京都を訪れ、円山公園付近を散策した。(『京に着ける夕べ』、1907年)
◆アニメ アニメーション『七人のナナ』(原作・監督・今川泰宏、制作・A・C・G・T、2002年1月-6月、全25話)の舞台になった。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都大事典』、『おおきに。』、『京の文化と藝術-立命館大学文化講座 京都に学ぶ 8』、『あさひらいふ京都 2018年5月』


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円山公園 グーグルマッブ・ストリートビュー
円山公園 〒605-0071 京都市東山区円山町 
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