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川上神社 (川上大神宮社) (京都市北区) Kawakami-jinsha Shrine |
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川上神社 | 川上神社 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() やすらい祭 ![]() やすらい祭の祭列 |
川上神社(かわかみ-じんしゃ)は、西賀茂川上町にある。 正式には大神宮社(だいじんぐう-しゃ)、ほかに川上大神宮社(かわかみ-だいじんぐう-しゃ)、安良居神社(やすらい-じんじゃ)ともいわれる。川上の産土神として崇敬されてきた。 本殿に天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、末社に天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀る。 ◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。 かつて、大神宮社が祀られていた。この地の氏神だったという。 平安時代、833年、創建ともいう。上賀茂神社読経所の鎮守社ともいう。(社伝) 1001年、都で疫病が流行し死者が出た際に、川上地区の住人が鬼に扮し、今宮神社の疫神に悪病の退散を祈願した。この鎮花祭である「やすらい踊」により難を逃れたという。 江戸時代以降、川上の公家・醍醐家の氏神、川上村の産土神になる。 元禄年間(1688-1703)、廃絶していたやすらい踊が再興される。 現代、1985年、「川上やすらい踊」は国の重要無形民俗文化財の指定を受けた。 ◆醍醐家 藤原五摂家の一つ、公家・醍醐家は、一条家支流、清華家の一つになる。 江戸時代、第107代・後陽成天皇の第9皇子・一条昭良(1605-1672)の二男・冬基(1648-1697)を祖とする。昭良は、出家して恵観と号した。昭良は、川上に山荘を営む。屋敷は醍醐家に伝えられた。 醍醐家は近代に入り公爵となる。邸宅は烏丸通仲立売り上ルにあった。菩提寺は大徳寺・芳春院になる。醍醐家の屋敷(重文)は、第二次世界大戦後に鎌倉に移されている。 ◆やすらい祭 祭礼「やすらい祭」(4月第2日曜日)が行なわれている。 平安時代後期、1001年に都で疫病が流行し、死者が出た際に、川上地区の住人が鬼に扮し、今宮神社の疫神に悪病の退散を祈願した。この鎮花祭である「やすらい踊」により、難を逃れたとされる。祭礼は一時中断した。江戸時代前期、元禄年間(1688-1703)に再興され、いまも伝えられている。 当日は、やすらい踊りを奉納後、町内を巡行し、総神社(紫竹西南町)を経て、今宮神社へ参る。祭列の唱える歌詞は「さ、三月十日 十日の 御神事 やすらい花は いろよう咲いた えやみをはらひ(山ぶき つばき) 川上やすらい(いろよう咲いた) めでとうござる いんやすらい花や」になる。 「川上やすらい祭」は、「川上やすらい踊保存会」により行なわれている。国の重要無形民俗文化財(1985)の指定を受けている。 ◆山の森 川上村の東北200m付近に、かつて、「山の森」という鎮守の森があり、上賀茂神社の末社・山森神社が祀られていた。後に、社は本社境内に遷された。森は水害により流された。 その西南には「二子塚」という塚があったという。 ◆年間行事 祭礼「やすらい祭」(4月第2日曜日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『西賀茂大将軍神社とその祭礼行事』、『昭和京都名所図会 3 洛北』、『京都洛北やすらい祭 フィールドワークからのアプローチ』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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