谷性寺 (京都府亀岡市)
Kokusho-ji Temple
谷性寺  谷性寺
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本堂、扁額



本堂


本堂



明智門



明智門の蟇股の桔梗紋
 亀岡市宮前町の田園地帯、旧篠山街道沿いに建つ小寺、谷性寺(こくしょうじ)は、山号を清瀧山(せいりょうざん)という。安土・桃山時代の武将・明智光秀ゆかりの寺であることから光秀寺、境内に桔梗が咲き乱れることから桔梗寺ともいう。
 真言宗大覚寺派。本尊は不動明王。
 近畿楽寿観音霊場25番札所。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、創建されたという。
 安土・桃山時代、1582年、明智光秀没後、墓碑が建立された。家臣・溝尾庄兵衛の命により本尊の不動明王が寺に安置されたという。
 江戸時代、1855年、首塚が建立されている。
◆明智光秀 室町時代の武将・明智光秀(あけち-みつひで、1528?-1582)。名は十兵衛、惟任日向守(これとうひゅうがのかみ)。美濃に生まれた。明智光綱の子。美濃の土岐氏支流ともいう。娘は細川ガラシャ。初め斎藤氏に仕えた。越前・朝倉義景に仕え、1566年、織田信長に仕えた。1567年、滝川一益に従い北国征伐に加わる。1568年、信長入京に当たり、政務に当り足利義昭のために公家側に働きかけた。1569年、公家寺社領仕置などに携わる。信長と義昭の対立を仲介する。1570年、信長の摂津、近江の出陣に従う。1571年、近江・坂本城主になる。1572年、浅井氏の小谷城包囲に参加する。1573年、越前朝倉氏攻略に加わる。1574年、大和多聞山城を守備し、美濃、河内に転戦した。1575年、功により惟任日向守と称した。信長の命で丹波の攻略に着手し、福知山城を築城した。年貢を軽減するなど民に慕われた。1579年、強く抵抗した八上城の波多野秀治らを下して丹波平定した。1581年、因幡鳥取城攻めに羽柴(豊臣)秀吉を援け、丹後の検地を断行する。1582年、甲州・武田勝頼攻撃に従う。信長より徳川家康の慰労を命じられ、さらに、秀吉の備中高松城包囲に救援を命じられる。光秀は反発し、亀山城(亀岡市)に入り、愛宕山に詣り謀反を決意した。備中出陣の名目により、6月1日、兵1万3000を率い、亀山城を発した。老ノ坂を経て、2日、本能寺を急襲し、信長を自刃に追い、二条御所の信忠を自滅させた。(本能寺の変 ) 。13日、取って返した秀吉との山崎の戦いに敗れる。一旦、勝竜寺城に入る。坂本城に落ち延びる途中、小栗栖(おぐるす)で土民の襲撃により傷を負い、自刃して果てたという。「三日天下」といわれた。故実、典礼に通じた。法名は秀岳宗光。56歳。
 1575年、丹波入りした光秀は、知将として民に慕われていたという。1972年、地元に光秀顕彰会が設立されている。
◆仏像  ◈本尊の不動明王は、安土・桃山時代の武将・明智光秀が崇敬したという。1582年の本能寺の変を前に光秀は、不動明王に「一殺多生の降魔の剣を授け給え」と誓願し、本懐を遂げたという。
  ◈本尊の不動明王両脇に、阿弥陀如来立像、大日如来などが安置されている。
  ◈境内に楽寿観音像が立つ。
◆明智門 西願寺(柳町)には、明智門と伝承されてきた門があった。その後の寺の荒廃により、土塀と門の実が残されていたという。
 1976年、寄贈により当地に移築された。山門の蝦蟇股には、明智家家紋の桔梗紋がある。 
◆本能寺の変 光秀が本能寺の変を起こした原因については諸説ある。
 1582年、5月、光秀は安土城で徳川家康の饗応役を降ろされた。光秀は信長に急遽、中国出陣の羽柴秀吉軍の援軍を命じられる。このことが、光秀謀反の遠因の一つになったともいう。
 また、2014年に発見された「石谷(いしがい)家文書」から、光秀と懇意で信長と敵対していた四国の戦国大名・長宗我部元親の窮地を救うためだったともいう。光秀はかつて長宗我部に仕えた。長宗我部との交渉をしていた光秀が面目を失い、反旗を翻したとする。(「四国説」)。
 また、2014年に光秀の密書原本が見つかった。変直後の12日に、光秀が、紀伊雑賀衆で反信長派土豪・土橋重治に宛てた直筆書状だった。光秀は、信長に追放された15代将軍・足利義昭と通じ、室町幕府の再興を目指したという。変後、光秀は、頼みとした細川藤孝(幽斎)、筒井順慶らの協力を得られずに孤立する。長宗我部、毛利らの反信長勢力に奉じられた義昭により幕府再興を目指したともいう。(「義昭黒幕説」)。
◆墓 境内には光秀の首塚がある。光秀の尊像(1981)、光秀顕彰の七重石塔が立てられている。
◆桔梗 境内に桔梗が咲き、桔梗寺といわれている。開花時期は6上旬-9月上旬。2005年より休耕田に植えられた5万株の桔梗が開花する。
◆井内城 猪倉(いのくら)の西の丘陵地に、井内(いのうち)城跡がある。井内筑前守(『丹東城塁記』)、井内筑前守(『丹波志桑船記』)の居城だったともいう。
◆年間行事 亀岡春祭(光秀武者行列、光秀の遺徳を偲んで首塚の前で追善法要がある)(5月3日)、遠忌法要(6月13日)。  


*年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都府の地名』 、ウェブサイト「コトバンク」   


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谷性寺  〒621-0241 京都府亀岡市宮前町猪倉土山39  0771-26-2054
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