大光寺 (京都市伏見区)  
Daiko-ji Temple
大光寺 大光寺
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本堂


本堂

薬師堂




日限地蔵尊堂


庚申堂


庫裡・寺務所




四面石仏

 伏見・大手筋通の北側に面し、大光寺(だいこうじ)はある。山門脇に「徳川家光 傳役 青山伯耆守(あおやま ほうきのかみ)屋敷跡」の石標が立つ。山号は藤澤山(ふじさわざん)という。
 浄土宗総本山知恩院末、本尊は阿弥陀如来を安置する。
 薬師堂の薬師三尊像(手接の薬師)は、病気平癒、安産、耳の信仰がある。
 本尊、薬師如来、日限地蔵尊の御朱印が授与される。
◆歴史年表 鎌倉時代、1260年、浄土宗の空蔵坊寛海上人により創建された。当初は「大光明寺」と称される。即成院村(伏見区桃山町松平武蔵)にあった。
 南北朝時代、文和年間(1352-1356)、西園寺寧子(さいおんじ ねいし)が、南西の地(伏見区桃山町泰長老)に伽藍を拡張した。以後、臨済禅僧が入寺し禅寺になる。大光明寺の塔頭になり「宝厳院(ほうごんいん)」と号した。
 1409年、1401年に起きた伏見殿(伏見御所)の焼失後、栄仁親王(よしひと しんのう)は、伏見殿一角の尼寺・宝厳院を御所として還住した。(『椿葉記』) その後、子・貞成親王(1372-1456、後崇光院)は伏見殿の仮御所にする。 
 1416年、栄仁親王が伏見殿で亡くなり、大光明寺で葬送される。(『看聞日記』)
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)で、大光明寺は荒廃する。
 安土・桃山時代、文禄年間(1592-1596)、豊臣秀吉により同地に指月伏見城が築城される。
 安土・桃山時代-江戸時代、慶長・元和年間(1596-1624)、末寺も増え中本山格になった。
 江戸時代、元和年間(1615-1624)、大光明寺は相国寺山内(上京区)に移される。「大光明院」と改められ再建された。旧地に宝厳院は残され、荘蓮社厳譽上人が入寺し中興する。浄土宗・黒谷金戒光明寺末に改めた。寺号「大光明寺」から「明」の一字を削り、「大光寺」と号した。山号は「藤澤山」と称する。
 1624年、伏見奉行・小堀政一(遠州)により、伏見城廃城に伴い現在地(伯耆町の青山伯耆守屋敷跡)を替地として得る。
 1625年、円蓮社頓譽上人により、旧地(松平武蔵)に塔頭一寺を残し、現在地(伏見区伯耆町)に移る。旧地の塔頭はその後も「大光寺」と呼ばれ、後に宝厳院に因み「宝円寺」と改め大光寺末寺になる。江戸時代に、大光寺境内で縁日、富籤(東山大仏、松尾大社の興行)が行われた。
 1787年、薬師堂は、知恩院宮御門跡の旧御殿を移して再建された。大光寺は、『拾遺都名所図会』にも記されている。
 近代、明治期(1868-1912)、京都相撲の勧進興行も行われた。
 現代、1989年、本堂が全改築される。
寛海 鎌倉時代の浄土宗の僧・寛海(かんかい、?-?)。詳細不明。空蔵坊寛海上人。法然より6代の孫弟子になる。1260年、大光寺を開く。
◆西園寺寧子 鎌倉時代-南北朝時代の女性・西園寺寧子(さいおんじ ねいし/やすこ、1292 -1357)。父は左大臣西園寺公衡、母は藤原兼子。1306年、女御として持明院統の後伏見上皇(第93代)の後宮に入る。1309年、第95代・花園天皇の准母、従三位に叙せられ、准三后・院号(広義門院)の宣下を受けた。1313年、量仁親王(後の北朝初代・光厳天皇)、1321年、豊仁親王(後の北朝2代・光明天皇)を産む。1318年、大覚寺統の第96代・後醍醐天皇が即位したが、1331年、後醍醐天皇による倒幕計画・元弘の変の責により退位、代わりに量仁親王が光厳天皇として即位し、広義門院は国母となる。だが、1333年、後醍醐天皇の巻き返しにより鎌倉幕府は滅亡、光厳天皇は廃立された。1335年、広義門院の甥・西園寺公宗の持明院統再興は失敗する。1336年、後伏見上皇没後、広義門院は出家した。後醍醐天皇を破った足利尊氏は、今度は光厳上皇を迎え、広義門院は上皇実母としての地位を取り戻した。1339年、広義門院は、後伏見上皇の菩提のために大光明寺を創建した。1351年、尊氏・室町幕府勢力は足利直義との対抗上、南朝と講和したため再び光厳院政・崇光天皇の皇位が廃される。さらに1352年、南朝側は幕府軍を破り京都へ進入、光厳上皇ら北朝側の上皇、皇位継承者を拉致、大和賀名生へ連れ去った。天皇不在になり、幕府は広義門院に再三懇願し、広義門院は上皇代理として伝国詔宣を行う。女性でしかも皇室の出自ではなく治天の君(国王)の座に就いた唯一の例になる。1353年、北朝4代・後光厳天皇へ政務権継承後も、院政により影響を持ち続けた。
◆栄仁親王 南北朝時代-室町時代の皇子・栄仁親王(よしひと/なかひと しんのう、1351-1416)。有洲河殿、伏見殿と呼ばれる。北朝第3代・崇光(すこう)天皇の第1皇子。母は権大納言・庭田重資の娘・資子。1368年、親王になる。1375年、伏見殿で元服した。観応の擾乱(1350-1352)の余波により、持明院統皇統正嫡だが、皇位継承できなかった。1398年、崇光天皇没後、同じ北朝系(持明院統)の北朝第6代・歴代第100代・後小松天皇に所領を召し上げられる。伏見で落飾し、法名・通智とした。各所を巡り、晩年は伏見御所に住む。箏(そう)、琵琶に優れた。歌は『新続古今和歌集』にある。追号は大通院、伏見宮家の祖。
◆青山忠俊 安土・桃山時代-江戸時代の武士・青山忠俊(あおやま ただとし、1578-1643)。青山忠成の子、遠江国浜松の生まれ。1590年、豊臣秀吉の小田原征伐で初陣を飾り、兄・忠次の早世により嫡子になる。徳川家康、2代将軍・秀忠に仕えた。1600年より、伯耆守(ほうきのかみ)と称した。1607年、土井利勝、酒井忠世と3代将軍・家光の傅役を務める。1610年、加増され大名。1613年、父没後、常陸江戸崎藩2代藩主。1615年、本丸老職、1620年、岩槻城主。家光に諫言を繰り返したため勘気に触れ、1623年、老中を免職、上総大多喜藩に減転封される。1625年、除封後は、下総国、相模国を経て、相模今泉で蟄居した。
 1624年、伏見奉行小堀政一(遠州)は、伏見城廃城に伴い、現在の大光寺境内(伯耆町の青山伯耆守屋敷跡)を替地として与えた。
◆仏像・木像 ◈本堂に、本尊の「阿弥陀如来立像」を安置する。安土・桃山時代作になる。春日大明神より授かったとされ、現世安穏、極楽往生の信仰がある。
 ◈左に「善導大師像、右に「法然上人像」を安置する。
 ◈「開山空蔵房寛海上人座像」は、室町時代作になる。
 ◈「五劫思惟阿弥陀如来坐像」は、江戸時代作になる。首は中国浄土宗の善導大師(613-681)の作ともいう。
 ◈「日限(ひぎり)地蔵立像」は平安時代作になる。平安時代の智証大師(円珍、814-891)作ともいう。光明院時代の遺仏という。日を限りお参りすると、諸願成就のご利益があるという。
 ◈「薬師三尊像」は、平安時代の春日仏師作になる。奈良三笠・薬師寺より遷されたという。「手接(てつぎ)の薬師」と称され、病気平癒、安産、耳にご利益があるという。
 ◈薬師堂に、江戸時代の5代・尊峰(そんぽう)法親王(1741-1788) 、6代・尊超(そんちょう)法親王(1802-1852)の位牌を祀る。
◆建築 山門、本堂、薬師堂、庚申堂、日限地蔵尊堂、庫裡・寺務所が建つ。
 ◈「薬師堂」は明治期(1868-1912)末に、皇族・華頂宮家の旧御殿を移築した。安土・桃山時代の豪華な建物になる。
 ◈「本堂」は、1989年に全改築された。
◆鐘楼・梵鐘 当寺境内の西側に鐘楼があった。梵鐘は、1941年-1945年、太平洋戦争時に金属供出される。戦後、鐘楼は破却された。梵鐘が返却され、ほかの浄土宗寺院に移された。
◆石造物 「四面石仏」は、本堂東の墓地入口にある。鎌倉時代後期作であり、方形石で、かつて十三重石塔の塔身一部だった。線香の炉に転用されたため、上部に窪みが残る。四面に舟形光背を彫り窪め、如来(40cm)が蓮華座に坐す。東に薬師如来、西に阿弥陀如来、南に釈迦如来、北に弥勒如来の四仏を厚肉彫りする。高さ60cm、幅55cm、花崗岩製。
◆幕末新選組事件
 江戸時代末、1867年11月8日、伏見奉行所与力・横田蔵之允は、新撰組隊士・後藤大介らにより殺害された。
 後藤が禁猟区の巨椋池で鳥を撃ち、横田が咎めた。後藤らは逆恨みし、横田宅を襲い惨殺した。首は竹田街道蓮心橋に晒される。子・米之助は首を持ち帰り大光寺に葬った。
 横田は文武に秀でたという。大光寺の墓石には、「重宣院日誉義生居士横田蔵之助源義生墓」と刻まれている。43歳。(『新選組覚え書』)。
◆墓 江戸時代の伏見奉行所与力・横田蔵之允、妻・フキの墓がある。
◆年中行事 春季彼岸法要(3月19日)、施餓鬼法要(8月6日)、盆棚経参り(8月)、地蔵盆(8月23日)、 秋季彼岸法要(9月23日)、こども道場(伏見組もえぎ会)(10月9日)。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 案内板、当寺サイト、『京都・山城寺院神社大事典』『昭和京都名所図会 6 洛南』、ウェブサイト「史蹟紹介」 、ウェブサイト「コトバンク」


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