市比売神社 (京都市下京区) 
Ichihime-jinja Shrine
市比売神社  市比売神社
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本殿


本殿





祈祷殿





稲荷神社



稲荷神社





植松稲荷社



衆霊殿、大国主命、花山天皇、恵比須大黒、護国英霊、社家祖霊、崇敬者祖霊、蛭子大霊を祀る。



「天之真名」(あめのまな)



井戸には、赤い「姫みくじ」の張子人形が置かれている。人形の中にはおみくじが入っている。


【参照】西市跡より出土した木製檜扇(ひおうぎ)(京都市考古資料館-京都市埋蔵文化財研究所蔵)


【参照】西市跡より出土した木製櫛(京都市考古資料館-京都市埋蔵文化財研究所蔵)


【参照】西市跡より出土した左から木製物差(ものさし)・木製箆(へら)(京都市考古資料館-京都市埋蔵文化財研究所蔵)


【参照】西市跡より出土した木製曲物(まげもの)(京都市考古資料館-京都市埋蔵文化財研究所蔵)


【参照】西市跡より出土した木製まな板・木製箸(京都市考古資料館-京都市埋蔵文化財研究所蔵)
 市比売神社(いちひめ-じんじゃ、市比賣神社)は、「いちひめさん」と親しまれている。京都唯一の女人厄除祈祷所として知られている。平安時代より「皇后御祈願所」として、歴代皇后・公家とのゆかりも深い。御所守護のために本殿は北向きに建つ。
 当社は、市(いち)に由来し、現在も京都中央市場の守護神になっている。市場内には、当社の末社が分祀されている。 祭神は、多紀理毘賣命(たぎりひめのみこと)、市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)、下光比賣命(したてるひめのみこと)、神大市比賣命(かみおおいちひめのみこと)の5神になる。旧村社。
 京都十六社朱印めぐりの一つ。
 縁結び、子授け、安産、女人厄除け、婦人病平癒などの女人守護。市場守護、商売繁盛の信仰がある。カード塚ではカード供養される。御朱印が授けられる。
 授与品はカードお守り、おとう鈴、女人守り、身代り守りなど。
◆歴史年表 平安時代、795年、公卿・歌人・藤原冬嗣(ふじわら-の-ふゆつぐ)は、第50代・桓武天皇の命により、官営市場である東市(ひがしのいち、七条北、大宮東)、西市(にしのいち、七条北、西大路西)の守護神として創建したという。それぞれ市門には市姫が祀られた。東市屋(ひがしいちや、七条北、北小路南、堀川西、猪熊東の方一町、七条堀川付近)の地に、宗像(むなかた)大明神三神を勧請し、「市姫大明神」とした。(社伝、『金光寺縁起』、『拾芥抄』東京図、『山城名跡巡行志』)。当社は、東市の市町に祀られていた。ただ、冬嗣の関与については不明。
 空也(903-972)は、神託により金光寺境内(七条堀川北西)に、市屋(いちや)道場を開創する。天台宗であり、当社の管理にあたった。
 1178年、言仁親王(第81代・安徳天皇)の誕生に際して、当社の「天之真名井(あめ の まない)の水」を産湯に用いたという。親王には、当時の慣わしとして誕生50日目に餅を買い与えられる。平安時代末期には、同様の習俗があった。(『三長記』)
 金光寺は、後に時宗に改宗し、当社はその鎮守社になる。
 鎌倉時代、一遍(1239-1289)は、境内で踊り念仏を遊行したという。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)、商売繁盛の信仰を集めた。
 安土・桃山時代、1591年/天正年間(1573-1592)、旧地への本願寺の進出にともない、豊臣秀吉の命により、金光寺とともに現在地へ移転になる。
 近代、1868年、神仏分離令により金光寺より独立した。
◆藤原冬嗣 奈良時代-平安時代前期の公卿・藤原冬嗣(ふじわら-の-ふゆつぐ、775-826)。通称は閑院大臣。北家・右大臣・藤原内麻呂の2男、母は飛鳥部奈止麻呂の娘/百済永継(くだら-の-えいけい)。806年、従五位下、第52代・嵯峨天皇の信任篤く、810年、平城太上天皇の変(薬子の変)を契機として、四位下で新設の初代・蔵人頭(くろうどのとう)に任じられる。式部大輔を経て、811年、参議になった。814年、従三位、自邸の閑院(平安左京三条二坊)に嵯峨天皇を迎え詩宴を催している。816年、権中納言、819年、正三位、大納言、821年、右大臣、825年、正二位で左大臣になった。「弘仁格式(きゃくしき)」「内裏式」を撰進し、漢詩は『文華秀麗集』、詩は『凌雲集』などに入る。52歳。
 没後に正一位、太政大臣を追贈された。嵯峨天皇、第53代・淳和天皇の信を得た。娘・順子は第54代・仁明天皇の妃になり、道康親王(第55代・文徳天皇)を産む。次男・良房は嵯峨天皇皇女・潔姫(きよひめ)を妻に迎え、皇室との関係を深めた。藤原氏による摂関政治、北家繁栄の基礎を築く。一族子弟のための勧学院、施薬院、氏寺・興福寺に南円堂を建てた。
 墓は宇治陵(宇治市)に包括されている。同域内の夫婦塚(赤塚)は冬嗣、妻・藤原美都子の夫婦墓ともいう。
◆空也
 平安時代中期の浄土教の僧・空也(くうや、903-972)。詳細不明。第60代・醍醐天皇の第2皇子ともいう。寺を持たず常に市井にあったことから、市聖(いちのひじり)、弘也、阿弥陀聖、市上人とも呼ばれた。幼少より在家の優婆塞(うばそく)として全国を遍歴した。919年、17歳で市中の遺骸を念仏を唱えながら埋葬する。924年、尾張・国分寺で出家し沙弥空也と名乗る。播磨、奥州、四国で修行し、934年、奥羽にも布教した。938年以来、京都で念仏を広める。939年、空也堂を開く。948年、比叡山・天台座主延昌から受戒し、光勝の法名を得たが、終生空也と名乗った。951年、都に流行していた悪疫退散のために、自ら十一面観音を刻み、車に乗せ市中を曳き廻した。病人に茶を授け、歓喜踊躍の念仏踊で病魔を鎮めた。病人は平癒したという。その典茶・皇服茶(おうぶくちゃ、王服茶)は、身分の隔てなく分け与えられた。その時の踊躍は六斎念仏として今も伝わる。963年、金泥『大般若経』 600巻の書写事業を完成させている。鴨川河原に一寺(のちの西光寺、六波羅蜜寺とも)を建て供養会を行う。東山の西光寺(六波羅蜜寺)で没した。70歳。墓は全国に複数ある。
 各地で橋を架け、道路や井戸の整備、遺棄された骸を火葬して荼毘(だび)にふすなどの社会事業も行う。
◆一遍 鎌倉時代中期の僧で時宗開祖・一遍(いっぺん、1239-1289)。智真。捨聖(すてひじり)、遊行上人と呼ばれた。伊予松山・水軍家系の河野通宏の次男。一族は承久の変(1221)に加わり衰微、父は出家する。10歳で母と死別、1248年、父の勧めで継教寺・絶縁のもとで出家、随縁と称した。幼少より聡明だったという。1251年、13歳で師・善入とともに太宰府の浄土宗西山派証空弟子・聖達(しょうたつ)を訪ね、師事、肥前の華台にも学ぶ。智真と改める。1263年、父の死を契機に帰郷し還俗、妻帯し家督を継ぐ。相続に絡み親族に襲われ、1271年頃、再び出家した。1271年、太宰府の聖達を訪ね、信州・善光寺で「二河白道」の喩に感得、阿弥陀仏により救済されると確信する。伊予・窪寺に籠る。1273年、伊予国・菅生の岩屋に参籠した。1274年、妻・超一、娘・超二、従者念仏坊とともに遊行の旅に出る。四天王寺、高野山・金剛峯寺、熊野権現の夢告により、賦算の行(念仏札を配る)を始めた。妻子と別れる。1275年、熊野、京都、西海道より伊予に戻る。1279年、京都・因幡堂、善光寺、信濃国の伴野より敬愛する空也に倣い踊り念仏を始めた。奥州、平泉、1282年、鎌倉入府を断られる。1284年、3度目になる京都を訪れた。その後、北国、西国を巡り、1289年、摂津国和田岬の観音堂(後の真光寺)で亡くなる。51歳。
 一遍の号は、六字名号一遍法の感得に由る。空也の「捨ててこそ」の教えを実践し、捨聖とも呼ばれた。一遍は粗末な身なりで北は江刺、平泉から南は薩摩・大隅まで15年間諸国遊行し、各所で25万枚ともいう賦算と踊念仏を行なう。生涯にわたり寺を建てず、著作も残さず、死期迫るとわずかな経典も焼き捨てたという。一遍の時衆(時宗)は、日常の生活を臨終の時ととらえた。身辺のあらゆるものを捨て、「南無阿弥陀仏」の念仏さえ唱えれば、俗世の人々も阿弥陀仏に救われ往生できると説いた。
◆市 平安時代、794年、長岡京より平安京に市(いち)が移される。(『日本紀略』)。東市、西市の二つの官営市場があり、朱雀大路を挟み七条大路北、七条坊門小路南(左右京七条二坊三-六町)に左右対象にして置かれた。市には運河の堀川、堀川小路が物資の運搬に利用されていた。
 西市(西大宮大路西、西堀河小路東、4町)は、右京職下の西市司(にしのいちのつかさ)が統括した。役人として正(かみ)、佑(じょう)、令史(さかん)、史生(ししょう)、価長(かちょう)が任じられた。
 市人の「廛舎(みせのや)」は内町(二坊六町)にあり、月の初め半月が東市、後半の半月が西市で、正午より日没まで開かれていた。最後は、太鼓3つが打たれて終了した。簡素な店舗「肆(みせ)」では、扱う品も定められ、1店舗は1商品のみを販売した。
 東市で扱った品は、東し(あしぎぬ)廛(みせ)、羅、絲(いと)、錦、ほく頭(頭巾)、巾子、縫衣、帯、紵(からむし、繊維)、布、苧(からむし、繊維)、木綿、櫛、針、沓、菲(うすい、野菜)、筆、墨、丹、珠、玉、薬、太刀、弓、箭(や、矢)、兵具、香、鞍橋(くらぼね、馬具の鞍)、鞍褥(あんじょく、馬具の鞍敷)、したぐら(馬具、下鞍)、鎧、障泥(あおり、馬具)、鞦(しりがい、馬具)、鉄并金器、漆、油、染草、米、木器、麥(むぎ)、塩、醤、索餅(さくべい、唐菓子)、心太(ところてん)、海藻、菓子、蒜(ひる、にんにく)、干魚、馬、生魚、海菜、布、麦、木器など51種、西市に絹廛、錦綾、絲、錦、紗、椽帛、ほく頭(頭巾)、縫衣、裾、帯幡、調布、麻、續麻、櫛、針、菲、雑染、蓑笠、染草、土器、油、米、塩、未醤、索餅、糖、心太、海藻、菓子、干魚、生魚、牛など33種、両市共通の米、塩、魚、油などは17種があった。店舗には、米廛、麻廛などと商う品名が付けられていた。
 10世紀(901-1000)には、内町の外に外町(2町)が形成され、市人の住居、倉庫になる。市は人の集う広場でもあり、空也は市で伝道し、「市聖(いちのひじり)」と呼ばれた。東市に「市屋道場」が開かれている。12月に、検非違使(けびいし)は、市司の太鼓楼前で未決囚に刑を宣告し、「鈦(だ)」という足枷を付けた。(着鈦の政[ちゃくだのまつりごと] )。罪人は市に引き立てられ、処刑され晒されていた。(棄市)。
 平安時代、七条大路周辺の東市付近は、伏見稲荷大社の氏子圏内にあった。界隈には市廛(してん)商人が住している。鍛冶、鋳物師、金属細工などの職人も住み、祭りの中核を担っていた。他方、西市付近は、松尾大社の氏子圏内になっていた。
 平安時代中期(9世紀中期)に、西市は次第に衰退する。835年、842年に錦綾などを西市の専売品にした。13世紀(1201-1300)初頭に西市は廃絶する。東市も、平安時代末に新しい町に取って代わられた。
◆神像 本殿内陣に「神像」が祀られている。平安時代の第65代・花山天皇(968-1008)の勅願により造られたという。多紀理毘賣命(たぎりひめのみこと)が、幼い下光比賣命(したてるひめのみこと)を抱いている。
◆餅 平安時代末期、生後50日の子どもには、当社の餅(市餅)、五十顆之餅(いかのもち)を与える慣わしがあった。「五十百日之祝儀(いかもも の しゅうぎ)」もあった。
 平安時代、1179年、第80代・高倉天皇第一皇子(第81代・安徳天皇)にも餅が供されている。これらが、「お食べ初め」の慣わしの始まりという。当社より始まったといわれている。
◆名水 境内にある「天之真名井(あめ の まない)の水」は、かつて東市にあった。「京都七名水」の一つに数えられ、「一願成就の井戸」といわれた。
 旧地では、平安時代の第56代・清和天皇(850-881)から、平安時代-鎌倉時代の第82代・後鳥羽天皇(1180-1239)まで、歴代27代の天皇の産湯に、当社の井水が用いられたという。
 現在の井戸は2代目で、地下60mから汲み上げられている。神水を飲み祈ると、一つの願い事が叶うとされる。ご神水を口に含み祈願する。井水は、いまも茶会などに用いられている。
◆京都十六社朱印めぐり 京都十六社朱印めぐり(1月1日-2月15日)は、1976年に始まり当初は14社だった。古社16社を巡拝し、各社より朱印を授かる。すべての神社を参拝すると一年間のあらゆるご利益が得られるという。
 専用の朱印帳で期間中に全てのご朱印を受けると干支置物が授けられる。
◆ひいな祭り 「ひいな祭り」(3月2日-3日)は、「ひと雛」として知られ、約20年前に始まった。
 十二単に束帯を身につけた、公募の男女による「雛人形」が再現される。当日限定の「桃かざし守り」が授与される。かつて、桃、柳の木を風呂に入れて厄除けとしていた。
◆年間行事 京都十六社朱印めぐり(1月1日-2月15日)、ひいな祭り(3月2日-3日)、例祭「市比売」(5月13日に近い日曜日)、夏越しなんてん祭(6月30日)、カード感謝祭(カード供養が行われる。境内にカード塚もある。)(9月9日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『日本の古代遺跡28京都Ⅱ』、『京都・山城寺院神社大事典』、『日本の名僧』、『事典 日本の名僧』、『平安京散策』、『平安の都』、『京都府の歴史散歩 上』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都大事典』、『京都の寺社505を歩く 上』、『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』、『京都ご利益徹底ガイド』、『京都のご利益手帖』、『京のしあわせめぐり55』、『京の福神めぐり』、『京都の隠れた御朱印ブック』 、京都市考古資料館-京都市埋蔵文化財研究所、ウェブサイト「コトバンク」   


金光寺    西本願寺  宇治陵(宇治市)   藤原氏栄域碑(宇治市)    
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map 市比売神社 〒600-8119 京都市下京区本塩竈町593,六条通河原町西入ル   075-361-2775  9:00-17:00
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