|
|
圓成寺 (岩戸妙見宮) (京都市北区) Enjo-ji Temple |
|
圓成寺 (岩戸妙見宮) | 圓成寺 (岩戸妙見宮) |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 旧門 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 北極星、北斗星を象る紋 |
洛北鷹ヶ峰にある圓成寺(えんじょう-じ、円成寺)は、「岩戸妙見宮(岩戸妙見)」「鷹ヶ峰の妙見さん」ともいわれている。山号は清雲山という。 日蓮宗本満寺派、本尊は一塔両尊の三宝尊を安置する。 洛陽十二支妙見めぐりの第12番、亥(北北西)、「鷹ヶ峰の岩戸妙見宮」とも呼ばれている。 商売繁盛、開運勝利の信仰がある。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 年代不詳、かつて鷹ヶ峰は、愛宕神社の旧地であり、葛野郡天津岩門別雅姫(あまついわとわけわかひめ)神社が鎮座した。北山神(きたやまじん)の勧請地だった。 平安時代、鷹ヶ峰は、平安京大極殿の北に位置したことから、北山と呼ばれ聖地になる。 839年、円行(えんぎょう)は岩戸妙見を勧請し、皇城北方鎮護、平安京総鎮守のための、妙見大菩薩を祀る北山霊巌寺(れいがんじ)を開創した。 中世(鎌倉時代-室町時代)、霊巌寺は廃れる。 江戸時代、1630年、本山本満寺21世・日任(にっとう)に岩戸妙見大菩薩が顕れる霊夢があった。公卿・一条氏の寄進により、北辰尊星玄武神を鎮安する霊地として圓成寺を開山した。 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により荒廃した。その後、地元有志、日解らにより再興された。 ◆円行 平安時代前期の真言宗の僧・円行(えんぎょう、799-852)。伝灯(でんとう)大法師。京都の生まれ。16歳の時、元興寺で出家し、華厳宗を学ぶ。後に空海から伝法灌頂を受け密教者になる。838年、入唐した。空海が学んだ長安・青竜寺を訪れ、実恵(じちえ)の音信を手渡した。座主・義真から伝法阿闍梨の灌頂を受けた。839年、帰国し、岩戸妙見を勧請し、山城国・霊厳寺、播州・大山寺を開く。天王寺最初の別当に就いた。53歳。 入唐八家の一人であり、曼荼羅、密教法具・儀軌請来した。 ◆日任 江戸時代の日蓮宗の僧・日任(にっとう、?-?)。詳細不明。本満寺21世。1630年、岩戸妙見大菩薩の霊夢があり、北辰尊星玄武神を鎮安する霊地として圓成寺を開山した。 ◆三宅 亡羊 安土・桃山時代-江戸時代前期の儒者・茶人・三宅 亡羊(みやけ-ぼうよう、1580-1649)。名は島、号に寄斎・喜斎・江南等、亡羊は字。和泉(大阪府)の生まれ。父・豊臣秀吉の臣、堺五奉行の一人。11歳で父を失い、伏見、京都に遊学、大徳寺に入り、藤原惺窩とも交友した。医業に従事、漢唐注疏、朱子学に至る。第107代・後陽成天皇、第108代・後水尾両天皇に進講した。慶長年間(1596-1615)、後陽成天皇より洛北鷹ヶ峰の地を賜わる。千宗旦の弟子で四天王の一人。香、挿花も秀でた。70歳。 墓は圓成寺(北区)にある。 ◆仏像・神像 ◈本堂には本尊の一塔両尊の「三宝尊」、「四菩薩(一塔両尊四士)」、「日蓮上人像」、釈迦法華題目碑」が安置されている。 ◈境内にある古墳状の石窟造(岩屋造)の妙見堂内陣には、「石造神像」(6尺、2m)が安置されている。霊亀の背に乗り、右手に剣、左手に白蛇を握り、頭上に北斗七星を頂く。日任が霊夢により霊巌寺の妙見を祀ったという。 ◆妙見大菩薩 妙見大菩薩(岩戸妙見、玄武神、鎮宅霊符神、尊星王)とは、北極星と北斗七星を神格化した菩薩であり、北斗星を象る法華経守護の神をいう。霊亀の背上に立ち、弁財天女と七面天女が脇侍として鎮座している。 平安京には王城鎮護のために、四方妙見があったという。平安時代初期、天皇は正月元旦の四方拝で、妙見尊星に国家安穏を祈った。霊巌寺はその総鎮守社であり、妙見堂には、旧3月3日、旧9月9日に宮中から献灯の儀(御灯、ごとう)が行われていた。天皇は清涼殿の孫廂(まごひさし)より北辰妙見菩薩を遥拝した。西を向いて祓い、北を向いて北山の嶺に奉るために点火された御灯を3度拝した。五穀豊穣、国家安泰を祈願した。 当初は霊巌寺で、後に月輪寺(月林寺、左京区)、その後、鹿ヶ谷・円成寺(左京区)で行われた。儀は、不浄、穢れで取り止めになり、後に廃された。その後は、「由の御祓(よしのみはらい)」が行われた。 ◆末社 ◈大黒殿には、福の神の大黒尊天と軍神、国造り・築城の神の清正公尊儀を祀る。 ◈白雲弁財天女は、妙見大菩薩の眷属であり、当山の守護神になる。御所内白雲弁財天との関わりもあるみられている。 ◈地主神の常富殿には妙見大菩薩の眷属、常富(つねとみ)稲荷大明神(常東大菩薩)を祀る。ご神体は茶吉尼天ともいう。寺鎮守、狐変化伝承がある。かつて、常冨惣五郎という常照寺壇林の学僧がいた。不可思議な現象が度々あるので調べると、一匹の白狐がいた。今後は行わないと、狐に詫び証文を書かせて能勢(能勢妙見堂)に送った。だが、再び戻ってきたため、神として祀ったという。(『新撰 京都名所図会』)。商売繁盛、家業繁栄、病気平癒の信仰を集める。 ◈秋山自雲霊神は、痔の神として知られている。 ◆石門・巌門の滝 古く、霊巌寺の妙見は人一人が通れる岩戸の奥に祀られていた。岩は霊巌として信仰されていた。 平安時代、第67代・三条天皇の頃(在位:1011-1016)、天皇は眼病平癒のために行幸を計画した。だが、門前の大巌のために神輿が通れなかった。別当らは岩戸を焼いて砕く。行幸は行われずに終わる。その後、霊巌を壊したため、妙顕菩薩が昇天し、寺は廃墟と化したという。(『今昔物語』巻三十一)。 江戸時代には、鷹ヶ峯から杉坂へ通じる釈迦谷山の登り口に大岩があり、これが霊巌寺の石門(いわもん)とされていた。また、霊巌寺は船山(北区)の山麓にあったともいう。 境内には、巌門の滝(いわもん、いわと、岩戸の滝、常富光出の滝)とよばれる修行場がある。荒廃していたが、1982年に修復されている。 ◆墓 境内の西北隅の墓地には、江戸時代前期の儒者・茶人の三宅亡羊、三宅貞謙ら一族の墓、秋山自雲居士の墓がある。 ◆年間行事 節分星祭(2月3日)、妙見宮大祭(10月第3日曜日)。 ご開扉特別祈祷(毎月1日、15日)。 *境内での写真撮影は禁止。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都の寺社505を歩く 下』『稲荷信仰と宗教民俗』『昭和京都名所図会 3 洛北』『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』『京の福神めぐり』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |
|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
|