江文神社・江文寺 (京都市左京区) 
Ebumi-jinja Shrine
江文神社・江文寺  江文神社・江文寺
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拝殿


拝殿、奉納されている絵馬、喜寿の祝い、桝と斗棒








正殿、倉稲魂命



級長津彦神



軻遇突智社







神石




大杉
 金毘羅山(江文山、572.8m)の南東麓に江文神社(えぶみ-じんじゃ)はある。古くより、周辺の大原郷八カ村の惣鎮守社、産土神として祀られていた。 
 祭神は、中央正殿に倉稲魂命(うがのみたまのみこと、穀霊神)、右に級長津彦神(しなぶひこ、風水神)、左に軻遇突智(かぐつち、火の神)を祀る。旧村社。
 豊饒 衣服、生産などの信仰がある。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細については不詳。
 古代より、背後の江文山(金毘羅山)の頂上、朝日の一番早く照るところに祀られていたという。かつて、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむいびのかみ)、神皇産霊神(かんむすびのかみ)の造化三神を祀ったともいう。
 平安時代後期、現在地に遷座され、麓社として社殿が建立されたという。
 また、延喜年間(901-922)、延暦寺座主・慈寛大師の勧請により創祀されたともいう。
 平安時代末期、12世紀(1101-1200)中頃、大原・三千院の鎭守の社としで創祀されたともいう。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、隆盛になる。
 室町時代、1571年、織田信長による比叡山焼討以後に衰退した。
◆末社 中央正殿に倉稲魂命(うがのみたまのみこと、穀霊神)、右の級長津彦神社に級長津彦神(しなぶひこ、風水神)、左の軻遇突智社に軻遇突智(かぐつち、火の神)を祀る。
 ほかに満山社、祓戸社、神石などが祀られている。
◆江文寺 江文神社はかつて、江文寺(えぶみじ)と関わりがあったともいう。
 平安時代、1130年以前に建立されたとみられている。金毘羅山(江文山)の南腹にあり、現在の不動堂付近に建てられていたともいう。平安時代後期、参議・藤原為隆(1070-1130 )は四天王像を安置し、不断供養法を修した。1174年、公卿・吉田(藤原)経房(1143-1200)が鞍馬寺より薬王坂を経て参詣している。1177年、僧・円智(平親範、1137-1220)は江文寺に如法経を納めている。61世天台座主・顕真(1131-1192)が導師として経塚を営んだという。
 本尊は毘沙門天を安置し、都の東北の鬼門を守護する寺だったとみられる。中世(鎌倉時代-室町時代)、鎌倉時代以後に廃寺になったという。
◆江文峠 江文峠は金毘羅山(江文山)の南にあり、標高は324mある。江文神社の社前を通り、若狭街道と鞍馬街道を結ぶ東西の連絡路になる。
 平安時代、1186年、後白河法皇はこの峠道を経て、大原・寂光院の建礼門院のもとを訪れたという。(大原御幸)
◆おつう伝説 「おつう」の伝承が残されている。平安時代中期の『大和物語』145話を根拠にして様々に潤色されている。物語はいつくかの変化があり、大筋は次のようになる。
 いつの頃か、大原の上野村に「おつう(於通)」という美しい娘がいた。おつうは、大長瀬で女中として働く。やがて、敦賀街道を往来する若狭の大名に見初められ愛妾になる。後に、殿に疎まれ、病を患い里に返される。
 ある時、殿の行列が村を通りがかる。正気を失ったおつうは、行列に近づき、家来に3つに斬られた。また、おつうは、行列に追いつけず、悲観して高野川に身を投げた。大原川の女郎淵に身を投げ蛇身になった。蛇身になり、殿を追い家来に斬られた。都入りする殿の行列が花尻橋に差し掛かり、大蛇が殿を襲い家来により斬られた。おつうの方が殿を嫌い、怒った殿が斬ったともいう。
 尾は高野川に捨てられた。おつうは、蛇身と化し花尻橋の淵に棲みつく。再び、殿の行列が通りかかった際に、おつうは、家来により斬られたともいう。
 その夜、村に大蛇が現れた。村人は江文神社に集まり、大蛇の通夜を行う。また、雷雨になり、悲鳴が聞こえるようになる。その後、大蛇は現れなかったという。後に、村人は大蛇の頭・胴を北の森(おつうの森)に、尾を花尻の森(江文神社御旅所)に葬った。恐れた里人は、大蛇の頭をおつうが森に、尻尾を花尻の森に埋めたともいう。
 別の物語もある。京都の女性が若狭小浜に嫁いだ。その後、夫を恨んで逃げ、大原川で投身した。やがて、女性は大蛇になり大渕(女郎淵)に棲みつく。夫が通りかかると大蛇は、馬とともに川中の馬守淵(うまもりぶち)に引き入れようとした。夫は危うく逃れた。再び訪れた際にも大蛇が現れた。従者が石を打ち付けて大蛇を退散させる。(石籠淵(いしこぶち)。大蛇は、蛇井出村(じゃいでむら、大原井出町)の大淵池(おおぶちいけ)に潜んだ。大蛇は昼夜に村人を襲い、村の男女は恐れて一カ所に集まった。(「大原の雑魚寝(ざこね)」)。比叡山の僧が法力により大蛇を退治する。後に、正月には来迎院、勝林院で大蛇退治にまつわる祭礼が行われた。大蛇に見立てた白布を天井から吊るし、太鼓や鐘の音に合わせて男女が踊った。最後に白布を切って人々に分けたという。(『山州名跡志』・「大原野女郎淵」)
◆宮座 かつての大原八郷による宮座がある。周辺の8町から一人ずつが選出され、構成される。任期は3年で、半分が改選される。宮座は、江文神社の管理と祭礼を執り行う。
◆大原雑魚寝 江戸時代の井原西鶴の浮世草子『好色一代男』(1682)には、「今宵は大原の里の雑魚寝(ざこね)とて」と紹介されている。
 かつて、村の大淵(大渕、大原村蛇井手[じゃいで] とも)に棲む大蛇がいたという。大蛇が村人を襲うため、人々は一か所に隠れ潜んだという。
 やがて、節分の夜に拝殿で参籠(籠もって祈念する行)し、通夜する慣わしになった。一村の男女が闇の中で一夜を過ごした。風紀上の問題があるとされ、明治期以前(以後とも)に禁止された。
◆宮川 宮川(1.4km)は、金比羅山を水源とし、高野川に合流している。
◆樹木 サカキの大木がある。
◆八朔踊り 八朔踊り(9月1日前後の土曜日)は、宮座の青年たちが境内石段下に集って舞う豊作祈願の踊りになる。
 男性は三度笠の道中姿、女性は大原女姿で輪をつくる。楽器を用いず、独特の節の「道念音頭」に合わせる。演目はこの地ゆかりの「大原踊」「黒木踊」「小野霞の踊」などになる。
◆年間行事 江文祭(5月4日)、八朔祭(9月1日前後の土曜日)。
 

*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『旧版 古寺巡礼 京都 17 三千院』、『京都洛北物語』、『京都の地名 検証2』、『昭和京都名所図会 3 洛北』『京都の寺社505を歩く 上』、『京都大事典』、「京都新聞2011年6月27日-京の山寺・山城跡を行く」、『史跡探訪 京の七口』、『京都 神社と寺院の森』、ウェブサイト「コトバンク」


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江文神社 〒601-1247 京都市左京区大原野村町643  075-744-3176 
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