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大井神社 (京都市右京区) Oi-jinja Shrine |
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大井神社 | 大井神社 |
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![]() 三条通に面した鳥居。 ![]() ![]() 本殿 |
嵐山の渡月橋北詰から東へ、路地の奥にある小社・大井神社(おおい-じんじゃ)は、松尾大社とゆかり深い。かつて、「堰(い)神社」、「大堰(おおい)神社」、「大橋神社」とも呼ばれた。 祭神は、宇賀霊神(倉稲魂神、うがみたまがみ)を祀る。かつて、大綾津日神(おおあやつひのかみ) 、大直日神(おほなほひのかみ)、神直日神(かみなほひのかみ)を祀ったともいう。 大堰川の守り神(堰神)、商売繁盛の神として古くより信仰を集めた。 かつて松尾大社の末社だった。現在は野宮社の境内外摂社になっている。 式内社ともいう。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「乙訓郡十九座 大五座 小十四座」の「大井神社」ともいう。 ただ、「乙訓郡」は「葛野郡」の写し誤りともいう。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 古墳時代、5世紀後半/6世紀、秦氏が現在の渡月橋上流に葛野大堰を築造した。この地を開拓した際に、治水の神として祀ったのが起こりともいう。所在地については、久世村綾戸宮を比定する(『神社明細帳』)、綾戸大明神を式内社として比定する。(京都府神社考証)。沓掛村の千児明神(『山城志』)とも、松尾大社摂社・堰神(『神社覈録』)とするなど諸説ある。 平安時代、876年、並従五位下が授けられた「山代大堰神」とは当社のことともいう。(『日本三代実録』) 江戸時代、保津川開削に関わった角倉了以(1554-1614)の当社信仰も篤かった。 ◆大井神社 当社とも関連があるとみられる大井神社が、保津川上流域にある。大井神社(亀岡市大井町並河1-3-25)は、別名を「鯉明神」といわれている。 奈良時代、710年に第43代・元明天皇の勅命により創建されたという。祭神は、御井神(木股命)、月読命、市杵島比売命になる。月読命・市杵島比売命は、保津川を亀と鯉に乗り遡ってきたという伝承がある。 大井神社は、延喜式内社の「山城国乙訓郡 大井神社」の後裔社ともされる。否定説もある。 ◆建築 現在の社殿は、野宮神社の旧殿を移築している。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京の古代社寺 京都の式内社と古代寺院』、『京都・山城寺院神社大事典』、『昭和京都名所図会 4 洛西』、『京都大事典』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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