月読神社 (京都市西京区)
Tsukiyomi-jinja Shrine
月読神社   月読神社
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正門


拝殿






本殿


本殿


本殿




聖徳太子(厩戸王)社


御船社

月延石の祈願石、子授けを願う人々の祈りが込められている。石英班石。




願掛け陰陽石、左右の石を撫で祈願する。


「式内大社月読社累代祀官遠祖 押見宿祢霊社遺跡」
 松尾大社の南に位置する月読神社(つきよみ/つくよみ-じんじゃ)は、渡来系氏族・秦氏との関連が深い。現在は松尾大社の境外摂社になる。「松尾七社」の一つに数えられる。 
 祭神は月読尊(つきよみのみこと)、伊耶那岐命尊(いざなぎのみこと)、伊耶那美命尊(いざなみのみこと)を祀る。
 式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「葛野郡 二十座 大十四座 小六座」の「葛野坐月讀神社(名神大、月次・新嘗)」に比定されている。
 月読神は疱瘡(ほうそう、天然痘)の神としても信仰されてきた。神功皇后(じんぐう こうごう)ゆかりの月延石(つきのべいし)は安産、子授けの信仰を集める。御朱印が授けられる。
◆歴史年表 創建の詳細不明。
 古墳時代、487年、第23代・顕宗(けんぞう/けんそう)天皇の勅命により、阿閇臣事代(あべのおみことしろ)が、任那から帰国した。月の神の神託により壱岐・対馬を本拠とした壱岐県主(いきのあがたぬし)が、祖神・天月神命(あめのつきのかみ)を祀ったという。壱岐では壱岐氏により海上神として祀られていたものが当地に勧請されたとみられる。(『日本書紀』)
 また、阿閇臣事代が朝鮮に遣わされる際に、壱岐で月読尊が依り憑き宣託した。天皇に奏上し、山城国葛野郡、歌荒樔田(うたのあらすだ、宇多野の荒洲田)の地に社を創建したという。(『日本書紀』)。場所は、現在地の月読付近とも、桂川岸の桂上野(西京区桂上野町月読塚)付近、下嵯峨の斎宮神社付近ともいう。
 飛鳥時代、701年、4月、月読神の名が記されている。神稲を中臣氏に賜ったという。(『続日本紀』、同年の条)。それ以前に、当社は祀られていたとみられる。
 平安時代、853年、都に痘瘡が流行し、月神が現れたという。宣託があり、祀られているところは大堰川に近いため、しばしば洪水に遭う。松尾の南の山に遷すと、悪疫は終息するだろうと伝えたという。
 856年、3月、桂川の度重なる氾濫を避け、社殿は現在地(松尾の南山)に移ったという。(『日本文徳実録』)。この時、壱岐・県主・祖押見宿祢(おしみのすくね)が奉仕し、天月神を遷し祀ったという。
 859年、正二位の神階に進む。
 870年、葛野鋳金所で新銭が鋳造され、貨幣をたてまつり祈念する。(『日本三代実録』)
 906年、正一位名神(みょうじん)大社の神階になる。以来、押見宿祢の子孫が神職を継承した。
 922年、月読社長官・伊伎雪雄が亡くなる。(『松尾社系図』
 927年、「葛野坐月読(かどのにいますつきよみ)神社」とあり、名神大社に列した。(『延喜式』)。
 中世(鎌倉時代-室町時代)以降、松尾大社に押されて衰微する。
 室町時代、1562年、幕府は社領を安堵する。(「松尾月読社文書」)
 1566年、幕府は社領、禰宜職田を安堵する。(「松尾月読社文書」)
 江戸時代まで、境内に神宮寺があり、法輪山福養寺が管理した六坊が置かれた。
 近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、坊は消滅した。本尊の薬師如来像も近くの両讃寺に遷された。石清水八幡宮が戦火を避け、一時、当地に遷座した。
 1878年、1877年とも、松尾大社の摂社になる。
 1893年、現在の社殿が再建されている。
 現代、1999年、本殿が改修される。
◆阿閇臣事代 古代の豪族・阿閇臣事代(あえの ことしろ、?-?)。詳細不明。487年、月神と日神の託宣を朝廷に伝えた。朝廷は月神を山背の歌荒樔田(うたあらすだ)に、日神を大和・磐余田(いわれだ)に奉る。『日本書紀』に記されている。
◆神功皇后 古代の皇后・神功皇后(じんぐう-こうごう、170?-269?)。気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)。詳細不明。父は第9代・開化天皇の曾孫、母は新羅より但馬に渡来した、海檜槍(あまのひほこ)玄孫・葛城高顙媛(かずらきのたかぬかひめ)。第14代・仲哀天皇の皇后になる。天皇が九州に熊襲を討つために赴き、筑紫・橿日(香椎)宮で急死した。同行した皇后は妊娠中にもかかわらず、武内宿禰(たけしうちのすくね)と新羅遠征し、勝利したという。筑紫に帰り、第15代・応神天皇を産んだという。記紀に「三韓征伐物語」として登場する。
◆摂社 ◈境内社「御魂(みたま)神社」は「くさがみさん」といわれ、腫れ物の治癒に効験あるという。
 ◈「聖徳太子(厩戸王)社」は、学問の神として知られる。聖厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)と秦河勝との深いつながりもあったという。
 ◈「御船(おふね、御舟)社」の祭神は、天鳥舟命(あめのとりふねのみこと)になる。昭和期(1926-1989)に建立された。航海安全、交通安全の信仰を集める。松尾大社の神幸祭の前日には、社前で祭儀が執り行われる。神輿渡御の道中の安全祈願も行われている。
◆建築 正門、本殿、拝殿、摂社がある。
 ◈「本殿」は、江戸時代の建立による。檜皮葺。
 ◈「拝殿」は、現代、1971年に銅板葺に葺き替えられた。
◆桂 『山城国風土記』には、桂の地名の由来がある。月読神が保食(うけもち)神のもとへ赴く際に、桂の木に依りついたことから桂の地名が起源という。
 江戸時代には、この一帯には神聖樹・桂の木が多く、「桂の里」と呼ばれていたという。(『都名所図会』)
◆月延石 本殿右に神功皇后(170?- 269?)ゆかりという「月延石(つきのべのいし、安産石)」が祀られている。
 「月延(つきのべ)」の「月」は出産に深くかかわる。「月延」とは「月の物が延びるため」ともいう。また、「月読社の辺(月の辺石[つきのべいし] )」の付会ともいう。石を撫でて子授け、安産祈願をする。石は3個あり、チャートの上にあり、1つは花崗岩、2つは砂岩になる。
 「願掛け陰陽石」は、左右の石を撫で祈願する。
 伝承がある。神宮皇后による新羅攻略(「三韓征伐」)では、亡き夫・仲哀天皇に代わり、神宮皇后が戦争の指揮を取った。この時、皇后は懐妊中だったため、出産を遅らせるように、石を腹に抱いて出征した。その後、石を取ると安産したという。
 石は「鎮懐石(ちんかいせき)」とも呼ばれた。石はかつて、筑紫国伊都(いと、伊斗)県にあった。(『日本書紀』『古事記』)。その後、落雷により三段に分かれる。(『筑前国風土記』)。飛鳥時代、630年に第34代・舒明天皇は伊都に使者を遣わし、この割れた神石の一段を京都に持ち帰ったという。(『雍州府志』)。それが、当社に祀られている月延石とされる。
◆押見宿祢 鳥居脇に「式内大社月読社累代祀官遠祖 押見宿祢霊社遺跡」の石碑が立つ。押見宿祢(おしみのすくね)の姓について刻まれている。
 古墳時代、487年、荒樔田に月読社が創建された際に、伊岐県主の祖・押見宿祢が祀官に就いたという。以後、子孫もその職にあり、姓を伊岐と称した。(『日本書紀』)
 9世紀、水害により社殿はこの地に遷り、松室氏と改称した。12世紀初めに、第78代・二条天皇皇后・六条帝の母・育子(藤原育子、ふじわら-の-むねこ/いくし、1146-1173)を出した。江戸時代、17分家に分かれ、男子は非蔵人、女子は御局として宮中に仕える者を多く出した。近代、同族は四散したという。
 「式内大社月読社累代祀官遠祖 押見宿祢霊社遺跡」、「日本書紀によれば顕宗天皇の三年歌荒棟田に月読社が創祀せられ伊岐県主の祖押見宿祢が祀官となったといふ 宿祢の子孫は世々その職を伝へ伊岐を姓としたが 九世紀に入り水害のため神社を奉じてこの地に移るや松室氏を称した 一族栄え十二世紀初めには二条帝の皇后六条帝の御生母育子を出すに至った 江戸時代十七分家は男子は非蔵人女子は御局として宮中に仕へた者が多い維新後時世変易同族四散するに至つたがこの度血脈を伝ふる者相謀り 曾て押見宿祢を祀る霊社も存じたこの地に碑を建て 祖宗縁故の由来を記すものである」、松室同族会により1967年に建立。
◆歌荒樔田 月読社は山城国葛野郡、歌荒樔田(うたあらすだ/うたのあらすだ、宇多野の荒洲田)の地に創建されたという。(『日本書紀』)。
 その場所については、現在地の月読付近、桂川岸の桂上野・桂里(西京区桂上野町月読塚)付近、宇太村、下嵯峨の斎宮神社付近、有栖川などの説がある。
◆解穢の水 山中より境内に流れ出ている「解穢(かいわい)の水」がある。自己の罪、穢れを除くという。
◆樹木 境内の「結びの木」は、サカキ3本が一つになっている。 


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*参考文献 『松尾大社』『京の古代社寺 京都の式内社と古代寺院』『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 上』『昭和京都名所図会 4 洛西』『京都の自然ふしぎ見聞録』『京都の寺社505を歩く 下』『京都大事典』『京都 神社と寺院の森』『京都の隠れた御朱印ブック』『週刊 京都を歩く 18 桂・松尾』、ウェブサイト「コトバンク」


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結びの木

解穢(かいわい)の水、裏山の山水が引かれている。
月読神社 〒615-8296 京都市西京区松室山添町15   075-394-6263   5:00-18:00
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