文子天満宮 (京都市下京区) 
Ayako-temmangu Shrine
文子天満宮 文子天満宮
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 天神町の文子天満宮(あやこ てんまんぐう)は、正式には文子天満宮神社という。この地は、天神信仰発祥の神社といわれ、北野天満宮の前身ともされている。
 祭神は菅原道真(すがわら の みちざね)を祀る御霊社になる。
 洛陽天満宮二十五社の一つに数えられる。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、942年、菅原道真の乳母だったという多治比文子(たじひ の あやこ)は、「われを右近の馬場(現在の北野天満宮)に祀れ」との道真の託宣(お告げ)を受けたという。だが、文子は貧しく、社殿を建立することがかなわなかった。そのため、右京七条二坊の自宅庭先(現在地)に小さな祠を建て、道真を祀ったという。また、西京七条の「賎女」という身を憚って、自宅に祀ったともいう。これが、当社の起源と伝えられ、道真を天神信仰した初めともいわれる。(『北野天満宮縁起』)。自宅の所在地については異説もある。
 947年、近江比良宮の禰宜・神良種(みわの よしたね)の7歳の男児・太郎丸にも同じく託宣があり、朝日寺の最鎮とともに北野寺を設けたという。道真の御霊は寺に遷され、時平の甥・藤原師輔(ふじわらの もろすけ)により増築され神宝を献じたという。
 安土・桃山時代-江戸時代、慶長年間(1596-1615)以後、現在地に勧請されたともいう。(『坊目誌』)
 1602年、東本願寺創建に伴い、寺領地になる。宣如上人より自筆神号、名号が奉納された。当社は、東本願寺により勧請されたともいう。
 江戸時代、1788年、天明の大火で焼失している。
 1858年、安政の大火で焼失した。
 1864年、大火で類焼し、その後再建されている。
 近代まで、北野社の社家・上月家は、文子の子孫ともいわれ、北野の巫女を務め、代々文子と名乗っていたという。
 近代、1918年、現在の社殿が造営されている。
◆多治比文子 平安時代の巫女・多治比文子(たじひ の あやこ、生没年不詳)。奇子、綾子、あや子。菅原道真の乳母、巫女ともいう。平安京右京七条二坊十三町に住した。942年、天神の神託により北野に社殿を建て祭祀することを託宣した。だが、財なくやむなく自邸に叢祠を祀った。947年、北野に遷し、北野天満宮創祀者のひとりになる。
◆末社 末社・老松社(おいまつしゃ)の祭神は、菅原道真の家臣だった島田忠臣翁(しまだただおみおう)であり、植林林業の神になる。
 福部社(ふくべしゃ)の祭神は、十川能福(そがわのうふく)であり、道真に仕えた舎人(とねり、牛馬の世話役)であり、開運招福の神になる。
 火之御子社(ひのみこしゃ)の祭神は、火雷神(いかづち)であり、雷除け、五穀豊穣になる。
 白太夫社(しらたゆうしゃ)の祭神は、道真の守役だった伊勢神宮の渡会春彦翁(わたらいはるひこおう)であり、子宝の神を祀る。
◆樹木 オガタマノキがある。
◆年間行事 例祭(4月16日に近い第三日曜日)、火焚祭(11月3日)。


*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都古社寺辞典』『京都大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『昭和京都名所図会 5 洛中』『京のしあわせめぐり55』『京都 神社と寺院の森』


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手水舎

手水舎

本殿

本殿
本殿 本殿
本殿
本殿

文子殿
文子殿

白瀧稲荷大明神

白瀧稲荷大明神

白瀧稲荷大明神

白瀧稲荷大明神

白瀧稲荷大明神

オガタマノキ

白太夫(しらたゆうしゃ)社、祭神・渡会春彦翁(わたらいはるひこおう)、子宝の神

老松社(おいまつしゃ)、祭神・島田忠臣翁、森林林業の神
福部社(ふくべしゃ)、祭神・十川龍福(そがわのうふく)、開運招福の神、
火之御子社(ひのみこしゃ)、祭神・火雷神(いかづち)、雷除、五穀豊穣

文子託宣の像

文子託宣の図

北野天満宮遥拝所

菅公腰掛の石、道真が左遷の際に立ち寄り腰掛けたとという石
 文子天満宮 〒600-8184 京都市下京区天神町400,間之町通花屋町下る  075-361-0996
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