誠心院 (京都市中京区)
Seishin-in Temple
誠心院  誠心院 
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山門、1997年再建 






鈴成り輪(魔尼車)、輪を一回回せば経典を一回読誦した功徳が得られるという。知恵授け・恋授けの信仰を集める。古い灯篭の竿と台座を使ったという。

小御堂(本堂)



小御堂




式部千願観音像


神変大菩薩(神変さん、水かけの行者さん)、役の行者像に水をかけ祈念する。幕末の大火で焼失した木像を再興した。


墓地に、二十五菩薩像、阿弥陀如来、観音菩薩・勢至菩薩などが立つ。



長唄、杵屋六左衛門の碑
 新京極通に面した誠心院(せいしんいん)は、かつて「じょうしんいん」と称されていた。平安時代の歌人和泉式部に縁深く、「和泉式部誠心院」「和泉式部寺」ともいわれる。式部町の町名も残されている。
 華岳山東北寺(かごくざん とうぼくじ)誠心院と号する。 
 真言宗泉涌寺派、本尊は阿弥陀如来像が安置されている。
 1915年の大典記念21ヶ寺の第10番。御朱印が授けられる。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、1027年、上東門院彰子(藤原彰子)は、父・藤原道長に勧め、東北寺誠心院を建立したという。法成寺(ほうじょうじ)境内、東北院の傍ら(現在の京都御所東、荒神口辺り)にあった。寺名は、初代住持・和泉式部の法名「誠心院専意法尼」に因むという。
 鎌倉時代、鴨川の氾濫などにより、現在地の南(小川通一条上ル)に移転している。この頃、泉涌寺の末寺に属した。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1591)、豊臣秀吉の都市改造により、誓願寺とともに現在地に移転になった。
 江戸時代末期、1864年、禁門の変により焼失している。
 近代、1872年、京都の再生のために通された新京極通(三条通-四条通)が境内を分断し、その後荒廃した。
 現代、1997年、山門が再建されている。
◆藤原彰子 平安時代の上東門院彰子(じょうとうもんいん あきこ、988-1074)。公卿・藤原道長(966-1028)の娘。999年、入内し、1000年、第66代・一条天皇の中宮となり、第68代・後一条、第69代・後朱雀両天皇を産む。1026年、上東門院の院号宣下、藤原氏全盛期の中宮として女官・歌人の紫式部(生没年不詳)、伊勢大輔(989?-1060)、赤染衛門(956?-1041)らの才女を集めた。
◆和泉式部 平安時代の歌人・和泉式部(いずみ しきぶ、978/974?-1014?)。父は越前守・大江雅致(まさむね)、母は越中守・平保衡の娘。美貌と歌才に恵まれ、第63代・冷泉天皇の皇后・昌子に女房として仕える。20歳頃、官人・橘道貞と結婚、999年、夫が和泉守となり、娘で歌人・小式部内侍を産む。夫の任国、父の官名により「和泉式部」と呼ばれた。冷泉天皇の第3皇子・弾正宮為尊親王の寵愛を受けた。1002年、為尊親王が亡くなる。24、25歳で、夫の心離れから別居し、親から勘当された。1003年、為尊親王の同母弟・帥宮(そちのみや)敦道親王に寵愛される。その邸に迎えられ、正妃・北の方は屋敷を去る。敦道親王との間の子・永覚、1007年、敦道親王も相次いで喪う。寛弘末年(1008-1011)、一条天皇の中宮彰子に女房として出仕する。紫式部、赤染衛門とも交流した。藤原道長の計らいにより、33歳頃、丹後の守・公家・藤原保昌と再婚した。1025年、娘・小式部内侍を喪う。1036年、夫も喪う。後、出家、専意と称した。東北院内の小御堂に住し、朝夕に本尊・阿弥陀如来を詣でたという。
 王朝女流歌人の中で第一人者とされ、『拾遺集』に多数入集、敦道親王との恋を記した『和泉式部日記』、和歌『和泉式部集』などがある。中古三十六歌仙の一人。誠心院に墓とされる宝篋印塔がある。
◆山口甚介 安土・桃山時代の武将・山口甚介(?-1583)。甲賀五十三家の多羅尾光俊の六男。山口氏の養子となる。信長に仕え、山口城(宇治田原城)城主となる。豊臣秀吉の命を受け、誠心院を移転、再興させた。1583年、伏見で没したという。
 誠心院の中興の檀越であり、一族の墓がある。
◆山口正弘 安土・桃山時代の武将・山口正弘(やまぐち まさひろ、1545-1600)。宗永、玄蕃頭(げんばのかみ)。尾張国鳴海の山口甚介光広の子。豊臣秀吉に仕え、1583年、賤ケ岳の戦で戦功をあげる。1589年頃、丹波の山奉行。秀吉の命により、秀吉の養子・小早川秀秋の補佐役となる。1597年、慶長の役で朝鮮に渡る。秀秋と不和、その後、秀吉に仕え、加賀・大聖寺城主。1600年、関ケ原の戦で西軍に属し石田三成に与した。大聖寺(だいしょうじ)城に籠り、東軍・前田利長と戦う。落城し自刃した。
 誠心院の再興に尽力し、一族の墓もある。
◆池西言水 江戸時代前期-中期の俳人・池西言水(いけにし ごんすい、1650-1722)。奈良の生まれ。松江重頼の門人ともいう。江戸の松尾芭蕉、椎本才麿らと交遊した。談林派の俳人として先鋭的に活躍し、のち蕉風になる。1682年以降、京都に移る。北越、奥羽、九州などに行脚した。「木枯の果はありけり海の音」の句により、「木枯の言水」と呼ばれた。編著「江戸新道」「京日記」。
 墓は誠心院にある。「紫藤軒言水」と刻まれているル
◆仏像・木像・石像 小御堂(こみどう、本堂)の本尊「阿弥陀如来像」は、上東門院彰子より贈られたという。尼僧姿の「和泉式部坐像」、「藤原道長像」が安置されている。
 墓地に、石像の二十五菩薩像、阿弥陀如来、観音菩薩・勢至菩薩などが立つ。謡曲「誓願寺」では、和泉式部の往生の際に二十五菩薩と共に現れる。像は、安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)に、宇治田原城城主・山口甚介により寄進された。
◆式部墓 鎌倉時代、1313年改修の「法篋(ほうきょう)印塔」(高さ約4m、幅2.4m)がある。和泉式部の墓という。
 伝承がある。和泉式部は、娘の小式部内侍(999-1025)に先立たれ、無常感から女官2人とともに播州・書写山の天台僧・性空(しょうくう、910-1007)を訪ねる。上人は、阿弥陀如来の化身、石清水八幡宮の八幡大菩薩により、女人往生できると告げる。式部が、石清水での7日7夜のお籠りをすると、夢に八幡大菩薩が現れる。「神の道に入り、久しく仏の道を忘れた。誓願寺の阿弥陀如来は一切衆生を極楽へと導くので、誓願寺で祈るよう」にと告げる。
 和泉式部は、誓願寺に48日間参籠し、六字名号を念仏した。すると霊夢に老尼が現れ、女人往生の信仰を得る。そこで剃髪し、専意と称した。庵は道長より贈られ、当時、女性にはできないといわれていた女人往生を成し遂げたという。庵室はその後、現在地に移り、当院になったという。
 墓碑は、室町時代の謡曲「誓願寺」にも登場する。「わらわがすみかも他所ならず。あの石塔こそすみかにてさむらへ。不思議やなあの石塔は和泉式部の御墓とこそ聞きつるにそもすみかとは不審なり」。
◆謡曲 室町時代の世阿弥(1363? -1443?)作という謡曲「誓願寺」では、本院が舞台になっている。
 鎌倉時代、時衆(宗)の一遍(1239-1289)は、熊野権現に参籠し、「南無阿弥陀仏決定往生六十万人」の札を広めよとの霊夢をみる。誓願寺で御札を配っていると、一人の女が現れる。御札を見て、女は「六十万人より外は往生できないのか」と問う。一遍は、「南無阿弥陀仏とさえ唱えれば、誰もが必ず往生できる」と説く。女は、本尊・阿弥陀如来の御告げといい、 本堂の「誓願寺」の寺額に替え、「南無阿弥陀仏」と名号を書くように言い残し、近くの和泉式部の墓に姿を消す。
 一遍が名号を本堂に掲げると、瑞雲に立つ阿弥陀如来と二十五菩薩、歌舞の菩薩と化した和泉式部が現れる。誓願寺縁起が語られ、阿弥陀如来が西方浄土より 誓願寺に来迎する舞が舞われ、皆が額に合掌礼拝する筋立てになっている。
◆文化財  和泉式部の遺品という打掛で作った屏風がある。
 江戸時代、狩野派筆「和泉式部 尼僧の姿図」、江戸時代、休圓筆「和泉式部図」、江戸時代「和泉式部像」、江戸時代、静居編纂『和泉式部全集』(13巻)、江戸時代、『和泉式部縁起絵巻』(上下二巻)。
◆軒端の梅 本堂前に式部が愛したという「軒端(のきは)の梅」が植えられていた。
◆墓 和泉式部の墓といわれる宝篋印塔(重美)がある。鎌倉時代後期の作であり、基礎は複弁反花、塔身に阿弥陀三尊の梵字、笠石の隅飾突起は輪郭付三孤別石、宝珠は追補になる。鎌倉時代、「正和二年(1313)」の銘がある。3.4m、花崗岩製。
 
山口甚介一族の墓がある。
◆年間行事 和泉式部忌(謡曲「東北」「誓願寺」を奉納する。)(3月21日)。 
     

*年間行事(拝観)などは、中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 上』『京都 歴史案内』『京都大事典』『京都の寺社505を歩く 上』『おんなの史跡を歩く』『京を彩った女たち』『京都の隠れた御朱印ブック』

 
  誓願寺      廬山寺     貴船神社      石清水八幡宮     和泉式部の塚                 

山口甚介一族の墓

和泉式部の墓といわれる宝篋印塔(重美)

和泉式部の歌碑「霞たつ 春きにけりと この花を 見るにぞ鳥の 声も待たるる」江戸時代、脇に「軒端(のきば)の梅」が植えられており、これは式部が生前愛したものを後世に植えたものという。 
 誠心院 〒604-8047 京都市中京区中筋町487,新京極通六角下る東側  075-221-6331  7:00-19:00
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