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| 東光寺 (京都市下京区) Toko-ji Temple |
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| 東光寺 | 東光寺 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 【参照】東本願寺前、市電の古写真、掲示板より ![]() 【参照】東本願寺前、市電の古写真、掲示板より ![]() 【参照】「粉川町(こがわ-ちょう)」の町名板 |
京都駅近く不明門通七条上ルに東光寺(とうこう-じ)はある。 真宗大谷派(東本願寺)、本尊は阿弥陀如来を安置している。 ◆歴史年表 創建・変遷の詳細は不明。 古く、真宗本廟(東本願寺)の寺内に学坊の「東坊」があり、東本願寺の僧侶(御堂衆)の研鑽の場だった。 江戸時代、1655年、当時の御門首・14代・琢如により、東坊を拠点に「学寮」が草創された。 1678年、学寮は、渉成園北西の長屋へ移転する。東坊から場を移した際に、講師として指導をしていた了海が、東坊を本山より譲り受けた。 その後、後継の了円が東光寺を開く。 ◆琢如 江戸時代前期の浄土真宗の僧・琢如(たくにょ、1625-1671)。男性。名は光瑛、別号は愚玄。京都の生まれ。父・宣如の次男。1653年、真宗大谷派14世になり、東山大谷に祖廟を造営する。1664年、渉成園に退隠した。園内に高倉学寮を創設した。47歳。 ◆了海 江戸時代の浄土真宗の僧・了海(?-?)。詳細不明。東坊学寮の講師として指導した。東坊を本山より譲り受けた。 ◆了円 江戸時代の浄土真宗の僧・了円(?-?)。詳細不明。東光寺を開く。 ◆建築 「座敷御堂」は、簡素な御堂の造りであり、特徴として学坊の名残がある。 ◆高倉学寮・大谷大学 東本願寺の学問機関「学寮(がくりょう)」は、大谷大学の前身になる。 江戸時代前期、1665年に東本願寺寺内に「学寮」が創設される。1678年、学寮は渉成園(枳殻邸)内に移された。江戸時代中期、1755年に、学寮は高倉通魚棚に移され、「高倉学寮」と呼称された。以後、宗学研究・研鑽の場として隆盛し、全国寺院子弟らの教育の場として発展した。 近代、1868年に、 「護法場」が学寮内井波屋敷に設置される。国学・儒学・天学(天文地理)・洋教(キリスト教)、仏教を学ぶ場になった。1873年に、高倉学寮と護法場は「貫練場」と改称される。1874年、貫練場内に宗学・華厳・天台・倶舎・唯識・外学の6科の寮舎が設置される。1879年、貫練場は「貫練教校」と改称された。1882年に、貫練教校を改め、「真宗大学寮」と称する。1888年に、大学寮組織を改め兼学部・専門部及び安居とした。1889年に、大学寮に専門本科を開設する。修業年限を3年とした。1892年、大学寮に研究科開設、3年以上5年以下とした。1894年、修業年限を4年とする。1896年、大学寮の機構を解き、「真宗大学」を設置する。安居を中心とした真宗高倉大学寮を別置した。1899年、真宗大学の学制を改め研究科を研究院と改称する。修業年限を5年とした。従来、本科4年であった修業年限を予科2年・本科3年とし、宗乗・華厳・天台・性相の4科を設ける。 1901年、真宗大学を東京巣鴨に移転し開校する。1904年、私立真宗大学は専門学校令により認可される。1907年に、真宗高倉大学寮を「高倉大学寮」と改称する。本科と別科を設置する。1911年に、真宗大学と高倉大学寮を併合し「真宗大谷大学」と改称する。大学は、京都に置くことが決定する。1912年、移転した。 1913年に、真宗大谷大学は、現在地(上賀茂小山)に移転し開設する。1920年、真宗大谷大学学則を改め、大学の修業年限を予科・本科・研究科各3年と定め、 学科目「宗乗」「余乗」の名称を「真宗学」「仏教学」と改称する。1922年、大谷大学は大学令による設立を認可される。 現代、1949年に、新制大谷大学を開設した。 ◆年間行事 修正会(しゅうしょうえ、勤行の後、七草粥をいただき談話がある)(1月7日)、春の彼岸会・永代経法要(3月)、秋の彼岸会・永代経法要(9月)、報恩講(浄土真宗宗祖・親鸞聖人の命日法要)(12月上旬)。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊年間行事(拝観)は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。 ❊参考文献・資料 ウェブサイト「東光寺」、ウェブサイト「大谷大学」、ウェブサイト「コトバンク」 |
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