浄土院・旧浄土寺 (京都市左京区)
Jodo-in Temple
浄土院  浄土院
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仏足石








浄土寺二位尼・丹後局(立像)
 銀閣寺の北隣にある浄土院(じょうどいん)は、境内南東の如意ヶ嶽(大文字山)で行われる五山送り火の大文字を管理する寺になる。このため、大文字寺ともいわれる。山号は清泰(せいたい)山という。
 浄土宗知恩院派寺、本尊は阿弥陀如来坐像。
 京の通称寺霊場第21番、大文字寺。文殊菩薩は知恵の寺めぐり(京都文殊霊場)の第3番。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代初期、円珍(智証大師、814-891)がこの地の浄土寺に住したという。
 986年、有明親王の妃・藤原暁子(?-?)が入寺し尼になる。
 平安時代中期、歌僧・恵慶(?-?)が住し、和歌の序を作る。
 1019年、第25世天台座主・明救(みょうぐ)は、天台宗の浄土寺を創建した。寺はそれ以前よりに存在していたともいう。(『日本紀略』)
 1036年、5月、第68代・後一条天皇が亡くなる。浄土寺の西の原で火葬され、一時、当寺に遺骨が安置された。
 平安時代末-鎌倉時代、高階栄子(1151?- 1216?)の山荘、持仏堂があったともいう。
 その後、寺運盛んになる。門主、寺院は分離し、寺院は延暦寺・金剛寿院の配下になる。門主は青蓮院に属した。
 室町時代、1443年、足利義教の子・義躬(よしみ)は浄土寺に入室させられ、義尋と称した。門主になる。
 応仁・文明の乱(1467-1477)で焼失した。
 1482年、足利義政により東山殿(後の銀閣寺)が造営された。これに伴い、浄土寺は相国寺の西(北築山町)へ移される。残された草堂は、泰誉浄久(たいよ じょうきゅう)により再興され、浄土宗に改められたという。また、草堂は銀閣寺の北に移し、浄土院としたともいう。
 江戸時代、1722年、浄土寺の寺名を受け継ぐために、塔頭を統合し浄土院が建立されたという。
 1732年、随誉(ずいよ)により、堂宇が再建された。浄土寺の残った一宇を寺としたという。(『山城名勝志』)
 近代、昭和期(1926-1989)初期、現在の堂宇が再建されている。
◆明救 平安時代中期の天台宗の僧・明救(みょうぐ、946-1020)。第60代・醍醐天皇の皇子・有明(ありあきら)親王の王子。幼くして比叡山の天台座主・延昌(えんしょう)に師事、出家した。浄土寺に住し、浄土寺の座主と称された。998年、藤原道長の病平癒に修法し、1002年、道長室・源倫子の仁和寺大般若経供養奉仕、1008年、中宮・藤原彰子御産の祈祷、1013年、道長の法性寺五壇修法奉仕、宮中の祈祷なども行う。1013年、第67代・三条天皇の眼病平癒の功により権僧正に任じられる。1019年、僧正、25世・天台座主になる。
◆高階栄子 平安時代-鎌倉時代の女性政治家・高階栄子(たかしな の えいし、1151?-1216)。丹後局(たんごのつぼね)。父は延暦寺法印・澄雲(ちょううん)。僧章尋とも。母は建春門院平滋子の乳母・若狭局(平政子)とも。後白河法皇(第77代)の近臣・相模守・平業房に嫁した。治承年間(1177-1181)初め、法皇の寵愛を得て夫の出世を後押した。業兼、教成(法皇命により山科実教の養子)、女子3人を産む。1179年、平清盛が法皇を鳥羽殿に幽閉し、業房は伊豆に流され途中で殺害された。1181年、法皇との間に皇女・覲子(きんし、宣陽門院)を産む。1183年、栄子の意向で、第82代・後鳥羽天皇を践祚させる。1187年、従三位、1191年、従二位。1192年、法皇没後、出家し、膨大な長講堂領を娘・宣陽門院に伝領させた。源頼朝は娘の入内を望み、栄子に取り入る。栄子は、女院庁別当・源通親(みちちか)らと結び、1196年、九条兼実(かねざね)を失脚させた。晩年、夫・業房の所領に業房が建てた浄土寺(東山区)に住んだ。浄土寺二位尼と呼ばれたという。
 6人の子を育てる。「執権の女房」「日本の楊貴妃」「女性政治家の先駆者」ともいわれる。
◆足利義視 室町時代の武将・足利義視(あしかが よしみ、1439-1491)。義躬(よしみ)。義教の子、義政の弟。1443年、浄土寺に入室させられ義尋と称した。1464年、義政の後継に指定された。還俗して義視(よしみ)と改名する。1465年、参議・左中将、権大納言に進む。富子に義尚が生まれると将軍家跡目争いになる。1466年、義視暗殺を計画が起こる。1467年、応仁・文明の乱(1467-1477)により義視は伊勢に逃れ、西軍に投じ将軍格になる。乱後は、美濃茜部に寓居した。1490年、義政の死で嫡男・義材(義稙)の後見になり、義材任官、准后の宣を受けた。
◆仏像 ◈本尊の「阿弥陀如来坐像」は、平安時代作とされる。浄土寺の旧仏という。足利義政(1436-1490)の持仏という。(『坊目誌』)
 ◈「黒仏(藤原仏)」は、旧浄土寺の本尊と伝えられている。等身大になる。
 ◈本堂脇壇安置の「文殊菩薩像」(80cm)は、渡海文殊であり、従者2人がある。知恵の寺めぐり(京都文殊霊場)の第3番になる。
 ◈境内に「結縁小観音像」が立つ。仏足石がある。
◆送り火 五山送り火の一つ、大文字送り火(8月16日)の起源については伝承がある。かつて浄土寺が火災になった。本尊・阿弥陀仏は光明を放ち山頂に飛んだという。以来、火より免れたとして送り火が始まったともいう。
 送り火前日(8月15日)には、護摩木に願い事を書く。その後、護摩木は大文字山に運ばれる。大文字山には弘法大師像が祀られている。送り火当日(16日)、像前で住職による読経が行われ、午後8時に護摩木に点火される。
◆年間行事 お精霊送り盆施餓鬼法要(8月15日)、大文字五山送り火(当寺が管理する)(8月16日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『京都府の歴史散歩 中』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』『京都市の地名』『京のご利益めぐり』『京の福神めぐり』 、ウェブサイト「コトバンク」


銀閣寺    八神社   後一条天皇 菩提樹院陵    哲学の道     五山送り火       

本堂

聖観世音菩薩

如是水

【参照】五山送り火「大文字」
 
浄土院 〒606-8402 京都市左京区銀閣寺町30  075-771-5158  9:00-16:30
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