浄土院 (京都市左京区)
Jodo-in Temple
浄土院  浄土院
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 銀閣寺の北隣にある浄土院(じょうどいん)は、境内南東の如意ヶ嶽(大文字山)で行われる五山送り火の大文字を管理する寺になる。このため、大文字寺ともいわれる。山号は清泰(せいたい)山という。 
 浄土宗知恩院派寺、本尊は阿弥陀如来坐像。
 京の通称寺霊場21番、大文字寺。文殊菩薩は知恵の寺めぐり(京都文殊霊場)の3番。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、1019年、第25世天台座主・明救(みょうぐ)は、天台宗の浄土寺を創建した。寺はそれ以前よりに存在していたともいう。(「日本紀略」)
 平安時代末-鎌倉時代の女性・高階栄子(1151?- 1216?)の山荘、持仏堂があったともいう。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)で焼失した。
 1482年、足利義政により東山殿(後の銀閣寺)が造営された。これに伴い、浄土寺は相国寺の西へ移される。残された草堂は、泰誉浄久(たいよ じょうきゅう)により再興され、浄土宗に改められたという。また、草堂は銀閣寺の北に移し、浄土院としたともいう。
 江戸時代、1722年、浄土寺の寺名を受け継ぐため、塔頭を統合し浄土院が建立されたという。
 1732年、随誉(ずいよ)により、堂宇が再建された。浄土寺の残った一宇を寺としたという。(「山城名勝志」)
 近代、昭和期(1926-1989)初期、現在の堂宇が再建されている。
◆明救 平安時代中期の天台宗の僧・明救(みょうぐ、946-1020)。第60代・醍醐天皇の皇子・有明(ありあきら)親王の王子。幼くして比叡山の天台座主・延昌(えんしょう)に師事、出家した。浄土寺に住し、浄土寺の座主と称された。998年、藤原道長の病平癒に修法し、1002年、道長室・源倫子の仁和寺大般若経供養奉仕、1008年、中宮・藤原彰子御産の祈祷、1013年、道長の法性寺五壇修法奉仕、宮中の祈祷なども行う。1013年、第67代・三条天皇の眼病平癒の功により権僧正に任じられ、1019年、僧正、25世・天台座主。
◆丹後局 平安時代末-鎌倉時代の女性・丹後局(高階栄子、たかしな の えいし、1151?- 1216?)。美貌の人だったという。後白河法皇の側近・平業房の妻となる。1179年、夫は平清盛に殺害される。その後、後白河法皇の寵愛を受け、源頼朝とも親密な関係にあった。6人の子を育て、法皇に代わり政治に深く介入した。「日本の楊貴妃」「女性政治家の先駆者」ともいわれる。権勢を失って後、朝廷より身を退く。法皇没後、尼となり、亡き夫・業房の所領の浄土寺に隠棲したという。
◆仏像 本尊の「阿弥陀如来坐像」は、平安時代作とされる。浄土寺の旧仏という。足利義政(1436-1490)の持仏という。(『坊目誌』)
 「黒仏(藤原仏)」は、旧浄土寺の本尊と伝えられている。等身大。
 本堂脇段安置の「文殊菩薩像」(80cm)は、渡海文殊であり、従者2人がある。知恵の寺めぐり(京都文殊霊場)の3番になる。
 境内に結縁小観音像が立つ。仏足石がある。
◆送り火 五山送り火の一つ、大文字送り火(8月16日)の起源については伝承がある。かつて浄土寺が火災になった。本尊・阿弥陀仏は光明を放ち山頂に飛んだという。以来、火より免れたとして送り火が始まったともいう。
 送り火前日(8月15日)には、護摩木に願い事を書く。その後、護摩木は大文字山に運ばれる。大文字山には弘法大師像が祀られている。送り火当日(16日)、像前で住職による読経が行われ、護摩木に点火される。
◆年間行事 お精霊送り盆施餓鬼法要(8月15日)、大文字五山送り火(当寺が管理する)(8月16日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『京都府の歴史散歩 中』『京都市の地名』『京のご利益めぐり』『京の福神めぐり』


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仏足石

浄土寺二位尼・丹後局(立像)

本堂

聖観世音菩薩

如是水
 浄土院 〒606-8402 京都市左京区銀閣寺町30  075-771-5158  9:00-16:30
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