八神社 (京都市左京区)
Hachi-jinja Shrine
八神社   八神社 
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手水舎

手水舎


雨社


雨社
 大文字山の北西にある八神社(はち じんじゃ)の社号は、八神を祀ったことに因んでいる。八所神社、八所大明神、古くは山王十禅師社(さんのう じゅうぜんじ/じっせんじ しゃ)、十禅師大明神とも呼ばれた。
 かつて浄土寺、銀閣寺の鎮守社であり、旧浄土寺村の産土神として崇敬を集めた。
 祭神は、天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)、神皇産霊神(かみむすびかみ)、足皇産霊神(たるむすびのかみ)、生皇産霊神(いくむすびのかみ)、御饌津神(みけつかみ)、大宮乃売神(おおみやのめのかみ)、事代主神(ことしろぬしのかみ)の八神を祀る。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、大同年間(806-810)、延喜年間(901-923)、当社は創建されたともいう。
 1019年/986年以前、25世天台座主・明救が浄土寺を創建したという。現在の銀閣寺の地にあり、当社はその鎮守社であり、寺に隣接し広大な境内を有していたという。宮ノ前(現、銀閣寺町)、馬場(現、浄土寺馬場町)の地名が残る。
 室町時代、1482年、足利義政が浄土寺境内に東山殿(東山山荘)を造営した際に、浄土寺は相国寺の西に移転する。当社は、現在地に残された。
 江戸時代、浄土寺村の地主神になる。
 1681年、山王十禅師宮と称され、その祭礼について記されている。(『北肉魚山行記』)
◆明求 平安時代中期の天台宗の僧・明救(みょうぐ/みょうく、946-1020)。浄土寺の座主。第60代・醍醐天皇皇子・有明(ありあきら)親王の王子、母は左大臣・藤原仲平の娘。幼くして比叡山の天台座主・延昌(えんしょう)僧正に師事し、顕教・密教を学ぶ。延暦寺阿闍梨になる。慈照寺近く浄土寺に住し、浄土寺座主と称された。同寺に楽音院に阿闍梨3人を置く。998年、藤原道長の病の修善、1002年、道長室源倫子の仁和寺大般若経供養奉仕、1004年、僧綱職を辞職し弟子の如源に譲った。1008年、中宮・藤原彰子の御産祈祷を行う。1010年、修法の功により権大僧都になった。1013年、道長の法性寺五壇修法奉仕、1013年、第67代・三条天皇の眼病平癒を内裏で祈願し、権僧正に任じられる。1019年、25世・天台座主、僧正になる。75歳。
◆末社 末社の樹下稲荷大明神は、十禅師大明神、樹下社(じゅげしゃ)といわれる。豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)、また、稲倉魂命(うがのみたまのみこと)を祀るともいう。
 雨之社(雨社)は、山林、水を司る高龗神(たかおかみのかみ、龗神、高霹神)を祀る。
◆地名 周辺の地名にある鹿ヶ谷の「宮ノ前」、浄土寺町の「馬場」などは、かつて当社の境内にあった名残という。 
◆樹木 コジイがある。
◆年間行事 春季例祭(4月24日)、扇子感謝祭(8月8日)、秋季例祭(10月24日か直前の日曜日)、火焚祭(11月23日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都大事典』、『京都市の地名』、『京都府の歴史散歩 中』、『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、『京都の寺社505を歩く 上』、『京都 神社と寺院の森』、ウェブサイトコトバンク


銀閣寺(慈照寺)〔相国寺〕  浄土院        

雨社

雨社

樹下稲荷大明神

樹下稲荷大明神

樹下稲荷大明神

拝殿

拝所

拝所

本殿

本殿

本殿

スギの大木
八神社 〒606-8402 京都市左京区銀閣寺町26  075-771-5159
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