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後一条天皇 菩提樹院陵 (京都市左京区) Imperial mausoleum of Emperor Goichijo |
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後一条天皇 菩提樹院陵 | 後一条天皇 菩提樹院陵 |
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![]() ![]() 「後一条天皇 章子内親王 菩提樹院陵」の石標 ![]() ![]() ![]() |
吉田神楽岡町(よしだ-かぐらおか-ちょう)の菩提樹院陵(ぼだいじゅいん-の-みささぎ)には、平安時代中期の第68代・後一条天皇(ごいちじょう-てんのう)、その皇女・章子内親王(しょうし/あきこ-ないしんのう)が葬られている。 ◆歴史年表 平安時代、1036年、旧4月17日、後一条天皇は高倉殿で亡くなる。5月19日、浄土寺西の神楽岡で火葬にされた。遺骨は、一旦、浄土寺に安置される。火葬所跡に石卒塔婆を立て、周囲には木柵が囲まれた。 1036年/1037年、旧6月、天皇の母・藤原彰子は、火葬地に菩提寿院を建てる。 1040年、旧11月10日、菩提寿院に遺骨を遷した。天皇の真影を安置して菩提を弔った。 その後、戦乱などにより陵の所在は不明になる。 江戸時代、陵は「在原業平塚」と呼ばれていた。 幕末、現在地が陵所に定められた。その後、火葬所に改められる。 近代、1889年、7月、火葬所が陵に治定された。現在の「後一条天皇陵」に陵名が改められる。小墳は二条院墓とされた。 1906年、二条院墓は陵になり、「菩提樹院陵」と称される。 ◆後一条天皇 平安時代後期の第68代・後一条天皇(ごいちじょう-てんのう、1008-1036)。男性。敦成(あつひら) 。京都の生まれ。土御門殿で誕生した。父・第66代・一条天皇、母・藤原道長の娘・彰子(しょうし/あきこ、上東門院)の第2皇子。1008年、道長の意により一条天皇皇太子・敦康(あつやす)親王ではなく、外孫・敦成親王が第67代・三条天皇の皇太子になる。1016年、践祚(せんそ、皇嗣が天皇の地位を受け継ぐ)、9歳で即位した。敦良(あつよし)親王(第69代・後朱雀天皇)が皇太子になる。摂政は外祖父・道長による。1年ほどして、道長の長男・頼通(よりみち)が摂関になる。1018年、道長の意により、11歳で道長の娘・叔母・威子(いし)が入内し皇后になる。天皇は珍しくほかの妻を持たなかった。この時、道長の3人の娘が同時に后位に就く。ほかに、太皇太后(一条天皇中宮彰子)、皇太后(三条天皇中宮・妍子(けんし)になる。(天下三后)。威子の中宮になった祝いの宴で道長は「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることも無しと思へば」と詠んだ。1019年、刀伊の入寇(といのにゅうこう)、1028年、下総で平忠常が乱が起こる。1036年、高倉殿で亡くなった。29歳。 陵墓は菩提樹院陵(左京区)になる。 ◆二条院 平安時代後期の二条院(にじょういん、1027-1105)。女性。章子(しょうし/あきこ)。父・第66代・後一条天皇、母・藤原道長の娘・威子(いし)の第1皇女。1027年、2歳で内親王、5歳で着袴と同時に一品、准三宮になる。1037年、東宮親仁親王(後の第70代・後冷泉天皇)の妃になる。1045年、後冷泉天皇の即位により女御、1046年、中宮になる。1068年、皇太后、1069年、出家、太皇太后。1074年、二条院の院号を授けられる。天皇の母ではない女院の初例になった。80歳。 ◆陵墓 ◈天皇陵の陵形は円丘であり、南東面している。陵としては大規模であり、空堀がある。 平安時代後期、1036年、旧4月17日、後一条天皇は高倉殿で亡くなる。旧5月19日夜、浄土寺西の神楽岡東辺にある山作所(さんさくしょ/やまつくりどころ、 陵墓造営のための臨時に置かれた官司)中央に設けられた貴所屋で火葬にされた。翌朝、酒で火が消される。遺骨は、茶壺に納められ、中に呪砂を入れ、壺上に梵本の真言書1巻を結んだ。白皮で壺は縫われた。遺骨は、一旦、近くの浄土寺に安置される。火葬所跡は土で覆われ、石卒塔婆を立て、呪文・陀羅尼(だらに)を蔵めた。四周に木柵が囲まれ、周湟(しゅうこう、溝)を掘り植樹された。 1036年/1037年、旧6月、天皇の母・藤原彰子は、同所に菩提寿院を建てる。1040年、旧11月10日、遺骨を遷した。その後、戦乱などにより陵の所在は不明になる。江戸時代には、陵は在原業平塚と呼ばれていた。幕末、現在地が陵所に定められた。その後、火葬所に改められる。 近代、1889年、7月、火葬所が陵に治定された。現在の「後一条天皇陵」に陵名が改められる。 ◈二条院の陵は、天皇陵の南に相並び、東面している。封土、円丘になる。 66 一条天皇(在位 :986-1011) →67 三条天皇(在位 :1011-1016) →68 後一条天皇(在位 :1676-1696)→69 後朱雀天皇(在位 :1036-1045) *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『検証 天皇陵』、『天皇陵 謎解き完全ガイド』、『歴代天皇125代総覧』、『歴代天皇年号事典』、『昭和京都名所図会 2 洛東 下』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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