平安宮 内裏 清涼殿跡 (京都市上京区)  
Ruins of Heiangu-Dairi-Seiryoden(Government office)
平安宮 内裏 清涼殿跡 平安宮 内裏 清涼殿跡
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home

源氏物語ゆかりの地の説明板


平安宮復元図、赤茶色の建物群は内裏、現在地は赤字部分、源氏物語ゆかりの地の説明板より


平安時代の釉薬陶器、京都市埋蔵文化財研究所、源氏物語ゆかりの地の説明板より


『源氏物語』・「紅葉賀」、ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター
 下立売通千本東入ルに、「源氏物語ゆかりの地」、「平安宮 内裏 清涼殿跡(へいあんぐう-だいり-せいりょうでん-あと)」の説明板がある。
 平安時代にこの地には、平安京内裏の主要殿舎一つであり、天皇の日常の居所だった清涼殿が置かれていた。
◆歴史年表 平安時代前期、仁寿(じじゅう)殿が天皇の日常の居所になっていた。
 第52代・嵯峨天皇(在位:809-823)の時、清涼殿が後宮の拡大に伴い新設されたとみられている。 
 813年、9月、「宴皇太弟於清涼殿。具物用漢法」と記されている。(『類聚国史』32)
 第59代・宇多天皇の時(在位:887-897)から、清涼殿が天皇常住の御所になったともいう。
 960年、第62代・村上天皇の時、火災後に天皇の日常の居所は清涼殿に代わったともいう。
 1028年-1092年頃、「この宮の御乳母の夫中務大輔周頼とありし君を、この司召になさせ給へりしかば、せいらう殿をばそれ造る」と記されている。(『栄花』)
 1039年、第69代・後朱雀天皇の時、内裏火災以降に、天皇の日常の居所として里内裏の活用が増える。清涼殿はあまり使用されなくなる。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、天皇の居所として常御殿(つねのごてん)が建てられ、清涼殿では儀式のみを行う。
 江戸時代、1855年、京都御所に平安内裏を復原造営した清涼殿(現存)が建てられる。
 現代、2008年、3月、京都市により「源氏物語ゆかりの地」の説明板が設置された。
◆清涼殿 清涼殿(せいりょうでん/せいろうでん)は、平安京内裏・里内裏の主要殿舎であり、内裏十七殿の一つだった。平安時代中期-室町時代末期まで、天皇の日常の居所になっていた。中殿(ちゅうでん)、本殿、御殿、清涼清冷殿、西涼殿、路寝(ろしん)などとも呼ばれた。
 平安時代初期には内裏中央にあった仁寿(じじゅう)殿が担った。清涼殿の文献上の初見は9世紀初め、第52代・嵯峨天皇の時(在位:809-823)で、後宮の拡大に伴い新設されたとみられている。第59代・宇多天皇の時(在位: 887-897)から清涼殿が天皇常住の御所になる。また、960年の第62代・村上天皇の時、火災以後に清涼殿に代わったという。天皇の没後に建て替えられることもあった。
 律令政治の変化に伴い、清涼殿が政治の中心になる。東面では、四方拝、小朝拝、叙位、除目(じもく)、御前の評定、官奏、公卿僉議 (せんぎ) など公事(くじ)、政務、御遊なども行なわれた。1039年、第69代・後朱雀天皇の時、内裏火災以降は里内裏が取って代わり、清涼殿はあまり使用されなくなる。
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)に、天皇の居所として常御殿が建てられる。清涼殿では儀式を行うのみになった。なお、江戸時代、1855年に平安内裏を復原造営した清涼殿が京都御所に建てられている。
 清涼殿は、紫宸殿(ししんでん)の北西、校書殿(きょうしょでん)の北、後涼(こうりょう)殿の東、仁寿殿の西にあった。後涼殿(納殿、御厨子所など)、北の飛香舎(かぎょうしゃ、藤壺)とは渡殿(わたどの)で繋がっていた。
 清涼殿の南半分が公的施設、北半分が私的生活の場に使用された。母屋の南側5間には、御帳台(みちょうだい)、大床子(だいしょうじ)を置いた。その北に居間の昼御座(ひのおまし)、寝室の夜御殿(よるのおとど)、その東に夜居の護持僧の間、北に后妃が伺侯した藤壺上御局(ふじつぼのうえのみつぼね)、萩(はぎ)の戸の2室に分かれていた。
 東庇は南側から石灰壇(いしばいのだん)、平敷の昼御座、二間、后妃の弘徽殿上御局(こきでんのうえのみつぼね)があった。公卿などの座になる東孫庇(弘庇[ひろびさし])には、北端に布張りの衝立、荒海障子(あらうみのそうじ)が置かれた。表に荒海の畔に手長・足長の怪物図が描かれていた。二間の前には、布張りの昆明池障子(こんめいちのそうじ)の表に、中国昆明池の図があった。南端に鳴板(なるいた)があり、年中行事障子、小板敷があった。東簀子に東庭へ下りる階段が2カ所あった。簀子に沿い御溝水(みかわみず)が流れ、その前に河竹(かわたけ)・呉竹(くれたけ)が植えられていた。
 西庇は北側から御湯殿(おゆどの)、御手水間(おちょうずのま)、朝餉間(あさがれいのま)、台盤所(だいばんどころ)、鬼間(おにのま)があった。これらは、天皇の洗面、食事・準備などに使用された。西庭の朝餉壺(あさがれいのつぼ)、台盤所壺に面した。
 南庇は、公卿、殿上人が詰める殿上の間(てんじょうのま)になっていた。
 東向、南北9間東西2間、単層、入母屋造、素木(しらき)造、檜皮葺、母屋の四面に庇、東に孫庇、簀子を廻らた。
◆源氏物語 『源氏物語』では冒頭に清涼殿桐壺が登場する。帝が愛する桐壺更衣を亡くし、悲しみのあまり食事に手を付けなかった様が描かれている。
 第7帖「紅葉賀(もみじのが)」では、清涼殿東庭で身重の藤壺女御を前に、光源氏が頭中将(とうのちゅうじょう)とともに青海波を舞う。
 光源氏の元服は、清涼殿の東庇で行われた。 


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市の説明板「源氏物語ゆかりの地」、『源氏物語ゆかりの地』、ウェブサイト「源氏香の図-ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター」、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺,relevance&surrounding area平安京・大極殿遺跡  関連・周辺,relevance&surrounding area京都御所・京都御苑1  関連・周辺,relevance&surrounding area京都御所・京都御苑2  周辺,surrounding area  関連,relevance歴代天皇データ     
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 平安宮 内裏 清涼殿跡 〒602-8163 京都市上京区田中町,下立売通千本東入ル
50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop 50音索引,Japanese alphabetical order  Hometop
logo,kyotofukoh © 2006- Kyotofukoh,京都風光