平安宮 一本御書所跡 (京都市上京区)  
Ruins of Heiankyu-Ippongoshodokoro(Government office)
平安宮 一本御書所跡 平安宮 一本御書所跡
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「平安宮 一本御書所跡」の石標

 下立売通智恵光院西入ル北側に「平安宮 一本御書所跡(へいあんきゅう-いっぽんごしょどころ-あと)」の石標が立つ。
 平安時代にこの地に一本御書所があった。書籍を書写して保管管理しておく役所だった。
◆歴史年表 平安時代、この付近に一本御書所が置かれた。
 948年、3月、「本宮御書所預、書手等便補一本御書所何」と記されている。(『貞信公記』)
 964年、10月条、一本御書所で清書した222巻を、大蔵省の野御倉に遷納したと記されている。(『日本紀略』)
 第74代・鳥羽天皇(在位:1107-1123)、第75代・崇徳天皇(在位:1123-1141)が度々行幸した。
 1159年、平治の乱の際に、公卿・藤原信頼らが後白河院(第77代)を一本御書所に押し込めたという。(『平治物語』)
 現代、2005年、11月、全京都建設協同組合創立50周年記念として石標が立てられた。
◆一本御書所 一本御書所(いっぽんごしょどころ)は、平安宮(内裏)の東側、侍従所の南にあった。
 平安時代に、世に流布している書籍を、別に一本(一部)ずつ書写して保管管理しておく役所だった。また、「一本書(1冊のみの稀覯本、孤本、貴重文書)」を納めさせ保管していたともいう。職員には、公卿などを任じた別当、預(あずかり)、書手(しょしゅ)などがいた。
 平安時代中期、948年3月に「本宮御書所預、書手等便補一本御書所何」と記されている。(『貞信公記』)。964年10月13日条に、一本御書所で清書した222巻を、大蔵省の野御倉に遷納したと記されている。(『日本紀略』)。平安時代後期の第74代・鳥羽天皇(在位:1107-1123)、第75代・崇徳天皇(在位:1123-1141)が度々行幸した。1159年の平治の乱の際に公卿・藤原信頼らが後白河院(第77代)を一本御書所に押し込めたという。(『平治物語』)
 なお一本御書所は、平安時代の御書所(宮中の書物を管理した役所)、内御書所(天皇の書物を保管した役所)とは別組織だった。御書所の所在地について、現在地付近ともいう。(陽明文庫本『宮城図』)。また、内裏外郭北門(朔平門)西の式乾門(しきけんもん)内、東掖門(えきもん)だったともいう。内御書所については、内裏内の承香殿(じょうきょうでん)の東片庇にあったともいう。(『西宮記』)
◆平治の乱 平安時代後期、1156年の保元の乱後、勝利した第77代・後白河天皇は退位し院政を敷く。側近・信西(藤原通憲)は権勢をふるう。引き続く、1159年の平治の乱では、信西と藤原信頼の確執に、源平の平清盛と源義朝の対立も絡んだ。
 1159年、12月4日、平清盛は一族郎党とともに熊野詣に出かけている。この隙に、信西に不満を持つ公卿の上皇院政派(後白河派)、天皇親政派(二条派)は結託した。藤原信頼、第78代・二条天皇外戚・藤原経宗、二条天皇側近・藤原惟方らによる。
 12月9日深夜、反信西派の源義朝の軍500は、院御所の三条東殿を夜襲した。後白河上皇、上西門院(上皇同母姉)は内裏に連行され、一本御書所で軟禁されたという。院御所には火が放たれた。大江家仲、平康忠、官人、女房も犠牲になる。火焔に攻められた多数の官女は井戸に身投げしたという。信西と一門は、三条東殿より辛くも山城国田原に逃れたものの自害した。その首は掘り起こされ、京都に戻され獄門に晒された。
 12月14日、藤原信頼は実権を握り、宮中で自ら除目(諸官職を任命する 朝廷儀式)を行う。源義朝は播摩守、その子・源頼朝は右兵衛佐に任じる。12月17日、平清盛は紀伊の武士の応援を得て六波羅に戻る。藤原信頼を油断させるために、降伏の名簿(みょうぶ)を差し出した。12月25日、丑の刻(午前2時)、平清盛と密かに通じた藤原経宗、藤原惟方は二条天皇を六波羅に逃す。後白河上皇は仁和寺に逃れる。12月26日、平重盛の500騎、平頼盛は内裏の東側より攻める。平重盛は、源義平の17騎と陽明門で戦う。平頼盛は、源義明と郁芳門で戦う。さらに、平氏の別動隊200騎が北上し、西より内裏を攻めて制圧した。
 源義朝、子・義平は、やむなく平清盛の六波羅邸を攻めるためにわずか20騎で五条坊門小路を東行する。六波羅邸より平清盛も向かい、平氏方に寝返った頼政が、鴨川六条河原の西岸で源義朝らを迎え討つ。鴨川の両岸で初の源平合戦が繰り広げられた。源義朝軍は敗れ、東国に敗走する。藤原信頼は六条河原の合戦より仁和寺に逃れ、後白河上皇に命乞いするが斬首された。 
 12月29日、二条天皇は八条の養母・美福門院の邸に移る。1160年、1月3日、源義朝は東国に逃れる途中の尾張で自害した。1月6日、後白河上皇は、八条堀川の藤原顕長邸に移る。藤原経宗、藤原惟方による後白河上皇への愚弄があったとされ、両人は清盛に捕らえられ内裏の上皇の前で拷問を受けた。2月21日、藤原経宗、藤原惟方は解官される。3月11日、藤原経宗は阿波に配流、藤原惟方は長門に配流になる。源頼朝は伊豆に配流される。
 6月20日、平清盛は公卿に昇る。8月11日、平清盛は参議に昇る。この時、平治の乱に関わった上皇院政派(後白河派)、天皇親政派(二条派)の公卿すべてが一掃されていた。源氏は敗北し、平氏の政権が成立する。後白河上皇と提携した平清盛にとって権勢と栄華の序章になる。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 駒札、ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、ウェブサイト「コトバンク」


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