琵琶湖疏水 第1竪坑 (滋賀県大津市)  
First Vertical Shaft,Lake Biwa Canal
琵琶湖疏水 第1竪坑 琵琶湖疏水 第1竪坑
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第1竪坑






【参照】第1竪坑工場風景(1890年)、京都市上下水道局の説明板より


【参照】第1竪坑(シャフト)工場、田村宗立筆(1887年)、琵琶湖疏水記念館展示パネルより


【参照】竪坑工場の上屋、ポンプのボイラー、田村宗立筆(1887年)、琵琶湖疏水記念館展示パネルより

【参照】竪坑工場の上部土石運搬、田村宗立筆(1887年)、琵琶湖疏水記念館展示パネルより


【参照】シャフト工場竪坑巻立揚ガイド取付前(複製)、田村宗立筆「琵琶湖疏水工事図巻」(1886年)、琵琶湖疏水記念館展示物より


【参照】竪坑の最上部(開口部)、「シャフト工場竪坑巻立揚ガイド取付前(複製)」、田村宗立筆「琵琶湖疏水工事図巻」(1886年)、琵琶湖疏水記念館展示物より


【参照】竪坑での資材・坑内員の昇降の様子、「シャフト工場竪坑巻立揚ガイド取付前(複製)」、田村宗立筆「琵琶湖疏水工事図巻」(1886年)、琵琶湖疏水記念館展示物より


【参照】竪坑での土石昇降の様子、「シャフト工場竪坑巻立揚ガイド取付前(複製)」、田村宗立筆「琵琶湖疏水工事図巻」(1886年)、琵琶湖疏水記念館展示物より


【参照】竪坑の最下部、「シャフト工場竪坑巻立揚ガイド取付前(複製)」、田村宗立筆「琵琶湖疏水工事図巻」(1886年)、琵琶湖疏水記念館展示物より


【参照】小関トンネル東口の埋立水路工事(大津市鹿関町)、1910年、琵琶湖疏水記念館展示パネルより


【参照】小関越


【参照】小関越
 小関越途中の谷間に、赤煉瓦積の琵琶湖疏水の第1竪坑(だいいち-たてこう)(国の史跡)が残されている。
 琵琶湖疏水工事最大の難関だった第1トンネル工事では、トンネル掘削の迅速化のために最初に竪坑が掘削された。第1トンネルはこの竪坑の直下にあり、疏水は北東から南西方向に流水している。さらに、湖西線のトンネルが竪坑のすぐ近く、南西地点で第1トンネルと交差している。
 トンネル工事での大規模な竪坑掘削は、国内初の試みだった。近代の建築業者・建築指導者・南一郎平の意見書をもとに工事が進められている。
◆歴史年表 近代、1882年、3月、建築業者・南一郎平は、京都府に「琵琶湖水利意見書」「水利目論見表」を提出している。
 1885年、7月、第1トンネル竪坑の位置を現在地(藤尾村字金掘谷)に定める。8月、竪坑掘削が始まる。疏水開削の実質着工になる。
 1886年、3月/4月、竪坑掘削が第1トンネル線に到達した。藤尾口から第1トンネル掘削が始まる。4月、竪坑口からの第1トンネル掘削が始まった。9月、大津口からの第1トンネル掘削が着工された。
 1888年、10月5日、第1トンネル坑内での土砂崩壊により、65人の坑内員が生き埋めになる。7日、全員無事に救出された。
 1889年、3月、第1トンネル貫通祝賀式(大津市三保ヶ崎)が行われる。
 1890年、2月、第1トンネル大津口が完成した。
 現代、1996年、6月、琵琶湖疏水関連の第1疏水トンネル、第1竪坑、第2竪坑など12カ所は国の史跡に指定された。
◆南 一郎平 近代の建築業者・建築指導者・南 一郎平(みなみ-いちろうべい 1836-1919年)。豊後国(大分県)宇佐生まれ。庄屋・宗保(村の首長)の子。1856年、父は死去した。父は西国筋郡代・塩谷大四郎の広瀬井手事業に協力し、事業半ばだった。一郎平は、畑地から米作に転換するために必要な、広瀬井手(17km)の水利事業に取り組む。1865年、広瀬井手の第5期工事に着手した。事業費は日田の豪商・広瀬久兵衛から借用する。1869年、資金が尽き国の事業になる。1873年、120年ぶりに広瀬井手が完工する。1874年、松方正義の招きにより上京し、内務省農務課に勤務した。1875年、 全国に水利開墾事業を興すために適地調査に派遣される。1878年、安積(あさか)疏水工事着工準備担当として現地で指揮する。1881年、京都府知事・北垣国道より、琵琶湖疏水計画の実地調査依頼される。琵琶湖からどのように水を引くか、通水後の琵琶湖水位低下などを調査した。 1882年 、琵琶湖疏水線路を踏査した。安積疏水は開通する。「琵琶湖水利意見書」「水利目論見表」を京都府に提出し、これをもとに琵琶湖疏水工事が進められた。 1883年 、那須疏水(16km)開削のために測量実施している。 1886年、退官し「現業社」を興した。
◆竪坑 近代、1885年8月に、竪坑(シャフト)掘削が始まる。1886年3月に竪坑は第1トンネル線に到達した。
 工事に先立ち、1882年に建築業者・南一郎平は、京都府に「琵琶湖水利意見書」「水利目論見表」を提出している。迅速な工事のために、「井戸間風」の工事を提言した。最初に山中に井戸状の竪坑を掘り、次に地底から両側、横方向にトンネル掘削を行うというものだった。鉱山では行われていたものの、トンネル工事での大規模な竪坑掘削導入は国内初の試みだった。田邊朔郎は全線工事の同時完成のために、第1トンネルでの竪坑掘削を採用した。
 掘削地(藤尾村字金堀谷)は、第1トンネル西口から740m地点に当たり、全長の1/3地点にあたる。この地に決定したのは、トンネル掘削の距離を極力縮め、小関峠の花崗岩層を避ける最適地のためだった。竪坑掘削により竪坑両側に加え、トンネル東口の大津、西口の藤尾の計4カ所から同時にトンネル開削が行えた。竪坑により、トンネル掘削工事の進捗を早め、竪坑からトンネル内に常に新鮮な空気を取り入れ、完成後は竪坑を利用し採光も可能だった。
 工事には京都建設組、防府の鯖山(佐羽山)トンネルに関わった坑内員が当たった。竪坑(シャフト)工場には煙り・蒸気排出用の煙突、事務所、火薬庫、寄宿舎が建てられていた。竪坑上には上屋があり、ポンプのボイラーは地下水を排水し、巻揚用汽罐(きかん)などが設置されていた。作業は開削、鉱石仕分け、土石運搬などだった。照明には石油カンテラしかなかった。長方形の木枠(口径3m、3.6m)を組み、周囲に矢板を張った。坑口上部に塔(高さ6m)を組み、滑車の昇降機を作動させて、土石、湧水を地上まで排出した。運搬では、土石をトロッコに載せ人力で運んだ。トロッコの軌道は板上に設置されていた。作業は8時間労働(午前6時半-午後5時半)であり、排水(午前1時-6時半)とは分けられていた。なお、竪坑の完成後には、木枠から煉瓦巻に変えられている。
 地質は当初、砂礫、その下層は角岩、粘板岩が混じり1日わずか21㎝しか進捗しないという難工事だった。湧水も多く、当初は人力で昇降機を用いて汲み出し、後にポンプが導入されたものの故障が相次いだ。その後、イギリス製の大型ポンプが導入された。なお、1886年7月、ポンプ主任・大川米蔵が坑道に転落事故死している。
 現在、竪坑の一部は当時のままに保存されている。煉瓦積み(イギリス積、小口積と長手積みを交互に段違いに積む)、規模は開口部(地上から5.5m地点)は、円型(直径5.5m)、それ以下は楕円形(長径3.18m、短径2.7m)、地上からトンネルアーチまで(45.5m)、工費は2万3318円。
 なお、竪坑の東南60m地点で、第1トンネルはJR湖西線長等山トンネルと交差している。
◆第1トンネル 第1トンネルの工期は1885年8-1890年2月だった。当時としては日本一の長さだった。
 掘削は日本式といわれ、第1堀りで天井部分をアーチ型に掘り、第2掘りで側壁を広げ、第3掘りで坑底を掘り下げた。1日1.5m掘削した。湧水が多く、水車、後に蒸気機関ポンプで排水した。空気の汚れを防ぐため、蒸気機関送風機を導入している。アーチは煉瓦(厚さ)を2-5枚に重ねて巻き、下穹はコンクリート、696m区間は施工していない。石積区間は272mある。
 総延長2436m、内高4.2m、内幅4.8mの馬蹄形、水深最深部1.8m、勾配1/3000、工費は43万2956円。
◆測量 竪坑内での第1トンネル中心線を出すための測量は、竪坑の地上開口部中心から26mの地点に、8インチランプ付きの測量機器の経緯儀(トランシット)を据えた。経緯儀は、望遠鏡と目盛り盤を備えた精密な測角機器だった。
 次に、竪坑の北東方向にある小関越石点(測量標石)を望み、視準線(方向線)上に竪坑開口部を隔てた。東西4.2m間隔で上部三角形の横桟を置き、トンネル中心線の位置を記した。双方に1.5㎜間隔で針金(直径0.51㎜)を引き、竪坑開口部の口径両端、2本の針金の間から中心線になる真鍮製重り(重さ1貫目、3.75㎏)を下に垂らした。振動を防ぐために、竪坑の底には油を入れた樽(径36㎝、深さ39㎝)が置かれ、油中に重りを垂らした。
 地底の重りの2点間の直線(2.2m)により中心線を定めた。2本の針金間の線を坑内の東西に延長し、18m間隔で経緯儀を据え、重りの針金2本と一直線に視準できるように直線位置を定めた。高低測量は地上に設けた水準点から竹棹で測った。


旧小関越は狭いものの舗装されており、山間を急峻な坂道が続きます。竪坑は峠の途中にあり南側の谷間に見えています。竪坑付近に人家はなく、峠道の人通りもあまりありません。なお、道側に柵が設けられおり、普段は竪坑に近づくことはできません。
原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 『琵琶湖疏水の100年 叙述編』、『琵琶湖疏水の100年 資料編』、京都市上下水道局の説明板ウェブサイト「宇佐市」、琵琶湖疏水記念館、『琵琶湖疏水記念館 常設展示目録』、ウェブサイト「コトバンク」


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 琵琶湖疏水 第1竪坑 〒520-0065 滋賀県大津市稲葉台13
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