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遍昭墓 (桓武天皇皇孫 遍照僧正御墓) (京都市山科区) Imperial mausoleum of Henjo |
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遍昭墓 | 遍昭墓 |
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![]() ![]() 「桓武天皇皇孫 遍昭僧正御墓」の石標 ![]() ![]() |
北花山中道町(きたかざん-なかみち ちょう)に、平安時代前期の天台宗の僧・歌人・遍昭/遍照(へんじょう)の墓がある。 花山周辺には、遍昭に関わりのある元慶寺、六所神社、福應寺などが点在している。 ◆遍昭 平安時代前期の天台宗の僧・歌人・遍昭/遍照(へんじょう、816-890)。男性。俗名は良岑宗貞(よしみねの-むねさだ)。良少将、花山僧正。父・良岑安世、子に素性、由性。 第50代・桓武天皇の孫。左近衛少将、849年、蔵人頭に補され、第54代・仁明天皇に仕え、寵愛を受けた。850年、天皇没直後に出家し、比叡山に入る。叡山座主・円仁に戒を受けた。貞観年間(859-877)、山科花山に元慶寺を創建し座主になる。「花(華)山僧正」とも呼ばれた。869年、紫野・雲林院の別当を兼ね、文芸交流する。885年、僧正になり、天皇に宮中で七十の賀を祝われる。食邑(しょくゆう)100戸、輦車(てぐるま)の勅許を賜る。 国家、貴族との関係が深かった。第58代・光孝天皇にも仕えた。惟喬親王と交流する。歌人としても知られ、六歌仙、三十六歌仙の一人。小野小町と清水寺で歌でやりとりをした。天狗調伏などの逸話も残る。『古今集』入集。『大和物語』『今昔物語集』『元慶寺遍昭』などに記されている。家集『遍昭集』。75歳。 墓は元慶寺南西(山科区)にある。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『山科の歴史を歩く』 、『京都山科 東西南北』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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