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関ノ明神社・大江関 (京都市西京区) Sekinomyojin-sha Shrine |
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関ノ明神社・大江関 | 関ノ明神社・大江関 |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 愛宕燈籠 ![]() 愛宕燈籠 ![]() 旧山陰道 |
大枝沓掛町(おおえ-くつかけ-ちょう)の関ノ明神社(せきのみょうじん-しゃ)は、岩崖上にある小祠に祀られている。 旧山陰道沿いの付近には、かつて関所の大江関(おおえのせき)が置かれた。 祭神は、関の明神(せきのみょうじん)になる。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 室町時代、大江関は、天龍寺領の年貢輸送に必要な人夫(兵士)、糧(粮)物調達のために設置されていた。 ◆大江関・沓掛 「大江関(おおえのせき)」は、大江沓掛町付近にあった。旧山陰道沿の山城国から丹波に抜ける老ノ坂峠の手前に設けられた関所だった。 関所は、室町時代に天龍寺領の荘園年貢運送に必要な人夫(兵士)、糧(粮)物調達のために利用されたとみられている。 文献初見は、室町時代前期、1398年に醍醐寺領丹波黒岡庄の年貢輸送が、当関所を通過するための許可を得ている。(「三宝寺文書」中「室町幕府奉行人過所案」) 天龍寺はこの関所の設置により多額の収益を上げていたという。その後の関所については不明。 ◆沓掛 付近の「沓掛(くつかけ)」の地名は、古代駅舎、駅停(亭)を意味した。沓(履物)を掛けておく店、また、峠にあり、旅の安全の祈願所、山神に旅の加護を祈り、手向する処などの意味もあった。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 『京都大事典』、『京都市の地名』、『京都の地名由来辞典』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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