|
|||
三ノ宮神社(樫原三ノ宮神社)・三ノ宮天満宮 (京都市西京区) Sannomiya-jinja Shrine |
|||
三ノ宮神社(樫原三ノ宮神社) | 三ノ宮神社(樫原三ノ宮神社) | ||
![]() ![]() |
![]() ![]() |
||
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 手水舎 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 拝殿、「禁門の変」の絵 ![]() 拝所 ![]() 拝所 ![]() 本殿 ![]() ![]() ![]() 三社 ![]() 神輿倉 ![]() ![]() ![]() 遥拝所 ![]() 樫の古木
![]() 三ノ宮天満宮 ![]() ![]() ![]() 三ノ宮天満宮 ![]() ![]() 三ノ宮天満宮 ![]() 三ノ宮天満宮 ![]() ![]() ![]()
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 区民の誇りの木、クスノキ ![]() 【参照】近くの愛宕燈籠 |
三ノ宮神社(さんのみや-じんじゃ)は、樫原(かたぎはら)三ノ宮神社とも呼ばれている。樫原地区の総鎮守、旧村社になる。 祭神は、素盞嗚尊(すさのおのみこと、武勇の神)、酒解神(さかとけのかみ、酒の神)、大山咋神(おおやまぐいのおおかみ、山の神)の3神を祀る。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。この地に樫木の森があり、一帯は樫原と呼ばれた。一時は、柏原神社とも呼ばれたという。 江戸時代、5代将軍・徳川綱吉(1646-1709)が社殿を寄進し、徳川葵の家紋を許した。 1853年、第121代・孝明天皇(1831-1867)は、攘夷祈願のため社の造営をはかる。御所絵師を差し向け、天皇の養子・華頂宮博経親王は菊華紋入りの提灯を下賜した。以来、神紋は菊華紋、徳川葵紋になった。 現代、1972年、現在の三ノ宮天満宮が境内の西に創建された。 1974年、本殿は、第60回神宮式年遷宮により伊勢神宮から下賜され、移築された。 1976年、拝殿が造営された。 ◆建築 神楽殿、 本殿、拝殿がある。 ◈「本殿」は、現代、1974年、第60回神宮式年遷宮で伊勢神宮から下賜され、移築された。 ◈「拝殿」は、現代、1976年に造営される。拝殿の天井に「酒呑童子の鬼」、「禁門の変」、「素戔嗚尊」の絵が描かれている。だるま商店の作による。 ◆酒呑童子 かつて、洛西の大枝山(おおえやま)に、鬼が棲んでいた。鬼は、入洛する旅人を襲い、金品を略奪した。首領の酒呑童子(しゅてんどうじ)は人々に恐れられていた。 平安時代中期の武将・源頼光(948-1021)は、この地の小さな祠に供えられていた神酒を鬼に飲ませ、酔いつぶれたため退治したという。 このため、鬼を退治できた酒の神、武徳から武勇の神、大枝山から山の神の三神を祀った。神徳をたたえ社が建てられたという。 なお、境内の西、大枝塚原には鬼の首塚があるという。 ◆文化財 神輿の装飾品は、江戸時代前期慶長金(1600年代)のものという。 ◆三ノ宮天満宮 三ノ宮天満宮は、当社の西の隣接地に祀られている。祭神は菅原道真(すがわら-の-みちざね)になる。学問の神様の信仰がある。 千余年前に現在地に道真を祀ったという。その後、三ノ宮神社の境内社として産土鎮座の守護神になる。現在の三ノ宮神社は、現代、1972年に創建された。 社務所は、近代、1915年に行われた第123代・大正天皇御大礼の饗宴場建物を下賜され移築した。例祭日(3月25日)。 ◆樹木 境内には、樫の古木がある。 ◆年間行事 例祭(たけのこまつり)(5月)。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。 ❊参考文献 駒札 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
||
![]() 三ノ宮天満宮 〒615-8151 京都市西京区樫原杉原町14-3 |
|||
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
||
![]() |
|||