タバコ製造工場発祥地(「村井兄弟商会」) (京都市東山区)  
The birthplace of the Tobacco manufacturing plant
タバコ製造工場発祥地 タバコ製造工場発祥地
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「村井兄弟商会 明治33年 建築」の標石




右より「村井兄弟商會 明治三十三年 建築」と刻まれている。
 特別養護老人ホーム修道洛東園の敷地内東南の一角に、「村井兄弟商會(会) 明治三十三年(1900年) 建築」の標石が残されている。
 この地には近代の実業家で「日本のタバコ王」と称された、村井吉兵衛(むらい きちべえ)が設立した赤レンガ造のタバコ馬町工場があった。
◆歴史年表 近代、1894年、5月、村井吉兵衛は、村井兄弟商会(馬町大和大路新町)を設立した。
 1897年、工場(馬町)建設が始まる。
 1898年、工場が建てられた。
 1899年、吉兵衛は、「世界のタバコ王」のデュークと組む。アメリカ・タバコトラスト社との折半出資により、村井兄弟商会を株式会社に改組した。この地に、赤レンガ造のタバコ馬町工場が建てられた。
 1902年、馬町工場は全焼している。その後、復旧した。
 1904年、「煙草専売法」施行とともに、タバコ製造が専売になる。専売局は煙草専売局に改組され、下部組織の煙草製造所(全国5カ所)が設置された。馬町工場は政府に売却され、設備、建物は専売局京都工場に引き継がれた。
 その後、旧馬町工場の建物は倉庫などに転用される。その後、廃屋同然になる。
 1920年、7月、専売局馬町工場は、分工場になる。
 1924年、1月、専売局馬町分工場を廃止した。
 現代、1947年、富田淺雄は社団法人「関西厚生協会」を設立し この地と旧馬町工場の建物の払い下げを受けた。後に「関西テーラー」が管理した。
 1980年、「たばこ製造工場発祥地」の石標が立てられ、「村井兄弟商会」の標石も置かれた。
 2009年、旧馬町工場の建物は解体される。
◆村井吉兵衛 近代の実業家・村井吉兵衛(むらい きちべえ、1864-1926)。小三郎。京都生まれ。父はタバコ商・村井弥兵衛でその次男。1872年、9歳で分家の伯父・吉右衛門の養子になり、吉兵衛を名乗る。1878年、家督を継ぎタバコ販売、種油、両替商を営む。20歳-21歳頃、同志社病院に入院し、宣教医・ベリーに出会う。洋書『百科製造秘伝』を借り、担当医・堀俊造の翻訳により紙巻きタバコ製法の知識を得た。1889年、宇野子と結婚した。1890年、村井兄弟商会を興す。1891年(1890年とも)、日本初の洋風両切紙巻タバコ「サンライス」を発売し、好評を博した。輸入品の「サンライト」を日本葉を原料にして、日本人の嗜好に合う香料を加味する。1893年、渡米し、タバコの製法を研究した。1894年、輸入したアメリカバージニア葉タバコを原料にした「ヒーロー」を発売する。景品付き販売、広告宣伝も工夫した。アジアにも輸出している。 1899年、アメリカの「世界のタバコ王」デュークと組む。アメリカ・タバコトラスト社との折半出資で株式会社(資本金1000万円)に改組した。製品包装印刷のために、京都に外国人技師を雇入れた印刷会社を設立する。デュークが経営を主導し、その後3年で市場占有率3割を占めた。事業を引き継いだBAT社により増資提案され、外資系企業になる。1900年、「ヒーロー」が生産日本一になる。1904年、日ロ戦争の戦費調達のために、煙草専売法が公布され、タバコ民営は終わる。吉兵衛は、政府への売却金(1120万円)をもとに、村井銀行(資金100万円)を創立し頭取に就く。1909年、京都円山に別荘「長楽館」などを建てた。1912年、本店を京都から東京に移している。1916年、妻・宇野子が病没する。1917年、第122代・明治天皇の権典侍・山茶花の局(日野西薫子)と再婚した。1926年、東京の本邸で亡くなる。
 村井は、帝国製糸会社、村井貯蓄銀行、村井倉庫、村井汽船、東洋印刷、日本石鹸、村井カタン糸などを設立する。鉱山、石油業、台湾製糖、帝国ホテル、帝国劇場、明治貿易などの経営陣にも加わる。東京商業会議所特別会員になった。「日本のタバコ王」と呼ばれた。1912年-1926年、村井銀行五条支店の2階に、「村井児童図書館」を開設している。別荘「長楽館」は京都に残る。東京の本邸「山王荘」は、比叡山延暦寺の大書院として移築されている。
 墓は総持寺(横浜市)にある。
◆タバコ工場 タバコ馬町工場は1898年に起工され、1899年に完成した。敷地は1600坪(5289.㎡)あり、赤レンガ造2階建てだった。
 工場には欧米の最新技術を導入した。水力発電による電気を使用した。常に機械の音がしており、「機械館」と呼ばれていた。職工は2000人以上おり、24時間態勢で生産し、1日1000万本のタバコを製造していた。
◆タバコ宣伝合戦 1884年頃、東京銀座の岩谷松平(いわや まつへい、1849-1920)が設立した岩谷商会は、口付紙巻タバコ「天狗煙草」を発売した。以後、引札、看板、新聞広告などの広告手段を用いて製品の宣伝を展開している。
 村井兄弟商会は、製品に横文字の名を付け、外箱の意匠も洋風にした。包装用紙、印刷にも技術導入を行っている。製品には、美人写真のカードを添付する、アドバルーンを使うなど斬新な宣伝も行う。
 以来、2社間で「明治タバコ宣伝合戦」が繰り広げられる。1903年の第5回内国勧業博覧会会場でも宣伝活動が行われ、銀座界隈でのパレードも行われた。馬車と音楽隊による宣伝も行う。1912年の村井兄弟商会の東京進出後、宣伝合戦は激化する。岩谷の国粋主義、純国産原料、手巻き製造、企業色赤色に対して、村井は米国主義、米国産、機械製造、白色で対抗し、村井が勝利した。
 両者の宣伝合戦は、その後の宣伝広告、印刷技術の発展にも寄与している。岩屋と取引があった凸版印刷合資会社は、後に凸版印刷に発展する。なお、岩谷の宣伝活動は、電通の創業者・光永星郎(1866-1945)に影響を与えたといわれている。
 村井が設立した東洋印刷株式会社は、大蔵省煙草専売局(後に大蔵省専売局)に買収され、京都煙草製造所伏見分工場(後の京都印刷工場)になる。その後、JT京都印刷工場に引き継がれ、1999年に閉場になった。
◆石標 現在、タバコ馬町工場の建物の痕跡はない。
 跡地に標石「村井兄弟商會 明治三十三年(1900年)建築」が唯一保存されている。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 『京都幕末維新かくれ史跡を歩く』、『京都大事典』、『京都とたばこ-京都工場のあゆみ-』、ウェブサイト「JT タバコの歴史」、ウェブサイト「タバコと塩の博物館」、ウェブサイト「村井タバコ・旧馬町工場跡(関西テーラー、東山IVY)」、電子書籍「煙草の蘊蓄」、ウェブサイト「コトバンク」


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map タバコ製造工場発祥地(「村井兄弟商会」の標石) 〒605-0877 京都市東山区上新シ町358,渋谷通本町東入ル三丁目
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