旧村井銀行祇園支店 (京都市東山区)  
former Мurai Bank Gion Branch
旧村井銀行祇園支店 旧村井銀行祇園支店
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 四条通の南側に、旧村井銀行祇園支店(きゅう-むらいぎんこう-ぎおんしてん)が残されている。銀行建築を多く手掛けた近現代の建築家・吉武長一の設計による。
 現在は、CANDY SHOW TIME Kyoto Gnionという店舗になっており、キャンディ・スイーツ店などが入る。
◆歴史年表 近代、1924年、建築家・吉武長一の設計により村井銀行祇園支店として竣工した。
 現代、1998年、9月、国の登録有形文化財に指定される。
◆吉武長一 近現代の建築家・吉武長一(よしたけ-ちょういち、1879-1953)。山口県の生まれ。アメリカ合衆国ペンシルバニア・テクニカルカレッジで建築を学ぶ。1909年、帰国し、海軍省嘱託になる。1910年、たばこ王・村井吉兵衛のお抱え建築家として、村井銀行建築部長になる。1913年、独立し吉武建築事務所を開設した。74歳。
 古典系の意匠を得意にした。主な作品は、東京・銀座教会(1912)、村井銀行東京本店(1913)、村井銀行七条支店(現・きょうと和み館SECONDHOUSE西洞院店、1914)、東京・村井氏邸宅(旧・日仏会館、1916)、東京・日本基督教団安藤記念教会(1917)、村井銀行神戸支店(旧・日産ビル、1920)、日産ビル(前・日産汽船ビル、1923)、村井銀行祇園支店(現・カーラ・ラガッツァ、1924)、村井銀行五条支店 (現・京都中央信用金庫東五条支店、1924)、日本基督教団鎌倉教会(旧・ハリス記念鎌倉メソジスト教会、1926)、日本基督教団鎌倉聖ミカエル教会聖堂(旧・ハリス記念鎌倉メソジスト教会(1926)、田園調布駅前広場など。
◆村井吉兵衛 江戸時代後期-近代の実業家・村井吉兵衛(むらい-きちべえ、1864-1926)。小三郎。京都生まれ。父はタバコ商・村井弥兵衛でその次男。1872年、9歳で分家の伯父・吉右衛門の養子になり、吉兵衛を名乗る。1878年、家督を継ぎタバコ販売、種油、両替商を営む。20歳-21歳頃、同志社病院に入院し、宣教医・ベリーに出会う。洋書『百科製造秘伝』を借り、担当医・堀俊造の翻訳により紙巻きタバコ製法の知識を得た。1889年、宇野子と結婚した。1890年、村井兄弟商会を興す。1891年/1890年、日本初の洋風両切紙巻タバコ「サンライス」を発売し、好評を博した。輸入品の「サンライト」を日本葉を原料にして、日本人の嗜好に合う香料を加味する。1893年、渡米し、タバコの製法を研究した。1894年、輸入したアメリカ合衆国バージニア葉タバコを原料にした「ヒーロー」を発売する。景品付き販売、広告宣伝も工夫した。アジアにも輸出している。 1899年、アメリカ合衆国の「世界のタバコ王」デュークと組む。アメリカ合衆国・タバコトラスト社との折半出資で、株式会社(資本金1000万円)に改組した。製品包装印刷のために、京都に外国人技師を雇入れた印刷会社を設立する。デュークが経営を主導し、その後3年で市場占有率3割を占めた。事業を引き継いだBAT社により増資提案され、外資系企業になる。1900年、「ヒーロー」が生産日本一になる。1904年、日ロ戦争の戦費調達のために、煙草専売法が公布され、タバコ民営は終わる。吉兵衛は、政府への売却金(1120万円)をもとに、村井銀行(資金100万円)を創立し頭取に就く。1909年、京都円山に別荘「長楽館」などを建てた。1912年、本店を京都から東京に移している。1916年、妻・宇野子が病没する。1917年、第122代・明治天皇の権典侍・山茶花の局(日野西薫子)と再婚した。1926年、東京の本邸で亡くなる。63歳。
 村井は、帝国製糸会社、村井貯蓄銀行、村井倉庫、村井汽船、東洋印刷、日本石鹸、村井カタン糸などを設立する。鉱山、石油業、台湾製糖、帝国ホテル、帝国劇場、明治貿易などの経営陣にも加わる。東京商業会議所特別会員になった。「日本のタバコ王」と呼ばれた。1912年-1926年、村井銀行五条支店の2階に、「村井児童図書館」を開設している。別荘「長楽館」は京都に残る。東京の本邸「山王荘」は、比叡山延暦寺の大書院として移築されている。
 墓は総持寺(横浜市)にある。
◆建築 旧村井銀行祇園支店は、近代、1923年に建てられた。建築科・吉武長一による村井銀行支店建築の一つになる。現在は株式会社・日興実業が所有している。
 吉武は、銀行建築も多く手掛けた。大正期(1912-1926)後期に建てられた古典主義の銀行建築の典型になる。建物は小規模で、四条通南側に面しファザード(建物の正面)、4本の階を貫く背の高い柱(イオニア式ジャイアントオーダー)が立つ。柱の間に縦長の窓、窓上部には円形アーチが付く。列柱上部の梁部(エンタブラチュア)、歯状の装飾(デンティル)、屋根の外周に立ち上がる外壁部(パラペット)の欄干(バラストレード)などに、細部装飾も残されている。
 当初は2階建だった。内部は大きな吹き抜け空間があったと見られている。その後、改変され増築により3階建になった。内装も改変され原形を留めていない。
 施工は清水組、鉄筋コンクリート造3階建て(当初は2階建て)、建築面積186㎡。
◆村井銀行 村井銀行は、煙草王・村井吉兵衛(1864-1926)が煙草事業の国有化により得た賠債金で設立した。本店は東京にあり、1904年12月に創立されている。1927年の昭和金融恐慌により破産する。
 1927年に村井銀行は「昭和銀行」に吸収される。1944年に昭和銀行は「安田銀行」に吸収された。1948年には「富士銀行」に商号変更する。
 2000年に、富士銀行、第一勧業銀行、日本興業銀行の3行は、「みずほホールディングス」を設立する。2002年に「みずほコーポレート銀行」に商号変更した。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 『京都市の近代化遺産-近代建築編』、ウェブサイト「港区ゆかりの人物データベース-東京都港区」、ウェブサイト「国指定文化財等データベース-文化庁」、ウェブサイト「銀行変遷史データベース-銀行図書館」、ウェブサイト「コトバンク」


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 旧村井銀行祇園支店 〒605-0074 京都市東山区祇園町573-5,四条通大和大路東入南側
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