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藤原旅子 宇波多陵 (淳和天皇御母贈皇太后旅子 宇波多陵) (京都市西京区) Imperial mausoleum of Empress Dowager Fujiwara no, Tabiko |
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藤原旅子 宇波多陵 | 藤原旅子 宇波多陵 |
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![]() 「宇波多陵道敷地」の石標 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 「淳和天皇御母贈皇太后旅子 宇波多陵」の石標 |
大枝の三ノ宮神社の参道脇より逸れて参拝道を登ると、丘陵地に宇波多陵(うはた-の-みささぎ)がある。「宇波多山陵」「淳和天皇御母贈皇太后旅子
宇波多陵」とも呼ばれている。 第50代・桓武天皇の夫人・藤原旅子(ふじわらの-たびこ)を葬る。 ◆歴史年表 奈良時代、788年、5月4日(新暦6月12日)、藤原旅子が亡くなる。その後、現在地に葬られた。 平安時代、857年まで、初穂を供える荷前奉幣が行われている。 ◆藤原旅子 奈良時代の第50代・桓武天皇の夫人・藤原旅子(ふじわら-の-たびこ、759-788)。式家・藤原百川(ももかわ)の長女。母は藤原良継の娘・諸姉(もろあね)。両親方はともに桓武天皇擁立の功労者だった。桓武皇后・藤原乙牟漏は母方の叔母、父方の従妹になる。782年頃、結婚した。785年、桓武天皇の後宮に入ったともいう。従三位。786年、夫人(ぶにん)になり、大伴親王(第53代・淳和天皇)を産む。788年、亡くなり、妃の号と正一位を追贈された。30歳。 823年、大伴親王が淳和天皇として即位し、皇太后を追贈された。 墓は宇波多山陵になる。 ◆陵墓 詳細は不明。石畳の参拝道を登った丘陵地にあり南面している。拝所も設けられている。 50 桓武天皇(在位:781-806)→51 平城天皇 (在位:806-809)→ 52 嵯峨天皇(在位:809-823)→53 淳和天皇(在位:823-833) *原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『歴代天皇・皇后総覧』、『歴代皇后125代総覧』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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