藤原乙牟漏 高畠陵  (京都府向日市)  
Imperial mausoleum of Empress Fujiwara no, Otsumuro
長岡山陵(高畠陵) 長岡山陵(高畠陵)
50音索引,Japanese alphabetical order    Home 50音索引,Japanese alphabetical order    Home

「桓武天皇皇后御陵」の石標




「桓武天皇皇后 藤原乙牟漏 高畠陵」の石標



 向日市寺戸町に、奈良時代末期の第50代・桓武天皇皇妃を葬る藤原乙牟漏 高畠陵(ふじわら の おつむろ たかばたけ の みささぎ)がある。
 「桓武天皇皇后 高畠陵」、「長岡山陵長岡陵)」、「天之高藤廣宗照姫之尊(あまのたかふじひろむねてるひめのみこと)高畠陵」、「伝 高畠陵古墳」とも称されている。
◆歴史年表  奈良時代、790年、閏3月10日(新暦4月28日)、藤原乙牟漏は亡くなる。高畠陵(長岡陵)に葬られた。
 平安時代、806年、第51代・平城天皇の即位に伴い、皇太后を追贈された。
◆藤原乙牟漏 
奈良時代末期の皇妃・藤原乙牟漏(ふじわら の おつむろ/おとむろ、760-790)。父は藤原式家の藤原良継、母は阿倍粳蟲の娘・尚侍兼尚蔵・阿倍古美奈。山部親王(後の第50代・桓武天皇)の許に皇太子妃として入内し、774年、小殿(あて)親王(安殿親王、後の第51代・平城天皇)を産んだ。781年、桓武天皇が即位し、正三位に叙され、783年、第50代・桓武天皇即位により夫人(ぶじん)、皇后に立てられる。784年、長岡京遷都に際して、奈良・春日大社(現在の大原野神社)を勧請した。785年、安殿親王が立太子される。786年、神野(かみの、賀美野)親王(後の第52代・嵯峨天皇)を産む。789年、高志内親王(第53代・淳和天皇皇后)を産む。790年、長岡京で死去し、桓武天皇が平安京遷都を決めた動機の一つという。高畠陵(長岡陵、向日市)に葬られた。806年、平城天皇即位により皇太后、823年、仁明天皇即位により太皇太后を追贈される。
◆陵墓 陵墓は南面している。「伝高畠陵古墳」と称される。古墳時代前期(4世紀代)の古墳遺跡ともいう。
 高位面は円墳になっており、径65m、高7m、葺石されている。2段築成とみられている。


50 桓武天皇(在位:781-806)→51 平城天皇 (在位:806-809)→ 52 嵯峨天皇(在位:809-823) → 53 淳和天皇(在位:823-833)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『歴代天皇・皇后総覧』『歴代皇后125代総覧』『京都大事典』、ウェブサイト「遺跡地名表  向日市埋蔵文化財センター 」 、ウェブサイト「京都府埋蔵文化財情報第45号 1992年、京都府埋蔵文化財調査研究センタ-」、ウェブサイト「コトバンク」


関連・周辺    周辺     関連大原野神社    関連桓武天皇柏原陵   関連歴代天皇データ      
京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 藤原乙牟漏 高畠陵 〒617-0002 京都府向日市寺戸町大牧
50音索引,Japanese alphabetical order  Home   top 50音索引,Japanese alphabetical order  Home   top
© 2006- Kyotofukoh,京都風光