大堰離宮跡 (京都市右京区)  
The ruins of Oi Rikyu (Oi Imperial Villa)
大堰離宮跡 大堰離宮跡
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大堰離宮と見られる園池跡の発掘状況、説明板より

『源氏物語絵巻』「宿木三」、説明板より
 平安時代の第50代・桓武天皇が度々訪れた大堰離宮(おおい の りきゅう)跡推定地には、「大堰の館候補地」という説明板だけが立てられている。
 『源氏物語』第18帖「松風(まつかぜ)」に登場する屋敷「大井(堰)川のわたりにありける」の舞台になったともいう。
◆歴史年表 平安時代初期、795年、6月27日、閏7月7日、8月3日、第50代・桓武天皇は大堰(大堰離宮)に行幸した。(『日本紀略』)
 798年、10月23日、桓武天皇は大堰に行幸する。(『日本紀略』)
 800年、9月21日、桓武天皇は大堰に行幸した。(『日本紀略』)
 801年、2月28日、6月4日、7月24日、桓武天皇は大堰に行幸した。(『日本紀略』)
 802年、7月9日、桓武天皇は大堰に行幸した。(『日本紀略』)
 804年、6月19日、7月4日、8月1日、桓武天皇は大堰に行幸する。(『日本紀略』)
 808年、7月27日、第51代・平城天皇は大堰に行幸した。(『日本後記』『類聚国史』) 
 …
 平安時代中期、この頃成立した『源氏物語』中の「大井(堰)川のわたりにありける」屋敷の舞台になる。
 現代、1989年2-5月、現在地で京都市埋蔵文化財研究所による発掘調査が行われた。平安時代前期の遺物を伴う園池跡が検出されている。          
◆源氏物語 『源氏物語』第18帖「松風(まつかぜ)」では、大堰川近くの屋敷が舞台になる。
 光源氏は、二条院の東の院を造営し、東の棟に明石の君を迎えようとする。だが、明石の君は自らの出自の低さを理由に返事を渋る。
 明石の君の父・明石入道は大堰川近くの屋敷(母方の祖父・中務宮の別荘)を改築し、明石の君らを京に移そうとする。この地は、源氏の建てた嵯峨の御堂にも近い。その後、明石の君、娘・姫君、母・明石尼君(あかしのあまぎみ)の3人は屋敷に移った。明石入道一人は明石に残った。
 光源氏は二条院の紫の上を慮り、お忍びで屋敷に向かう。3年ぶりに明石の君、姫君と対面を果たした。源氏は二条院に戻り、子のない紫の上に、愛娘・明石の姫君を養女として育てないかと尋ね、快諾を得る。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 説明板、サイト「天龍寺 - 京都市埋蔵文化財研究所」、『皇居行幸年表』


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map 大堰離宮跡 〒616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町33
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