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舞楽寺跡・八大天王社宮跡 (京都市左京区) Site of Bugaku-ji Temple |
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舞楽寺 | 舞楽寺 |
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![]() ![]() 「舞楽寺 八大天王社宮跡」の石碑 ![]() 「舞楽寺」と刻まれている。 |
一乗寺松原町の住宅地の一角に、「舞楽寺 八大天王社宮跡」の石碑が立つ。 舞楽寺(ぶがく-じ)とは、かつてこの付近にあった天台宗の寺院をいう。この地には、舞楽寺の鎮守社だった舞楽寺天王社が祀られていた。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 年代不詳、舞楽寺(ぶがくじ)は、かつて、左京区一乗寺の南にあった。天台宗の寺院だったという。 室町時代、1425年、「逢客寺(ぶかくじ)」とも記されている。(『薩戒記』) 1517年、「舞楽寺」と記されている。(『二水記』) 鎌倉時代、親鸞(1173- 1263)が同寺で水垢離(みずごり)をとると、厩戸王(574-622、聖徳太子)の影向があったという。 戦国時代(室町時代)、廃寺になる。(『京都府愛宕郡村志』) 江戸時代、1682年、黒川道祐は「舞楽寺」と記している。(『北肉魚山行記』)。舞楽寺は、すでに地名化していたとみられている。 1692年、養源寺(現在の北山別院)は、本願寺兼帯の「北山舞楽寺道場」として、所司代に届けられた。以来、養源寺は、地名化していた「舞楽寺」に因み「舞楽寺」とも呼ばれた。 1705年、一乗寺(左京区)の南部は、地名の「舞楽寺」で呼ばれていた。(『山城名勝志』) 近代、1872年、舞楽寺の鎮守社だった舞楽寺天王社(八王子社、ふかく寺の社)の末社・諏訪神社、八幡神社は、八大神社(左京区)に合祀される。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都市の地名』、『昭和京都名所図会 3 洛北』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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