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四所神社(原神社) (右京区嵯峨樒原) Shisho-jinja Shrine |
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四所神社(原神社) | 四所神社(原神社) |
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![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本殿 ![]() |
嵯峨樒原(さが-しきみがはら)の四所神社(ししょ-じんじゃ)は、原神社(はら-じんじゃ)とも呼ばれる。 祭神は、火迦具土神(ひのかぐつちの かみ)、埴山姫命(はにやまひめ)、火雷神(ほのいかずちのかみ)、伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀る。 ◆歴史年表 室町時代、1552年、愛宕山・白雲寺の修理造営に際して、福寿院の幸海僧正は、太郎坊の社を領地のこの地(樒原かぶとの森)に移して当社を創建した。以来、愛宕権現の氏子は、当社を氏神とし、愛宕権現の神事も当社で執り行った。(「旧地頭・日下部幸恒自筆古文書」) 江戸時代、1652年?、福寿院7□世・幸和法印が造営したという。(「旧地頭・日下部幸恒自筆古文書」)。ただ、この時、社殿を修理し、再興したともいう。 近代、1878年、樒原村字稲荷の稲荷社を当社末社・厳島社に祭祀した。また、当村の若宮社、今宮社も、当社の子守社合殿に祭祀したという。(「旧地頭・日下部幸恒自筆古文書」) ◆幸海 室町時代の僧・幸海僧正(?-?)。詳細不明。福寿院(愛宕山・白雲寺の宿坊)の再興2□世。清瀧の参道途中に祀られている四所権現に思い当り、1552年、自らの樒原の領地(かぶとの森)に四所権現を創祀したという。 ◆境内末社 末社・厳島社の祭神は不明。相殿に稲荷社を祀り、祭神は稲魂命(うかのみたまのみこと)になる。1878年、樒原村字稲荷にあった稲荷社を厳島社に祭祀した。 子守社の祭神は不詳、相殿に若宮社を祀る。1878年、当村の若宮社を合殿に祭祀した。 今宮社も不詳。1878年、当村の今宮社を合殿に祭祀した。 ◆宮座 当社の宮座は、8人の禰宜仲間で構成されていた。祭礼(9月24日)には、1年交代で神主役を務めていた。 ◆樹木 ご神木の大イチョウがある。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 「四所神社奉納縁起(現代語訳 近藤謙)」、『京都市の地名』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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![]() ご神木のイチョウ |
![]() 【参照】境内前に広がる棚田、日本の里選「宕陰(とういん)の棚田」として知られている。 |
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