三夜荘 (京都市伏見区)
Sanya-so
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旧「三夜荘」


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付近の丘より望む宇治川
 宇治川を望む丘陵地帯に、「三夜荘(さんやそう)」という西本願寺の旧別荘が建つ。現在は廃墟と化している。 
◆歴史年表 この地は、豊臣秀吉が建てた伏見城の月見台跡とされる。「三夜荘」の名があり、秀吉が「一輪は月、一輪は水、一輪は林中にあり。一夜にして三夜の勝を兼ぬ」と賞し、3夜観月を楽しめるとしたことに因む。また、「山の月、水の月、杯中の月」と、一夜に3つの月を愛でたことにより名付けられたともいう。 
 近代、1868年、西本願寺の大谷光尊は、信徒の寄進により西本願寺の別荘として「三夜荘」を建立した。子の大谷光瑞、九条武子らも暮らした。
 年代不詳、昭憲皇太后(1849-1914)が当地に行幸を行う。女官・税所敦子が侍し、後に「三夜荘記」を著した。
 現代、2015年、老朽化のために建物の除却処分が決定したという。
◆大谷光尊 江戸時代末-近代の浄土真宗の僧・大谷光尊(おおたに こうそん、1850-1903)。父は西本願寺20世・広如(こうにょ)。1868年、法嗣、1872年、21世法主を継職。同年、岩倉使節団の一員として僧・島地黙雷(しまじ もくらい)、赤松連城(あかまつ れんじょう)をヨーロッパに派遣し、宗門近代化を行う。1873年、明治政府の教務省の大教正となる。神仏分離令(1868)後の神道優先により、真宗各派と共に後に分離した。宗門財政改革を進め、本願寺護持財団などを設立、宗制寺法制定、学林(後の龍谷大学)改革、北海道、沖縄、アジア、欧米への布教活動、軍隊慰問・軍隊布教、刑務教誨、救恤運動なども進めた。日本初の議会(宗会)開設した。
 1868年信徒の寄進により西本願寺の別荘として「三夜荘」を建立した。
◆大谷光瑞 近代の浄土真宗の僧・大谷光瑞(おおたに こうずい、1876‐1948)。21世光尊の長男。1898年、第123代・大正天皇皇后・九条節子の姉・籌子(かずこ)と結婚。1902年欧州滞在、西域探検を企画、ロシア、カシュガル、ヤールカンド、インドに渡り、仏蹟の発掘調査に当たる。中央アジア、シルクロードの探検調査活動(大谷探検隊)は第1次(1902-1904)、第2次(1908-1909)、第3次(1910-1914)と続けた。1903年、ビハール州ラージギル郊外で釈迦ゆかりの霊鷲山を発見。1903年、継職し、22世門主となる。1904-1905年、日露戦争に従軍布教使を派遣。海外伝道も進めた。1908年、神戸六甲山麓に伊東忠太の設計による「二楽荘」を建て、探検収集品の公開展示・整理を行う。学校(後の甲南大学理学部)、園芸試験場、測候所、印刷所などを設置した。1913年、孫文の中華民国政府最高顧問に就任。1914年、法主を辞任、大連に隠退した。1919年、光寿会を設立し仏典原典の翻訳、1921年、上海に策進書院を開校した。大アジア主義を唱え、1940年、太平洋戦争中に近衞内閣で内閣参議、小磯内閣顧問を務めた。1945年、ソ連軍に抑留され、1947年、帰国、1945年、別府で没した。
◆九条武子 近代の歌人・九条武子(くじょう たけこ、1887-1928)。京都生まれ。西本願寺21世法主・明如(大谷光尊)の次女、母は藤子。1909年、男爵・九条良致(くじょう よしむね)と結婚し、渡欧、ロンドンで慈善病院などを視察し、1910年、単身帰国した。大谷籌子(かずこ)裏方(兄・光瑞の妻)を助け仏教婦人会を創設、1911年本部長に就任した。1920年、仏教主義に基づく京都女子高専(現、京都女子大学)を創設。1923年、関東大震災で自ら被災、全壊した築地本願寺の再建、震災負傷者、孤児の救援活動、託児所、臨時診療所、少女を収容する平和村などを創設した。1925年、あそか病院の基礎を築く。42歳で亡くなる。
 大正三美人(ほかに柳原白蓮、江木欣々)の一人。幼くして和歌に親しみ、佐佐木信綱に学ぶ。絵は上村松園に学ぶ。『金鈴』『薫染』などの歌集がある。「三夜荘」に過ごした。
◆税所敦子 近代の歌人・税所敦子(さいしょ あつこ、1825-1900)。京都の宮家付き武士(宮侍)・林氏の家に生まれる。千種有功(ちぐさ ありこと)の侍女となり歌を学び、桂園派と交わる。20歳で京都・薩摩藩邸の藩士・税所篤之(あつゆき)の後妻となる。28歳の時、夫は病没し、夫の郷里・鹿児島に赴く。10年間、薩摩藩主・島津久光の養女・香蘭院に仕える。後10年間、香蘭院が近衛忠房に嫁ぐのに従い老女として近衛家に移る。1875年、歌人・高崎正風の推挙により宮中に入り、第112代・明治天皇の右筆、権掌侍として貞明皇后・昭憲皇太后に仕えた。女官に歌文を教えた。天皇皇后の信篤く、内卿・伊藤博文も賞賛した。
 堂上派歌人であり、「明治の紫式部」と称えられた。家集に『御垣の下草』、随想『心づくし』。昭憲皇太后行幸に侍して「三夜荘」を訪れ『三夜荘記』を著す。
◆ツバキ ツバキの品種「三夜荘(さんやそう)」は一重で白地紅吹掛小絞。 別荘「三夜荘」に原木がある。1980年に発表された。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』『史跡探訪 京の七口』


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