和泉明神 (小倉餡発祥の由来の立札) (京都市右京区)
Izumi-myojin Shrine
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立札と畑


小倉山
 落柿舎の前の畑地に「小倉餡発祥の由来」と題する立札がある。かつてこの小倉里に、和泉明神(いずみ-みょうじん)という社が祀られていたという。 
◆歴史年表 詳細不明。
 平安時代、820年頃、京都では日本初になる小豆と砂糖を用いた餡が炊かれたという。当時のこの付近、小倉の里に亀の甲せんべいを作る和三郎という人がいたという。
 840年、和三郎が亡くなると、子孫、諸国同業の者は、小倉中字愛宕の「ダイショウ」の里に、和泉明神という社を創建した。
 その後、社は兵火により焼失し、和三郎の子孫も絶えたという。
 江戸時代、京都では小豆が広く栽培される。茶道の菓子、祝飯としても庶民にも用いられるようになった。
◆和三郎 平安時代、820年頃に、京都で日本初になる小豆と砂糖を用いた餡が炊かれたという。当時のこの付近の小倉の里には、亀の甲せんべいを作る和三郎という人がいたという。
 809年、空海(774-835)は唐より小豆の種子を持ち帰る。和三郎はこの小豆を栽培し、御所より下賜された砂糖を加えて煮詰め餡を作った。以来、毎年、御所に餡が献上されたという。空海は亀の甲せんべいの製法も伝えたという。
 840年、和三郎が亡くなると、子孫、諸国同業の者は、小倉中字愛宕の「ダイショウ」の里に、和泉明神という社を創建した。屋号「亀屋和泉」より社号をとったという。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 駒札、「6代・津田佐兵衛(井筒八ッ橋本舗)」、ウェブサイト「井筒八ッ橋本舗」


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小倉餡発祥の由来の立札  〒 京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町 
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