経書堂(来迎院) (京都市東山区)
Kyokaku-do Temple
経書堂(来迎院)  経書堂(来迎院)
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本堂


扁額「経書堂」



内陣


重軽石
 清水寺の境外塔頭・経書堂(きょうかくどう)は、清水坂と産寧坂(三年坂)の辻角に建つ小堂をいう。正式には来迎院という。堂では、かつて卒塔婆に戒名を書き付けていた。 
 北法相宗、本尊は厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)像。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 飛鳥時代、厩戸王(聖徳太子、574-622)の開基によるともいう。(『京羽二重』)。聖徳太子写経所跡ともいう。(『拾遺都名所図会』)
 中世(鎌倉時代-室町時代)、付近の清水ノ岡は「三本卒塔婆」と呼ばれた。鳥辺野にあり、経書堂、姥堂、大日堂(真福寺)などが建ち並んでいたことに因む。(『奇異雑談集』巻2)
 江戸時代、広く経書堂と呼ばれていた。
◆経書堂 経書堂では、堂の僧が経木に法華経の文を書き、死者の手向けにした。法華経、大乗経などを一石に一字書いたともいう。これに水を注ぎ、死者を供養していたという。このことから経書堂と呼ばれたという。
◆本尊 本尊の「厩戸王(聖徳太子)像」は、自刻という。16歳の像であり3尺(90㎝)ある。(『拾遺都名所図会』)。脇壇に「阿弥陀三尊(阿弥陀仏、観音・勢至菩薩)」を安置する。非公開。
建築 「本堂」は、唐破風造、入母屋造、瓦葺。
◆重軽石 本堂前に玉石の「重軽石(おもかるさん)」が置かれている。石を持ち上げ、信心を込めて、軽く上がると万事よしの意味になる。持ち上がらないと、翌日訪れ、上がるようにと自ら思慮するという。
◆謡曲 謡曲「熊野(ゆや)」には、清水寺が登場する。平宗盛の寵愛した遊女・熊野は、故郷に残した病の老母が気がかりになる。宗盛に暇乞いをするが、宗盛は聞き入れず花見の供を命じた。熊野を乗せた牛車は清水寺に着く。
 花見の酒宴で熊野は舞を舞う。村雨が降り始め舞をやめて、「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」と詠む。宗盛は哀れに思い、熊野に暇をとらせた。熊野は観世音の御蔭と感謝し故郷へ帰る。
 「煙の末も薄霞む。声も旅雁の横たわる」「(シテ)北斗の星の曇りなき。」「御法の花も開くなる」「(シテ)経書堂はこれかとよ」。…


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都の寺社505を歩く 上』『京都・山城寺院神社大事典』『京都大事典』『京都の地名検証 2』『昭和京都名所図会 1 洛東 上』 


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石標「経書堂」

石碑「開基本尊 聖徳皇太子」

【参照】「京の坂みち」の石碑、三年坂

【参照】三年坂
 経書堂(来迎院) 〒605-0862 京都市東山区清水二丁目233   075-561-5781
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