大日堂 (真福寺) (京都市東山区) 
Dainichi-do Temple
大日堂 (真福寺) 大日堂 (真福寺) 
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本堂


「大日堂」石標


常夜灯




蟇股


木鼻


陸前高田松原の倒木松を材に用いて造られた大日如来坐像。



内陣



【参照】旧本尊


旧本尊
 清水坂に清水寺宝性院の境外塔頭・大日堂(だいにち-どう)はある。大日如来を安置することから呼ばれた。正式には真福寺(しんぷく-じ)という。 
 北法相宗、本尊は大日如来坐像。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 
 室町時代、1534年、創建されたという。また、かつて尊体寺(そんだいじ)と称し、中御門大路富小路(上京区)にあった。同年、中御門大路富小路より現在地(東山区)に移り、寺号を真福寺と改めたともいう。(『坊目誌』『拾遺都名所図会』)
 中世(鎌倉時代-室町時代)
、付近の清水ノ岡は「三本卒塔婆」と呼ばれた。鳥辺野にあり、経書堂、姥堂、大日堂(真福寺)などが建ち並んでいたことに因む。(『奇異雑談集』巻2)
 江戸時代、天保年間(1830-1843)、僧・一円により中興された。(『京都府地誌』) 
 近代まで、法相宗と真言宗を兼学していた。 
 現代、2012年、東日本大震災の被災松により造仏された本尊・大日如来坐像が完成する。一時、清水寺本堂に奉納された。
 2013年4月、大日如来坐像は大日堂に遷座され安置された。
◆本尊 旧本尊の「大日如来坐像」(2.33m)(重文)は、平安時代作という。空海(774-835)作ともいう。かつて本堂にあり、いまは清水寺・宝蔵殿に遷されている。金剛界の大日如来であり、柔和な表情、豊満な体躯を表す。智拳印(ちけんいん)を結ぶ。寄木造、漆箔。
 脇に弁財天、五部大乗教の輪蔵を配したという。(『菟芸泥赴(つぎねふ)』) 
◆陸前高田松原の倒木松・大日如来坐像 現代、2011年3月11日、東日本大震災に伴う大津波などにより、死者15894人、行方不明者2562人の犠牲者が出ている。また、70000本をこえる名勝「高田松原」(岩手県陸前高田市)の松が失われる。ただ一本の松が残され、後にそれも枯死した。
 清水寺は旧本尊・大日如来坐像の摸刻を、京都伝統工芸大学校(南丹市)に依頼する。仏像彫刻専攻の教授、学生34人は、倒木松(流出松)30本による大日如来坐像造立に取り組んだ。この「ひとミノひと削り活動」には、全国1万1113人の参加を得た。ブータン国王夫妻も加わる。
 1年をかけた共同制作により、2012年3月11日に像は完成した。胎内には制作に参加した被災者の名札が納められる。清水寺本堂に一時、安置され披露された。2013年に当寺の本尊として清水寺より迎えられ安置されている。智拳印を結ぶ。寄木造、像高2.7m、幅1.8m。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『昭和京都名所図会 1 洛東 上』、『京都大事典』、『京都の寺社505を歩く』 


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大日堂(真福寺) 〒605-0862 京都市東山区清水2丁目248 
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