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宝徳寺 (京都市東山区) Hotoku-ji Temple |
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宝徳寺 | 宝徳寺 |
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![]() 本堂 ![]() 本堂扁額「寶徳寺」 ![]() 「聖徳太子 四十二歳 御直作 厄除阿弥陀如来」の木札 ![]() 「紀元二千六百年 浄土宗 西山派 寶徳寺」の石標 ![]() 本堂 ![]() 本堂 ![]() 本堂 ![]() ![]() 本堂、内陣、水引の菊花紋 ![]() 庫裏、本堂西、五条坂に隣接する。 |
宝(寶)徳寺(ほうとく-じ)は清水寺に向かう清水坂にある。山号は霊光山。清水寺の塔頭。 浄土宗西山深草派、本尊は阿弥陀如来。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 古くより、清水寺一山の無常寺として存在したという。開創は不明という。 鎌倉時代、時宗開祖・一遍(1239-1289)が開いたともいう。仲光院の北にあったという。(『拾遺都名所図会』) 安土・桃山時代、1598年、成就院9代・玉圓が建立したともいう。 江戸時代、1604年、「念仏道場」という小庵があったという。(『坊目誌』) 1663年、徳空(齢誉)が道場を改め、堂宇を造営したともいう。(『坊目誌』) 1667年、徳空が中興したもという。(『京都府地誌』) 1786年、「京都洛中洛外図絵」に記されている。 ◆本尊 ◈本尊の「阿弥陀如来」は、飛鳥時代、608年、厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)が42歳の厄除け守護の本尊仏として、自刻したとの伝承がある。 宮中で無量寿経を説いた際に、経文中の「神力大光を演べて、普く無際の土を照らし、三苦の闇を消除して、広く諸の厄難を救い玉う」を、深く信心し刻んだという。ただ、後世、他所より遷されたとみられている。 ◈脇壇に1面2臂の「魚籃(ぎょらん)観世音菩薩」を安置する。三十三観音に数えられる観音菩薩の一つとされる。唐の時代、魚を扱う美女は、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探して結婚した。女性はまもなく亡くなり、法華経を広める観音とされた。魚籃観音、また、同体の馬郎婦(めろうふ)観音として信仰されたという。羅刹・毒龍・悪鬼を厄除するという。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都市の地名』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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