御香宮社(古御香宮)・大亀谷 (京都市伏見区) 
Gokogu-sha Shrine
御香宮社  御香宮社
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大鳥居




参道、広い坂道が続いている。



本殿



本殿



本殿







手水鉢の遺構
 京都と奈良を結ぶ八科(やつしな)峠手前の丘陵地に、御香宮社(ごこうぐうしゃ)が建つ。この地(大亀谷)は、伏見城の鬼門の方角、北東に位置していたため、御香宮神社(伏見区御香宮門前町)が一時遷された。以来、旧御香(もとごこう)、古御香宮(ふるごこうぐう/ふるごこうのみや)、古御香宮社とも呼ばれている。
 深草大亀谷敦賀町周辺の氏神として信仰され、現在は、大鳥居と小さな本殿のみを残している。御香宮神社の御旅所になっている。 
 安産守護の神功皇后ほか九柱を祀る。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1594年、1592年/文禄年間(1592-1596)、豊臣秀吉は、1592年の伏見城築城に際して、御香宮神社(伏見九郷石井村、現在の伏見区御香宮門前町)をこの地(大亀谷)に遷した。城内鬼門除けの神とし、城の西に隣接する第50代・桓武天皇陵墓参考地を守護するために遷させたともいう。社殿が造営され、社領300石を寄進した。
 江戸時代、1605年/1603年、徳川家康は、旧地城下町の人心安定のためとして、現在の御香宮神社の地に戻している。この地(大亀谷)は、「古御香」と呼ばれ御香宮神社の御旅所になる。
 江戸時代末期、秀吉の造営した本殿は大破している。
 1868年、鳥羽・伏見の戦いで、御香宮神社の境内は薩摩藩の屯所になり、神霊は一時、この地の古御香宮(大亀谷)に遷されている。
 現代、1998年、現在の本殿が解体修理された。
◆大亀谷 ◈地名の大亀谷(おおかめだに)について、古くは「狼谷(おほかめだに)」であり、その転訛という。秦氏と狼にまつわる伝承がある。
 第29代・欽明天皇(510-571)が幼い頃に夢告があった。秦大津父(はた-の-おおつち)という人物を優遇すると、皇位に就くことができるという。人を遣わして捜させると、秦氏の居住地、背国紀郡深草里に大津父がいることが分かった。
 大津父は商業に携わっていた。天皇は、夢告に心当たりはないかと訊ねた。大津父は、伊勢からの帰り道の山中(八科峠、大亀谷付近という)で、2匹の狼が争うのに遭った。神使の狼が互いに争うことを諫め、傷口の血を拭い、山へ帰したと話した。欽明は大いに喜び、大津父を近侍させ、539年頃に天皇即位すると大津父を大蔵省の役人に任じたという。(『日本書紀』)
 説話は、当時の第27代・安閑天皇(466?-536?)・第28代・宣化天皇(467?-539?)と欽明天皇の対立を暗示する。また、渡来系の秦氏一族に商業活動を担った者が存在したことも示している。 説話は、狼信仰の最古のものという。
 ◈また、美しい女・於亀(おかめ)が営む「於亀茶屋」に因むともいう。(『山州名跡志』『都名所図会』)。
 ◈徳川家康の側室・お亀の方に因み、大亀谷と呼ばれたともいう。また、お亀の方が尾張徳川の祖・義直(五郎太)を産んだことから、五郎太町(現在の深草大亀谷五郎太町)になったという。
 ◈当初は、「狼谷」とされ、後に縁起のいい「大亀谷」に変わったともいう。
◆御陵 桓武天皇柏原陵が、かつて丘陵地の現在地、古御香社(大亀谷)付近一帯にあったともいう。境内、その南一帯は陵墓参考地になっている。豊臣秀吉は、伏見城の築城に際して、御陵を遷したともいう。
 また、秀吉は、城の西に隣接する桓武天皇陵墓参考地を、伝説の地として守護するために御香宮神社を大亀谷に遷させたともいう。
◆年間行事 御香宮神社の神幸祭(伏見祭では、御旅所として神輿渡御が行われている。)(10月10日)。


*年間行事の中止・日時変更、拝観中止・時間変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都の地名検証』『京都の地名検証 2』『天皇陵を訪ねて』『昭和京都名所図会 6 洛南』『雍州府志』 、ウェブサイト「コトバンク」  


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古御香宮 〒612-0843 京都市伏見区深草大亀谷古御香町   075-611-0559   10:00-16:00 
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