曼殊院宮墓地 (京都市左京区)  
Grave of manjuin-miya (Prince)
曼殊院宮墓地 曼殊院宮墓地
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「後奈良院天皇皇子 覚恕法親王御墓」の石標

覚恕親王墓


「陽光院‥ 良恕法親王御墓」の石標


良恕親王墓


「良尚法親王御墓」の石標


良尚親王墓


「後西院天皇皇子 良応法親王御墓」の石標


良応親王墓


「速證心院宮」?



「真無漏院宮」?



「‥二品親王」?


?


宮墓域外


「大慈悲心院前天台座主孝暢」



「前天台座主大僧正全珖大和尚」



「縛日羅心院天台座主観澄塔」
 曼殊院境内の南東、森の中に曼殊院宮墓地(まんじゅいん-みやぼち)はある。安土・桃山時代の覚恕親王ら8基の墓がある。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1574年、1月3日、覚恕親王が亡くなる。
 江戸時代、1643年、良恕親王が亡くなった。
 1693年、7月5日、良尚親王が亡くなる。
 1708年、6月21日、良応親王が亡くなる。
 1779年、精宮が亡くなった。
 1802年、富宮が亡くなる。
 1842年、6月29日、譲仁親王が亡くなる。
◆覚恕 室町時代後期の天台宗の僧・覚恕(かくじょ、1521-1574)。男性。第105代・後奈良天皇の第3皇子。母・壬生雅久の娘・伊予局。1525年、4歳で延暦寺曼殊院門跡で得度した。1527年、曼殊院門跡を相続する。1557年、准三宮の宣下を受けて金蓮院准后と称し、1570年、166世天台座主になった。その祝いとして武田信玄より「猿図」(重文)を贈られた。1571年、織田信長による比叡山焼討の際に、比叡山にいなかったために難を逃れた。比叡山抵抗の責任を追及され、甲斐・武田信玄を頼り亡命する。この後、信玄が権僧正の僧位を得るために尽力した。京都に戻ることはなかった。著『真如堂供養弥陀表白』など。53歳。
 墓所は曼殊院宮墓地(左京区)にある。
◆良恕 親王 安土・桃山時代-江戸時代前期の天台宗の僧・良恕 親王(りょうじょ-しんのう、1574-1643)。男性。勝輔親王、幼称は三宮、号は忠桓、法名・覚円のち良恕。父・第106代・正親町天皇皇子・誠仁親王(陽光院)、母・勧修寺(藤原)晴子の第3王子。第107代・後陽成天皇の弟。14歳で親王宣下を受け、1525年、曼殊院・尊朝親王のもとで得度し、門跡を相続した。64歳で第170世・天台座主に就任し二品に叙せられる。書画・和歌・連歌に優れた。著『良恕親王厳島参詣記』。70歳。
 墓所は曼殊院宮墓地(左京区)にある。
◆良尚 入道親王 江戸時代前期-中期の天台宗の僧・良尚 入道親王(りょうしょう-にゅうどうしんのう、1623-1693) 。男性。幼称は二宮、俗名は勝行、号は天松院。父・八条宮智仁(としひと)親王、母・京極高知(たかとも)の娘の第2王子。1627年、曼殊院に入室した。1632年、後水尾上皇(第108代)の猶子になる。1634年、親王宣下、得度した。1646年-1650年、23歳で第175世天台座主になる。1656年、寺地を洛中から洛北一乗寺村に移し中興開山になる。1692年、退隠して天松院と号した。
 絵を狩野尚信に学び水墨画、書、詩文、茶、池坊華道花にも優れた。著『遷宮作法』。72歳。
 墓所は曼殊院宮墓地(左京区)にある。
◆良応 入道親王  江戸時代前期-中期の天台宗の僧・良応 入道親王(りょうおう-にゅうどう-しんのう、1678-1708) 。男性。幼称は勝宮(かつのみや)、俗名は勝明(かつあき)。父・第111代・後西天皇、母・梅小路(藤原)定子(ていし)の第11皇子。1687年、親王になり、良尚入道親王を戒師として9歳で得度し、曼殊院門跡になる。1708年、第192世・天台座主になり同日死去した。31歳。円妙院と追号された。
 墓所は曼殊院宮墓地(左京区)にある。
◆精宮 江戸時代中期の皇族・精宮(しょうのみや、1774-1779)。男性。慈性入道親王?。父・閑院宮典仁親王(慶光院)、母・女房・加久の第8皇子。曼殊院への入室が決定していた。夭折した。5歳。
 墓所は曼殊院宮墓地(左京区)にある。
◆富宮 江戸時代中期-後期の皇族・富宮(とみのみや、1798-1802)。男性。朝彦親王?。父・閑院宮美仁親王、母・女房・信楽院の第3王子。曼殊院への入室が決定していた。夭折した。4歳。
 墓所は曼殊院宮墓地(左京区)にある。
◆譲仁 入道親王 江戸時代後期の天台宗の僧・譲仁 入道親王(じょうにん-にゅうどう-しんのう、1824-1842)。男性。俗名は持勝親王。父・伏見宮邦家親王、母・女房・藤木壽子の王子。1832年、8歳で第119代・光格天皇の猶子になる。1834年、親王を受け、出家し、曼殊院門跡を継いだ。19歳。
 墓所は曼殊院宮墓地(左京区)にある。
◆墓 宝塔、宝篋印塔など8基が立つ。
 域外にも、歴代天台座主、曼殊院門跡などの宝塔が複数立てられている。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「城とか陵墓とか」、ウェブサイト「神殿大観」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 曼殊院宮墓地 〒606-8134 京都市左京区一乗寺竹ノ内町
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