稲住神社 (京都市下京区) 
Inazumi-jinsha Shrine
 稲住神社  稲住神社
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稲住龍王、稲住弁財天を祀る。


稲住龍王、稲住弁財天



魔王尊


魔王尊、巨木の切株の上に祀られている。


地蔵尊
 梅小路公園の西の住宅地に稲住神社(いなづみ-じんしゃ)はある。かつてこの地には、平安時代の陰陽師・安倍晴明につながる土御門家の邸宅があった。陰陽道は、6世紀に百済より日本に伝えられた。その後、賀茂氏、安倍氏により大成され、やがて土御門家が継承した。 
 近代以前、この地には池があり、広場では農家が稲束を積んだことから、社名も稲住(いなづみ)になったという。
 祭神は安倍晴明を祀る。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、梅小路八条のこの地一帯には、陰陽師の土御門家の屋敷があったという。一町(109m)四方あり、北部が住居、南部は祭場になっていた。祭場には祭壇のある権宮などの建物が建られていた。天皇即位に当たり、長寿を祈る天曹(曺)地府祭を執り行っていたという。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)の難を逃れ土御門家は若狭に移る。
 江戸時代初期、徳川家康の命令で土御門家は、若狭より京都に戻り、梅小路に大規模な邸宅を与えられる。
 1684年、幕府天文方・渋川春海は、新たに貞享暦を作り、陰陽頭・土御門泰福とともにこの地に星台を建てた。渾天儀(中国で天体の位置の観測に用いられた天文観測器械)により天体観測をしていたという。
◆安倍晴明 平安時代中期-後期の陰陽師・安倍晴明(あべ-の-せいめい/はるあきら/はれあき、921-1005)。摂津国(大阪府)阿倍野/大和国(奈良県)桜井安倍/讃岐(香川県)生まれ。大膳大夫・安倍益材(ますき)/淡路守・安倍春材の子。母は加茂社家ともいう。第42代・文武天皇の右大臣・阿倍御主人(あべ-の-みうし)の後裔ともいう。幼くして京都に移る。陰陽師・賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学ぶ。保憲から天文道の奥義を授かった。唐に渡り、帰国後、陰陽道を確立したともされる。948年、大舎人になる。第61代・朱雀天皇の信を得る。960年、天文得業生として第62代・村上天皇に占いを命じられた。972年、天文博士に任じられる。979年、皇太子師・貞親王(第65代・花山天皇)の信を得て、命により那智山の天狗を封ずる儀式を行う。その後も、第66代・一条天皇など6代の天皇に仕え、藤原道長の信も得る。官職として主計寮の主計権助(かずえのごんのすけ)、大膳大夫(だいぜんだいぶ)、左京権大夫、穀倉院別当、播磨守などを歴任した。従四位下。著『占事略決』。85歳。
 安倍氏(土御門家)の祖になる。陰陽、暦術、天文の術に精通し、吉凶を占い、陰陽道の祭祀 (泰山府君祭) 、天文密奏などを行い宮廷で活躍した。様々な説話が『栄花物語』『今昔物語』『宇治拾遺物語』などに記されている。安倍氏は、賀茂氏と並ぶ陰陽道家になる。家は土御門の北、西洞院の東にあり、子孫は後に土御門家と呼ばれ代々陰陽頭になった。鎌倉時代-近代、1870年まで陰陽寮を統括した。後世、居宅跡には安倍晴明社が創建され霊神として祀られる。
 中世より伝えられる墓所の一つに、安倍晴明墓所(右京区嵯峨)がある。 
◆土御門泰福 江戸時代前期-中期の公卿(非参議)・陰陽家・土御門泰福(つちみかど-やすとみ、1655-1717)。泰広/土御門隆俊の子。土御門泰重(やすしげ)の孫。平安時代の陰陽師・安倍晴明の子孫で、室町時代以来の土御門家を名乗った家に生まれる。1661年、家督を継ぐ。土御門家は代々陰陽頭を務めた。江戸時代初期以来、幸徳井家(賀茂氏)側との対立が続いた。1680年、兵部少輔、1682年以後、泰福が陰陽頭に就任し、1683年、綸旨により日本諸州陰陽生総管になる。諸国の陰陽師を支配・免許の権限を得る。1684年、渋川春海が上表し改暦を請い、春海と天文台(京都梅小路)で実測に従事し、上奏して「貞享暦」と名を賜る。1699年、土御門家は陰陽道宗家になる。従二位蔵人。63歳。
 山崎闇斎の垂加神道を学び、陰陽道・神道による神道理論(土御門神道/安倍神道/天社神道)を興す。弟子に渋川春海。
 墓は土御門家の墓所がある真如堂(左京区)にある。
◆渋川春海 江戸時代前期-中期の天文暦学者・囲碁棋士・神道家・渋川春海(しぶかわ-はるみ/しゅんかい、1639-1715)。幼名は六蔵、名は都翁(つつち)、字は順正(のぶまさ)、通称は助左衛門、号は新蘆、安井(保井)算哲。江戸幕府碁方・安井算哲の子。京都の生まれ。幼少の頃より天文学に興味を持つ。暦学を岡野井玄貞(げんてい)、池田昌意(まさおき)に学ぶ。数学・暦法、天文暦学、垂加神道を山崎闇斎に、土御門神道を土御門泰福に学んだ。1652年、父没後、家職を継ぐ。幕府碁所に勤め、2代目・算哲と称した。1659年、御城碁に初出仕する。1684年以来、平安時代以来の宣明(せんみょう)暦に代り、自作の大和暦(貞享暦)を作る。西国諸州の緯度を測定し表を立て、天体運行を測定した。中国の授時暦と日本の里差(経度差)を考慮した。3度朝廷に改暦を上奏する。土御門家の反対にあう。土御門泰福との協力により朝廷での採用に成功した。初代幕府天文方になり、以後、渋川家が世襲する。1685年から、大和暦(貞享暦)施行された。1686年より、幕府の命により江戸に移り住む。1689年、本所に天文台用地を与えられた。中国伝来の星座に自ら選定した61座308星を加えた星図「天文成象図」(子昔尹[ひさただ])名で出版する。1702年より、渋川姓を名乗ることを願い出て許された。著『天文瓊統』『日本長暦』など多数。77歳。
 天文・暦学、年代学・古暦を研究し、七曜暦を復興した。渾天儀(こんてんぎ)、天球儀、地球儀、百刻環などを作った。儒学、神道、有職故実に通じた。
 墓は品川東海寺にある。没後、吉田家から土守霊社の諡を贈られた。
◆安倍家・賀茂家・土御門家 安倍晴明没後、陰陽道は安倍家と賀茂家により世襲された。鎌倉時代、1384年、安倍有世以来、安倍家は土御門と姓を変える。1565年、賀茂在富の後継がなく賀茂家は廃絶する。土御門家は、天文の術に加え、賀茂家の暦の術も継承する。ただ、土御門家は室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)以後、若狭国に移り、また豊臣秀吉による追放など困難な時期を経る。
 江戸時代、1618年、幸徳井友景が陰陽頭に任じられ、賀茂氏は復活するが、堂上の土御門家の下、昇殿を許されない地下に置かれる。1683年以後、陰陽師は免許制になり、発行する土御門家が支配した。
◆天曹地府祭 天曹(曺)地府祭は、陰陽道で行われる祭祀の1つで、六道冥官祭ともいわれる。安倍晴明が生み出した泰山府君祭を発展させたものという。室町時代、土御門家が幕府庇護下で宗家となり、将軍の御代始の儀式として執り行われた。江戸時代、将軍宣下や天皇即位式の際にも執り行い、近代、1872年の陰陽寮の廃止まで続いた。
年間行事 祭礼(11月16日前後の日曜日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 稲住神社由緒 、ウェブサイト「コトバンク」


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稲住神社 〒600-8855 京都市下京区梅小路石橋町97-1 
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