大聖寺宮墓地 (京都市上京区)  
The grave of daishoji-miya (Princess)
大聖寺宮墓地 大聖寺宮墓地
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参拝道入口












「霊元天皇皇女 大聖寺永秀御墓」の石標


永秀墓


永皎墓


元昌墓
 大聖寺宮墓地(だいしょうじ-みやぼち)は、大歓喜寺の境内一角にある。安土・桃山時代-江戸時代の9人の皇女などが葬られている。
◆歴史年表 安土・桃山時代、1580年、4月16日、永邵女王が葬られた。
 江戸時代、1644年、8月19日、文高女王が葬られた。
 1662年、9月5日、元昌女王が葬られた。
 1686年、閏3月5日、永亨女王が葬られる。
 1690年、7月20日、永宗女王が葬られる。
 1723年、9月19日、八重宮が葬られた。
 1725年、7月5日、永秀女王が葬られた。
 1808年、閏6月13日、永皎女王が葬られる。
 1830年、5月26日、永潤女王が葬られた。
◆永邵女王 室町時代-安土・桃山時代の皇女・永邵女王(えいしょう-じょうおう、1569-1580)。華岳永邵女王。第106代・正親町天皇の第1皇子・誠仁(さねひと)親王(陽光院太上天皇)、母は、勧修寺晴右の娘で女房・勧修寺(藤原)晴子(新上東門院)。幼少期に大聖寺で得度した。そのため、大聖寺は「御寺」と称され、尼門跡の最高位とされた。大聖寺11世/14世。院号は放光院花岳永邵尼大禅師。11歳。
 墓所は大聖寺宮墓地 (上京区)にある。
◆文高女王 安土・桃山時代-江戸時代前期の皇女・文高女王(ぶんこう-じょうおう、1595-1644)。恵仙女王、君山文高女王。第107代・後陽成天皇の第4皇女、母は女御近衛(藤原)前子。7歳で得度し、大聖寺門跡14世/17世を継承した。慶長年間(1596-1615)、三時智恩寺を兼帯した。1602年、景愛寺住持になる。1624年、寺務を辞し、還俗し大聖寺の東隣に居した。居宅は「東御所」と称された。院号は天祥院君山文高尼禅師 。49歳。
 墓所は大聖寺宮墓地 (上京区)にある。
◆元昌女王 江戸時代前期の皇女・元昌女王(げんしょう-じょうおう、1637-1662)。幼称は滋宮(しげのみや)。宮永昌女王、法号は久山、芳桂院。第108代・後水尾天皇の第9/11皇女、母は典侍・園(藤原)光子。1646年、11歳で聖寺門跡・永宗(えいそう)女王の弟子になる。16世/19世門跡を継承し、1649年、得度した。院号は芳桂院久山元昌尼大禅師。25歳。
 墓所は大聖寺宮墓地 (上京区)にある。
◆永亨女王 江戸時代前期の皇女・永亨女王(えいこう-じょおう、1657-1686)。珠宮、泰嶽永亨女王。第108代・後水尾天皇の第19皇女、母は典侍園(藤原)国子(新広義門院)。10歳で出家し、17世/20世大聖寺門跡を継承した。1681年、景愛寺住持になる。寛文年間(1661-1673)、大和・法華寺住職も兼任した。院号は本元院泰嶽永享亨大禅師。29歳。
 墓所は大聖寺宮墓地 (上京区)にある。
◆永宗女王 江戸時代前期の皇女・永宗女王(えいそう-じょうおう、1609-1690)。貴宮、永崇女王。第107代・後陽成天皇の第6皇女、母は掌侍・西洞院(平)時子、1624年、15歳で得度し、15世/17世大聖寺門跡を継承した。1624年、景愛寺住持、1646年、元昌女王に門跡を譲り、東御所に隠居した。勅賜号は陽徳院、院号は永宗尼大禅師。通称は東御所。82歳。
 墓所は大聖寺宮墓地 (上京区)にある。
◆八重宮 江戸時代中期の皇女・八重宮(やえのみや、1721-1723)。第112代・霊元天皇の第14皇女、母は後宮・秦氏、南相忠の娘・小少将。1721年、女一宮孝子内親王の猶子になる。1723年、永秀女王附弟契約、同年、夭折した。院号は慈観院宮。2歳。
 墓所は大聖寺宮墓地 (上京区)にある。
◆永秀女王 江戸時代前期-中期の皇女・永秀女王(えいしゅう-じょうおう、1678-1725)。重宮、友宮、俊巌永秀女王 、永宗尼。父は第112代・霊元天皇の第5皇女、母は典侍・松木(藤原)宗子(敬法門院)。1688年、10歳で出家し、18世/21世門跡を継承した。1707年、紫衣(しえ)を授けられ景愛寺住持を兼任した。院号は勝光明院俊巖永秀尼大禅師。49歳。
 墓所は大聖寺宮墓地 (上京区)にある。
◆永皎女王 江戸時代中期-後期の皇女・永皎女王(えいこう-じょうおう、1733-1808)。倫宮(とものみや)、永杲女王、永晃女王、天巌永皎女王。第114代・中御門天皇の第7皇女。母は掌侍・久世夏子。1742年、9歳で出家し、10世/23世大聖寺門跡を継承した。1746年、景愛寺住持、1769年、寺勢の拡大により御所号を許され「御寺御所」と称された。1770年、大和・円照寺門跡も兼任した。1781年、二品宣下を叙された。1808年、特賜准三后。
 詩歌、茶道に優れ、「大聖寺煎茶道永皎流」を興した。大聖寺門跡中興の祖とされている。院号は勝妙楽院二品贈准后天巌永皎尼大禅師。 77歳。
 墓所は、大聖寺宮墓地(上京区)、塔所は円照寺宮墓地(奈良県)になる。
◆永潤女王 江戸時代後期の皇女・永潤女王(えいじゅん-じょおう、1820-1830)。倫宮(つねのみや)、玉鑑永潤女王。第119代・光格天皇の第5皇女、母は典侍・姉小路(藤原)聡子。1826年、6歳で出家し21世/24世大聖寺門跡を継承した。10歳。 1826年、景愛寺住持、院号は普明浄院玉鑑永潤尼大禅師 。
 墓所は大聖寺宮墓地 (上京区)にある。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 『京都大事典』、「城とか陵墓とか」、ウェブサイト「天上の華々」、ウェブサイト「コトバンク」


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