|
|
元祇園椰神社・隼神社 (京都市中京区) Motogionnagi-jinja Shrine,Hayabusa-jinja Shrine |
|
元祇園椰神社・隼神社 | 元祇園椰神社・隼神社 |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() 左、梛神社、右、隼神社 ![]() 梛神社 ![]() 隼神社 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 御供石 ![]() 【参照】隼神社の旧社地に立つ石碑、壬生御所ノ内町 ![]() 神幸祭 |
壬生梛ノ宮町(みぶ-なぎのみや-ちょう)、四条通に面した元祇園梛神社(もとぎおんなぎ-じんじゃ)は、八坂神社の古跡にあたるという。 境内は、平安京の中央付近に位置し、鴨川を挟み、四条通の東西に八坂神社と当社の2つが位置していた。「梛の宮神社」、「梛神社」、「梛の宮さん」、「元祇園社」とも称された。 祭神は、素戔鳴尊(すさのおのみこと)、稲田比売命(くしなだひめのみこと)、宇賀御魂命(うがのみたまのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)、伊弉諾(いざなぎのみこと)、誉田別尊(ほんだわけのみこと)、菅大神を祀る御霊社になる。 厄除け、疫病祓いの信仰がある。 隼神社(はやぶさ-じんじゃ)は、平安時代の式内社『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)の「京中坐神三座左京四條坐神一座」の一つ「隼神社」に比定されている。 ◆元祇園梛神社の歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。 平安時代、876年/869年/貞観年間(859-877)、都に疫病が流行し、八坂牛頭天王(ごずてんのう、神仏習合以前は素戔鳴尊)の祟りとされた。播磨国飾摩郡白幣山より牛頭天王が勧請され、御霊会を行う。神輿は一時、数万本の梛の林に祀られたという。(社伝)。その後、神霊は八坂に遷される。この時、人々が傘をかざし、棒を振り楽を奏した。これが、祇園祭傘鉾の起源になったという。かつては、現在地よりも北方向に祀られていたという。広大な社地を有していた。 中世(鎌倉時代-室町時代)以降、衰微した。 江戸時代末、荒廃していた。 近代、1873年、壬生寺境内に祀られていた六所明神を廃し、梛神社に合祀して氏子が増えた。 1874年、復興される。 1920年、隼神社が遷座された。 1922年、神幸祭が復活する。 1929年、復興される。現在の社殿が再建された。 1932年、御供石(ごくいし)が御供石町(下京区)より境内に移される。 ◆梛 梛神社の社号は、境内にあるナギ(チカラシバ、竹柏)に由来する。かつて、数万本の「梛の森」が広がっていたという。 ナギを水草の一種、「水葱(ナギ、ミズアオイ)」とする説もある。水葱は食用にもなった。かつて、四条南坊城西を水葱町と称した。近世には、当社を「水葱宮(なぎのみや)」とも表記していた。 ご神木のナギがあり、木製の小さな玉が吊るされている。 ◆隼神社の歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。 平安時代、860年、「授後院(朱雀院?)無位隼神従五位下」とある。(『三代実録』)。当初は右京朱雀院内に祀られていた。 865年、従五位上を受ける。(『三代実録』) 868年、従四位下と位階は進む。(『三代実録』) 874年、従四位上の神階を授けられる。(『三代実録』) 940年、隼神に従三位を授けられる。(『日本紀略』) 10世紀(901-1000)初頭、左京の四条坊門坊城に遷された。 江戸時代、衰微した。 近代、1920年、二町北の蛸薬師坊城(坊城通蛸薬師下ル西)より現在地に遷された。 ◆隼神社 隼神社(はやぶさ-じんじゃ)、隼社(はやぶさの-やしろ)は、近代、1920年、蛸薬師坊城(坊城通蛸薬師下ル西)よりこの地に遷された。御霊社になる。宮中神36坐、平安時代の式内社『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)の「京中坐神三座 並大 左京四條坐神一座 月次新嘗」の一つ「隼神社」に比定されている。京中坐神3坐のうち、現存唯一になる。 祭神は、建甕槌命(たけみいかつちのみこと、隼大神)、経津主命(ふつむしのみこと)を祀る。 瘡神(かさがみ/くさがみ、梅毒の治癒祈願の神)の信仰があり、これは、「隼(はやぶさ)」社が、「はやくさ」に転訛したためという。疫病の疱瘡(ほうそう、天然痘)、瘡毒(そうどく、梅毒、腫れ物)平癒の信仰が生まれた。 社は、平安時代の西院、第53代・淳和天皇(786-840)の後院、淳和院の地主神だったという。平安時代『三代実録』(860年の条)に、「授後院無位隼神従五位下」とある。 また、朱雀院(後院)の中に祀られた鎮守社だったという。朱雀院は、第52代・嵯峨天皇(786-842)以来の譲位天皇の御所だった。右京にあり、朱雀大路に面し、平安京右京三条、四条間に位置していた。 朱雀院内、西南隅に石神明神とともに祀られていたという。苑池の魚を小禽より護るために、隼は神格化された。鎮守社として置かれたとみられている。10世紀(901-1000)初頭に院廃後、左京の四条坊門坊城に遷された。江戸時代には衰微する。 瘡神の信仰があり、祈願には、祭壇に土団子を奉納する。祈願成就の際に、同じ数の米団子を再び奉納する慣わしがあるという。 ◆御供石 「御供石(ごく-いし)」は、末社・田中神社の傍らに祀られている。旧祇園社御旅所(下京区御供石町,万寿寺通烏丸西入ル)より、近代、1932年に遷されたという。 旧地に一時、御旅所があった。祇園祭の山鉾巡行に際して、この石上に神饌を供えていたという。 ◆樹木 カリン、カクレミノがある。 ◆祭礼 神幸祭(5月の第3日曜日)は、祇園会の起源とされる。大祭の後、神霊を鳳輦に遷し、鼓笛、少年勤皇(王)隊、獅子、鉾、花傘などが巡幸する。 剣鉾は、菊鉾(6カ町)、日月鉾(綾東町)、橘鉾(御所ノ内南部)、龍鉾(松原町中部)、朱雀鉾(朱雀町北部)、鳳凰鉾(4カ町)、虎鉾(9カ町)の7基があり、各鉾町で護持している。現在は、神幸列には枠造りで曳行供奉される。 ◆年間行事 神幸祭(5月の第3日曜日)。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京の古代社寺 京都の式内社と古代寺院』、『京都 歴史案内』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都・山城寺院神社大事典』、『京都大事典』、『剣鉾まつり』、『京都 神社と寺院の森』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |
|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
|