心光寺 (京都市左京区) 
Shinko-ji Temple
心光寺 心光寺
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本堂






大藤大人、大藤下総守高雅の碑、吉備津神社神官・藤井高雅の墓が境内にあるという。

【参照】室町時代後期の「上杉本洛中洛外図屏風」に描かれた声聞師村、鴨川二条大橋の説明板より


【参照】「上杉本洛中洛外図屏風」に描かれた五条大橋、上の建物が大黒堂、鴨川二条大橋の説明板より

 三条大橋の東に、心光寺(しんこうじ)はある。正式には、法城山晴明堂心光寺という。
 浄土宗、本尊の阿弥陀如来立像が安置されている。 
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、陰陽師・安倍晴明(921-1005)が、鴨川の治水祈念のために寺を建立したという。五条橋(現在の松原橋付近)東北の中州にあったという。法城寺(ほうじょうじ)と号し、当初は真言宗だった。(『雍州府志』)
 寛和年間(985-987)、鴨川の洪水があり治水の勅により、晴明が五条中島の鶴ノ林で護持の地蔵尊を祈った。たちまち洪水が分流し、その後、地鎮のために一宇を建て法城寺と称したという。(「寺籍調査会書上之写控」)
 1005年、晴明没後、遺骸は寺内に埋葬され、塔婆が立てられた。「晴明塚」と呼ばれた。(『雍州府志』「寺籍調査会書上之写控」)
 中世(鎌倉時代-室町時代)、浄土宗に改宗される。弥陀を安置した。寺号も心光寺と改められ、知恩院に属した。(『雍州府志』)
 その後、幾度か洪水により流され、廃寺になる。(『雍州府志』『日次記事』)
 室町時代、1556年、五条大橋の中島に「法城寺」があったと記されている。(『花洛名勝図絵』中「五条橋勧進状」よりの引用)
 江戸時代、1607年、慶長年間(1596-1615)とも、寿林和尚により、三条橋東の現在地に移され中興される。(『雍州府志』「寺籍調査会書上之写控」)。その際に、晴明塚も遷されたともいう。
◆安倍晴明 平安時代中期の陰陽師・安倍晴明(あべ-の-せいめい/はるあきら/はれあき、921-1005)。摂津国(大阪府)阿倍野/大和国(奈良県)桜井安倍/讃岐国(香川県)生まれ。大膳大夫・安倍益材(ますき)/淡路守・安倍春材の子。母は加茂社家ともいう。第42代・文武天皇の右大臣・阿倍御主人(あべ-の-みうし)の後裔ともいう。幼くして京都に移る。陰陽師・賀茂忠行・保憲父子に陰陽道を学ぶ。保憲から天文道の奥義を授かった。唐に渡り、帰国後、陰陽道を確立したともされる。948年、大舎人になる。第61代・朱雀天皇の信を得る。960年、天文得業生(てんもんとくごうしょう)として第62代・村上天皇に占いを命じられた。961年、陰陽師になった。971年/972年、天文博士に任じられる。977年、師・保憲が亡くなった。979年、皇太子師・貞親王(第65代・花山天皇)の信を得て、命により那智山の天狗を封ずる儀式を行う。その後も、第66代・一条天皇など6代の天皇に仕え、藤原道長の信も得る。官職として主計寮の主計権助(かずえのごんのすけ)、大膳大夫(だいぜんだいぶ)、左京権大夫、穀倉院別当、播磨守などを歴任した。従四位下。著『占事略決』。85歳。
 安倍氏(土御門家)の祖になる。陰陽、暦術、天文の術に精通し、吉凶を占い、陰陽道の祭祀 (泰山府君祭) 、天文密奏などを行い宮廷で活躍した。様々な説話が『栄花物語』『今昔物語』『宇治拾遺物語』などに記されている。安倍氏は、賀茂氏と並ぶ陰陽道家になる。家は土御門の北、西洞院の東にあり、子孫は後に土御門家と呼ばれ代々陰陽頭になった。鎌倉時代-近代、1870年まで陰陽寮を統括した。後世、居宅跡には安倍晴明社が創建され霊神として祀られる。
 中世より伝えられる墓所の一つに、安倍晴明墓所(右京区嵯峨)がある。
◆藤井高雅 江戸時代後期の国学者・藤井高雅(ふじい-たかつね、1819-1863)。本姓は堀家、通称は高枝、高起、光治郎、号は幽叟(ゆうそう)、後松の屋(のちのまつのや)。備中(岡山県)生まれ。業合大枝、藤井高尚の門人になる。藤井高尚の孫娘と結婚した。備中・吉備津神社社家頭を継ぐ。国学を教え後松屋先生とよばれた。晩年、尊攘運動に加わる。紀伊・芹田と淡路・由良の間に大暗礁を造る。夷船を防ぐために資金を募り、浪士の嫌疑により京都で暗殺された。45歳。
◆仏生寺弥助 江戸時代後期の剣豪・仏生寺弥助(1830-1863)。詳細不明。吉村豊治(次)郎。越中国仏生寺村出身という。江戸三大道場の一つ、桂小五郎塾頭・師範代の神道無念流「練兵館」、斎藤弥九郎門弟。無学だが最強を誇った。芹沢鴨と親密になり、新撰組に加わろうとしたという。松原通の下村家(大丸百貨店の祖)に攘夷支度金を強要し殺されたともいう。津本陽は「修羅の剣」の主人公として描く。33歳。
◆仏像・石像 ◈ 本尊の「阿弥陀如来立像」は、法城寺の旧本尊であり、安阿弥作(快慶)という。
 ◈ 「地蔵菩薩立像」は、晴明が水難除けの呪術に用いたという。
 ◈ 木造「地蔵菩薩像」は、弘法大師作という。
 ◈ 石造「地蔵菩薩像」は、鴨川上流より流れ着き、門脇の堂に安置されていた。
◆法城寺・心光寺 寺号の法城寺は、「法」がサンズイの「水」が「去る」、「城」は「土」が「成る」であり、「法城」で「水去って土と成る」の意味ともいう。(『雍州府志』)
 中世(鎌倉時代-室町時代)後期-末期に五条橋の中島にあったという大黒堂(大こくだう)と法城寺を同一とする説もある。さらに、声聞師(民間の下級陰陽師系芸能者)と大黒(大黒党)との関りがあったともいう。
◆墓 現在、境内に晴明塚はない。晴明塚は当初、三条橋の東に改葬されたという。(『雍州府志』)。さらに東福寺門前の遣迎(けんこう)院の竹薮の中に遷したともいう。また、宮川筋の西にあり、江戸時代に宮川町五丁目・弓矢町に遷されたともいう。(『雍州府志』『京羽二重織留』)
 江戸時代の囲碁の名手・滋野宗珍の墓がある。
 幕末に暗殺された仏生寺弥助(1830-1863)が当寺に埋葬されたともいう。過去帳に、元の名「吉村豊治郎」、戒名「仙徳院刃豊居士」と記され、池田屋に宿していたという。さらに、同時に暗殺された「高部弥三雄」「三刀谷一馬」の名も記されていたという。(2013年)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都市の地名』、『京都まちかど遺産めぐり』、『雍州府志』、『増補 洛中洛外の群像』 、ウェブサイト「コトバンク」


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心光寺 〒606-8366 京都市左京区超勝寺門前町80-1 
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