菅原院天満宮神社 (京都市上京区)
Sugawarain-temmangu-jinja Shrine
菅原院天満宮神社 菅原院天満宮神社
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home























本殿





本殿










 京都御所の西、烏丸通に面して菅原院天満宮神社(すがわらいん てんまんぐう じんじゃ)はある。「烏丸の天神さん」とも呼ばれている。
 祭神は菅原道真、菅原是善、菅原清公の三座が祀られている。御霊社。 
 末社・梅丸社(梅丸大神)は、癌封じ、腫れもの止めに効験ある神として信仰されている。
 江戸時代、洛陽天満宮二十五社順拝第24番拝所、太宰府天満宮への遺蹟伝承地を結ぶ菅公聖蹟二十五拝の第1番。
 御朱印が授けられる。
◆歴史年表 平安時代、かつて境内には菅原氏の邸宅「菅原院」があり、菅原道真(845-903)、道真の父・是善(これよし、812-880)、祖父・清公(きよきみ/きよとも、770-842)と、公家で文人として活躍した三代が居住していたという。(『坊目誌』)
 901年、昌泰の変では、左大臣・藤原時平、第60代・醍醐天皇により、右大臣・菅原道真は大宰権帥として太宰府へ左遷させられた。道真の長男・高視ら4人、右近衛中将・源善らも流刑、左遷になった。道真も都の土を再び踏むことなく太宰府で没している。
 903年、道真没後、都では異変が相次いだ。その菩提を弔うために、歓喜光寺という寺院が建立される。境内には道真と父、祖父の小祠が祀られたという。
 その後、歓喜光寺は、六条河原院へ移り、小祠のみが残された。
 平安時代-鎌倉時代、現在の烏丸通、「中御門通」の角付近に、菅原院が存在していた。 
 鎌倉時代末、この地は「勘解由(かげゆ)小路南 烏丸西一丁」と記されている。(『拾芥抄』)
 1269年、北野天満宮の御輿が入洛中は、御門室町にとどまったとみられ、北野天満宮の御旅所だった。(『一代要記』)
 南北朝時代、1362年、三管領の筆頭・斯波(しば)氏の邸、武術陣に取り込まれる。
 室町時代、1547年、室町幕府第13代将軍・足利義輝(1546-1565)の住した二条御所に取り込まれる。
 1565年、義輝は邸内で永禄の変により、三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)、松永久秀らの軍勢の襲撃を受け討死している。
 1568年、織田信長が15代将軍・足利義昭(1537-1597)のために造営した旧二条城に取り込まれた。
 1573年、義昭は二条城において信長に挙兵した。だが、降伏し、室町幕府は消滅する。
 江戸時代以降、東に移転した御所の西、現在地に神社が再興されたとみられている。洛陽天満宮二十五社順拝第24番拝所、太宰府天満宮への遺蹟伝承地を結ぶ菅公聖蹟二十五拝の第1番だった。
 近代、昭和期(1926-1989)初期まで、北野天満宮の御旅所になる。北野祭(瑞饋祭)では渡御があり、枇杷(びわ)を御輿に献じていた。(『拾芥抄』)
◆菅原道真 平安時代前期の公卿・文章博士・歌人・菅原道真(すがわら-の-みちざね、845-903)。字は三、通称は菅家、菅公。菅原是善の3男。母は伴氏。幼少より漢詩、和歌に優れた。862年、文章生試験に合格、866年、円仁『顕揚大戒論』序文を書く。867年、文章徳業生、870年、方略試に合格、871年、少内記、872年、存問渤海客使に任じるが、母が亡くなり解官、877年、式内少輔、文章博士を兼ねる。第59代・宇多天皇、第60代・醍醐天皇に重用される。879年、従五位上。880年、父没し家塾「菅家廊下」を継承。883年、加賀権守兼任。884年、太政大臣職掌の有無について意見を奏上。888年、阿衡問題について藤原基経に意見書を送る。891年、式部少輔、左中弁兼ねる。892年、従四位下、『三代実録』『類聚国史』を編じる。893年、参議、式部大輔、左大弁、勘解由長菅・東宮亮を兼任。894年、遣唐大使に任命されるが、大使の中止を建議し、中止になる。侍従兼任。895年、近江守兼任、中納言、従三位、春宮権大夫兼任。897年、正三位、中宮大夫兼。899年、右大臣となる。900年、三善清行は道真に辞職勧告する。901年、従二位、左大臣・藤原時平の讒言(ざんげん、告げ口)により、大宰権帥に左遷される。903年、大宰府で没した。著『菅家文集』、歴史書『三代実録』など。59歳。
 遺言により太宰府・安楽寺に葬られた。 
 道真没後約50年間に、都では旱、疫病(疱瘡)、月食、大彗星、地震、天候不順などが続いた。道真の政敵・藤原菅根、藤原時平の死(909)、左遷を命じた醍醐天皇の皇太子保明親王の死(923)、清涼殿落雷(930)による藤原清貴、平希世の死、醍醐天皇自身の死(930)が相次いだ。これらの異変は、道真の怨霊の仕業と怖れられた。道真怨霊についての文献初出は、平安時代中期『日本紀略』という。道真には没後、993年、正一位、太政大臣が追贈される。道真は、当初、雷神、祟り神として、後に天神として学問の神として祀られた。
◆菅原清公 奈良時代-平安時代初期の公卿・儒者・漢詩人・菅原清公(すがわら-の-きよきみ/きよとも/きよただ、770-842)。菅原古人(ふるひと)の4男、道真の祖父、子は善主、是善。784年、第49代・光仁天皇皇子の早良親王に侍し、文章生になる。文章得業生、大学少允を経て、802年、遣唐判官兼近江権掾になる。804年、遣唐大使・藤原葛野麻呂に従い遣唐判官として、最澄、空海らと入唐した。805年、帰国した。大学助、尾張介、左京亮、大学頭、式部少輔、文章博士、式部大輔(しきぶのたいふ)、弾正大弼(だんじょうのだいひつ)、左京大夫(さきょうのだいぶ)などを歴任した。839年、従三位に叙せられる。晩年、歩行困難になり、牛車での参内を許された。『凌雲集』『文華秀麗集』の撰者の一人、撰『令義解(りょうのぎげ)』、著『菅家集』、73歳。
 文章院創立、私塾「菅家廊下」を開く。第52代・嵯峨天皇の儀式衣服を唐様に改め、殿舎、諸門に唐風名の新額を掲げ、平安京の左京、右京を洛陽城、長安城と呼んだ。
◆菅原是善 平安時代の公卿・漢学者・菅原是善(すがわら-の-これよし、812-880)。菅相公(かんしょうこう)。清公(きよきみ)の4男、道真の父。幼少から家学の文章道を学び、11歳で天皇の前で書を読み、詩を賦した。835年、文章得業生、大学助、846年/845、文章博士、851年、『文選』を進講した。853年、大学頭。857年、『漢書』を講じた。870年、式部大輔。871年/872年、参議、877年、刑部卿。第55代・文徳天皇、第56代・清和天皇に進講した。879年、従三位に叙された。
 編纂『貞観格式(じょうがんきゃくしき)』、都良香(みやこのよしか)らと『日本文徳天皇実録』、著『菅相公集』、『東宮切韻(とうぐうせついん)』など。63歳。
 書、詩、仏道を崇(あが)めた。後世の「北野天神縁起」には、道真が是善邸南庭に幼児の姿で現れ、養育されたとの伝承が記されている。
◆摂末社など  ◈天道大日如来社、地蔵社、天道大日如来(出世石神)、地蔵尊 などが祀られている。
 ◈梅丸大明神に和融稲荷社、梅丸大神社がある。 平癒石は、できもの、はれもの、皮膚病、癌平癒の信仰がある。
 ◈戸隠社に、戸隠大神(天手力男命、あめのたじからおのみこと)を祀る。歯痛止め、口腔の病除去の信仰を集める。
 九頭龍大神は、良縁、雨乞いの神になる。
◆文化財  ◈菅原道真遺愛という石燈籠がある。
  ◈幕末-近代の探検家・松浦武四郎(1818-1888)が晩年に天満宮を崇敬し、銅鏡や石碑を奉納している。松浦は、蝦夷地を探査し、北海道の名を考案した。 
◆井戸  ◈境内には石台形花崗岩製の、道真が産湯に使ったと伝えられる「菅公初湯井(うぶのい)」がある。道真は、母の伴氏邸で生まれたともいう。
 付近は良質の水が湧くことで知られている。井戸は6m/8-9mほどの深さがあり、かつて湧水があったが、地下鉄工事以後は枯渇したという。その後、現在は地下25mから湧水している。
  ◈隣接する平安女学院内にも、道真ゆかりの産湯の井戸がある。
◆ずいき祭 かつて、北野社のずいき祭に際して、当社に神輿が渡御していた。枇杷を供えたという。
◆年間行事 例祭(7月25日)。 


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『京都大事典』、『わかりやすい天神信仰 学問の神さま』、『続・京都史跡事典』、 『京都 歴史案内』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都のご利益手帖』、『大学的京都ガイド こだわりの歩き方』、『京のしあわせめぐり55』、『京都の隠れた御朱印ブック』 、ウェブサイト「コトバンク」


   京都御所   護王神社   歓喜光寺   北野天満宮     


天道大日如来社

地蔵社、天道大日如来(出世石神)、地蔵尊

梅丸大明神、右より和融稲荷社、梅丸大神社
平癒石

戸隠社、九頭龍大神

天満宮遺愛燈籠

遺愛燈籠


「美しや紅の色なる梅の花 あこが顔にもつけたくぞある」、道真

「菅公御初湯の井」の石碑

菅公御初湯の井

「初湯の井戸」
平安京オーバレイマップ
菅原院天満宮神社 〒602-8021 京都市上京区堀松町408,烏丸通下立売下ル  075-211-4769  7:00-19:00
50音索引,Japanese alphabetical order  Home   50音索引,Japanese alphabetical order  Home  
  ©2006- Kyotofukoh,京都風光