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志波む桜(師範桜)碑 (京都市北区)  
Monument of the Shihamu Cherry Blossom
志波む桜(師範桜)碑  志波む桜(師範桜)碑 
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志波む桜碑、出雲路橋西詰北


碑文


碑文の「征露」の文字


北山大橋下流


北山大橋下流


葵橋上流


葵橋上流


御薗橋下流 

【参照】「立テ本町」の町名
 鴨川に架かる出雲路橋の西詰付近に、「志波む桜碑(しはむさくら-ひ)」が立てられている。
 かつて、京都師範学校(現・京都教育大学の前身)の教職員・生徒・児童により、鴨川の堤防に桜・楓が植樹された。このため、「師範(しはん)桜」とも呼ばれた。
 現在も樹々は鴨川両岸にあり、春秋には彩を添えている。
◆歴史年表 近代、1905年、10月12日、「桜樹植付認可願」は、京都府知事・大森鐘一宛に提出された。
 同年、11月2日、京都府知事・大森により植付計画は認可された。
 同年、11月14日、20日、22日、御薗橋-葵橋間で植樹が行われた。
 同年、11月29日、京都師範学校は上賀茂神社境内に桜苗木を寄進している。
 同年、11月30日、現在地に記念碑が立てられた。
 同年、12月2日、「桜楓樹植栽植付完了記念式」が、出雲路橋下河原で挙行された。
 1906年-1914年、桜楓苗木を補植している。
 現代、1965年、京都学芸大学(現・京都教育大学)紫郊体育会は、桜守・佐野藤左衛門の桜苗木を鴨川の出雲路橋-出町柳間に植樹した。
 2018年、9月4日、京都市を直撃した台風21号により植樹された一部の樹木に倒木などの被害があった。
◆志波む桜 近代、1904年2月6日に日露戦争が勃発し、1905年9月5日に終戦になった。この戦争を契機とし、1905年6月頃に京都府師範学校教職員・生徒・同附属小学校児童による鴨川への植樹が計画が発議された。
 1905年10月12日に、「桜樹植付認可願」は、京都府知事・大森鐘一(1856-1927)宛に提出されている。11月2日、京都府知事・大森により「桜樹植付認可願」は認可される。計画案では、鴨川の御薗橋-葵橋間は1800間(3.2㎞)あり、両岸に1間半(181㎝)毎に1本宛2列に植樹することになった。このため、桜苗木2500本、楓苗木1000本の計3500本が尾張国丹波郡旭村(現・愛知県丹羽郡江南市)の育苗農家に発注された。11月5日に植付に必要な道具類も整った。11月11日に尾張国丹波郡旭村より苗木3200本が到着している。これらの諸経費については、職員のほか、2年生-5年生、附属児童などからも寄付金が募られた。最終的な総経費は396円73銭になった。
 11月13日に、当時の校長・柴崎鉄吉(1866-?)は、講堂に集った全校生徒の前で植樹の目的、植付心得などを訓示している。11月14日、20日、22日の3日間にわたり植樹植付が行われた。14日は午前8時10分-11時に生徒86人により126本(桜84本・楓42本)を植付けた。20日には3組により午前7時-10時、2組は午前10時30分-午後1時30分、3組は午後1時半-4時30分に作業を行った。この日は合計518本(桜365本・楓153本)を植樹した。22日にすべての植付は完了した。当日の詳細については不明。3日間の延べ作業時間3115時間、従事人員1033人、植付本数3014本(桜2279本・楓735本)になった。
 その後、11月29日に、京都府師範学校は上賀茂神社境内に桜苗木100本を寄進している。11月30日に記念碑が現在地に建碑された。12月2日には、「桜楓樹植栽植付完了記念式」が、出雲路橋下河原で挙行されている。参列者は京都師範学校関係者・生徒多数のほか、京都府、愛宕郡、上賀茂村、鞍馬口村、下鴨村、上賀茂尋常小学校、下鴨尋常小学校の関係者が集った。
 その後、1906年-1924年間に、2473本(桜1573本・楓900本)を補植している。
 現代、1965年に、京都学芸大学(現・京都教育大学)紫郊体育会は、嵯峨の桜守・佐野藤左衛門の桜苗木15本を、出雲路橋-出町柳間の鴨川に植樹した。2018年9月4日に、京都市を直撃した台風21号により、植樹された樹木の一部に倒木などの被害があった。
◆志波む桜碑 「志波む桜碑」は、近代、1905年11月30日に、北区出雲路橋西詰付近に京都府師範学校教職員生徒により立てられた。植樹植付事業を記念し、後世に植樹の意義を伝えるのが目的だった。あえて、碑題は「師範桜」とはされなかった。「師範」を「しはむ」と読みし、万葉仮名で書き表して「志波む」とされたともいう。
 万葉仮名(真仮名)は、漢字の音・訓をかり、和語を書き表す表記法であり、漢字自体の意味には関係がない。奈良時代の『万葉集』を中心とする文献に見られる。平安時代に仮名が発達する以前に用いられた。なお、草仮名では「志波無(しはむ)」とも記される。草仮名は、万葉仮名から平仮名への移行段階に表れた仮名をいう。
 また、「志波む桜」の「む」のみが平仮名で記されている。本来は、「志波無桜」であり、「む」とは「無」だったとする説がある。また、「む」とは「武」の崩し字ではないかとの見方もある。
 碑の裏面の碑文には「甲辰之歳□露役起戦連両 年我武維揚目植桜楓数千 株於鳬堤(鴨川堤)以為記念亦以萬 育英之意終焉耳 明治卅(三)十八年(1905年)乙巳(きのとみ)冬十一 京都府師範黌職生員建」と刻まれている。東南には「京都嶋金 石寄附 森川音吉刻」とある。
 当初、上記「□」の部分には、「征」の字が刻まれていた。「征露」の意味になる。1905年11月25日に、師範学校の職員・生徒により意見が起こり、建碑前に知事に届出て「征」の字は磨消されたという。「征」の字は人材育成という建碑の趣旨にそぐわないとされた。ただ、現在も「征」の字を確認するができる。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 『京都教育大学付属京都小学校百年誌』、『親と子の 下鴨風土記』、『賀茂文化第11号』、ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、ウェブサイト「京都教育大学同窓会」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 志波む桜(師範桜)碑 〒603-8134 京都市北区出雲路立テ本町(出雲路橋西詰)    
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