渋谷街道の道標 (京都市東山区)  
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渋谷街道の道標 渋谷街道の道標
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「渋谷街道(渋谷越)」の石標、国道1号線沿

 東山ドライブウェイと五条バイパスが合流する付近に、道標「渋谷街道(しぶたに-かいどう)」が立てられている。
 旧街道は、清閑寺と阿弥陀ヶ峰の谷間の道であり、山科に通じ、東国への最短の道筋だった。時代により呼び名は変わり、現在は渋谷通という。
◆歴史年表 鎌倉時代、承久年間(1219-1222)頃、街道は「久久目路(くくめじ)」とある。(『保元物語』)
 南北朝時代、1373年、「苦集滅道(くずめじ)」と記されていた。(『太平記』)
 江戸時代、1665年、「滑谷(しるたに)」と記されている。(『扶桑京華志』)
 1754年、「瀋谷(しるたに)」と記されていた。(『山城名跡巡行志』)
 近代、1880年、6月、杉本新左衛門ほか6人により現在の道標が立てられた。
 1893年、周辺の渋谷(しぶたに)町は清閑寺町に吸収されている。
 現代、1967年、五条バイパス(渋谷街道 - 東大路間)が開通している。
◆渋谷通・苦集滅路 渋谷街道は、急坂の難所だった。峠越えを汁谷越(しるたに-ごえ)といった。峠付近には渋谷町があった。
 街道は、五条橋口(六条坊門末)より清閑寺山、阿弥陀ヶ峰(鳥辺山)の谷を通り、山科・東海道に通じていた。現在の五条通(国道1号線)とほぼ同じ道に重なる。平安京では東の玄関口になっていた。軍事上の要衝地に当たった。馬町(うままち)通ともいう。現在は渋谷通ともいう。
 平安時代後期、1156年、信西入道(藤原通憲、1106-1160)は検非違使を招集し、京都の四方の関所を固め、平判官実俊(平実俊、?-?)を「久久目路(くくめ-じ)」に派遣している。
 鎌倉時代前期、承久年間(1219-1222)頃に、「久久目路(くくめ-じ)」とも記されていた。(『保元物語』)。1221年に設置された六波羅探題は、街道を東国の通路として重要視した。鎌倉時代後期、1333年に、最後の六波羅探題・北条時益(?-1333)は、東国敗走に際して街道で野伏に襲われている。
 南北朝時代、1373年頃には「苦集滅路(くずめ-じ)」と記されている。(『太平記』)。これは、 初期仏教の根本的な教義「苦集滅道(くじゅう-めつどう)」に因む。
 室町時代中期、1447年に、三井寺の教待和尚は、清水寺の行叡居士と親しく、大山崎の別業を訪ねる際に、木履が「苦集滅路」と響いたように聞こえたことから名付けたという。(『下学集』)。また、東国に左遷される際に、「四諦の法(したいのほう)」を観じたことによるともいう。これは、四つの真理の意であり、苦諦・集諦(じつたい)・滅諦・道諦の総称の苦集滅道をいう。
 室町時代後期の応仁・文明の乱(1467-1477)以前には、「汁谷」「汁谷越」と記されている。(『中昔京師地図』)。1526年、連歌師・宗長(1448-1532)は、大津下向に際して、若松池・しる谷付近には白波(盗賊)が出没する所と指摘した。
 江戸時代前期、1665年には、「滑谷(しるたに)」と記されている。(『扶桑京華志』)。江戸時代中期、1754年には、「瀋谷(しるたに)」と記されている。(『山城名跡巡行志』)。この「しるたに」とは、京都の言葉でいう「しるい谷」の転訛であり、「ぬかるんだ谷・道」の意味ともいう。なお、滑谷については、清閑寺から清水寺奥の院、音羽ノ滝に至る山道も意味したという。
 近代、1877年に東海道線の開通に伴い、街道は次第に衰退した。1893年、渋谷町は清閑寺町に吸収されている。現代、1967年には五条バイパス(渋谷街道 - 東大路間)が開通し街道は廃れた。
◆道標 道標「渋谷街道」は、近代、1880年6月に、杉本新左衛門ほか6人により立てられた。
 碑文は北東面に「渋谷街道」、南東面に「すく 大仏 本願寺  道」、北西面に「右 火葬場 左 山科大津 道」、南西面に「明治十三年(1880年)六月建之 杉本新左(衛門) 岩佐孫(兵衛) 井上治郎(兵衛)  芝原嘉(兵衛)片山長(兵衛) 池田長(兵衛) 杉本治郎兵(衛)」と刻まれている。
 高さ134×幅40×奥行40cm。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、『昭和京都名所図会1 東山』、『京都事典』、『京都の道標』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 渋谷街道の道標 〒605-0924 京都市東山区今熊野阿弥陀ケ峯町
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