空也堂 (京都市中京区) 
Kuya-do Temple
空也堂  空也堂 
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home








鹿角杖(わきづえ)


瓢箪(ひさご、はち)、室町時代の『七十九番職人歌合』のなかに、「無常声 人聞けとてぞ 瓢箪の しばしばめぐる 月の夜念仏」という和歌があるという。


歓喜踊躍(かんぎゆやく)念仏踊



六斎念仏踊
 空也堂(くうやどう)は、空也ゆかりの寺として知られている。「空也極楽院」とも呼ばれた。山号は紫雲山、院号は極楽院という。正しくは紫雲山光勝寺極楽院(しうんざん-こうしょうじ-ごくらくいん)という。この「光勝」とは、空也が比叡山延暦寺で受戒した法名を表している。 
 天台宗空也派、本尊は空也立像を安置している。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、938年、空也に深く帰依した、平定盛の草創によるともいう。
 939年/天慶年間(938-947)、空也による開創ともいう。当初は三条櫛笥(くしげ、中京区今新在家西町、中京区三条大宮西)にあったという。(『空也上人絵詞伝』「空也堂文書」中の「時宗鉢叩念仏弘通明細帳」)。また、当初は鞍馬にあったともいう。
 951年、空也は、都に流行していた悪疫退散のために、自ら十一面観音を刻み、車に載せて市中を曳き廻した。(『空也上人絵詞伝』)
 966年、定盛法師(定阿弥法師)が2世になり引き継ぐ。(「空也堂文書」中の「時宗鉢叩念仏弘通明細帳」)
 中世(鎌倉時代-室町時代)、時宗に属し、「櫛笥(くしげ)道場」、「市中道場」とも呼ばれた。
 鎌倉時代、時宗・一遍(1239-1289)は空也を深く敬愛し、両宗の関係は密接になる。
 室町時代、1428年、土一揆で焼ける。(『薩戒記』)
 応仁・文明の乱(1467-1477)で焼亡した。
 その後、道場は西光寺(現在の六波羅蜜寺付近)に移転した。一時、西光寺に合併したともいう。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)以降、諸国の空也僧(鉢叩、茶筅)を統轄した。
 江戸時代、寛永年間(1624-1643)/1634年/1662年/天正年間(1573-1593)、現在地に再建されたという。この際に、第108代・後水尾天皇中宮・東福門院の援助があった。(「空也堂文書」中「書上帳」、『筆のすさび』)。以来、時宗鉢叩念仏弘通派の本山になる。8塔頭を有した。町名も鉢叩に因み敲町(たたきちょう)と呼ばれる。
 1708年、焼失した。
 1725年、焼失する。
 1780年頃、8軒の鉢叩の塔頭があり栄えた。徳正庵、金光庵、寿松庵、東の坊、正徳庵、利清庵、南の坊、西巌庵だった。(『都名所図会』)
 1788年、天明の大火により焼失した。
 1862年、現在地に再建されたともいう。
 1864年、焼失している。
 江戸時代末、六斎念仏講中に免許を与えていた。
 近代以降、明治期(1868-1912)、天台宗に改宗した。塔頭・寿松庵、西岸庵の2院のみが残る。その後、2塔頭は廃絶する。
 太平洋戦争(1941-1945)中、建物強制疎開により本堂も取り壊しになる。庫裡が本堂に代えられる。
◆空也 平安時代中期の浄土教の僧・空也(くうや/こうや、903-972)。こうや上人、弘也(こうや)、光勝、寺を持たず常に市井にあったことから、市聖 (いちのひじり)、阿弥陀聖。第60代・醍醐天皇の第2皇子、第54代・仁明天皇皇子・常康親王の子ともいう。幼少より在家の優婆塞(うばそく)として全国を遍歴した。919年、17歳で市中の遺骸を念仏を唱えながら埋葬した。924年、尾張・国分寺で出家し、沙弥空也と名乗る。播磨、奥州、四国で修行し、934年、奥羽にも布教した。938年以来/天慶年間(938-947)、京都で念仏を広める。乞食、布施を得て貧者・病人に施した。939年、空也堂を開く。948年、比叡山・天台座主延昌から受戒し、光勝の法名を得る。終生、沙弥名の空也を名乗った。950年、浄財を集めて、金色1丈の十一面観音像、6尺の梵天・帝釈・四天王の像を造立した。951年、都に流行していた悪疫退散のために、自ら十一面観音を刻み、車に乗せ市中を曳き廻した。病人に茶を授け、歓喜踊躍の念仏踊で病魔を鎮めた。病人は平癒したという。その典茶・皇服茶(おうぶくちゃ、王服茶)は、身分の隔てなく分け与えられた。その時の踊躍は、六斎念仏として今も伝わる。963年/応和年間(961-964)、13年かけて金泥『大般若経』 600巻の書写事業を完成させた。鴨川河原に宝塔/一寺(のちの西光寺、六波羅蜜寺)を建て盛大な供養会を行う。東山の西光寺(六波羅蜜寺)で没した。70歳。墓は全国に複数ある。
 空也念仏の祖。諸国を巡歴し南無阿弥陀仏の名号を唱えた。各地で橋を架け、道路、井戸(阿弥陀井)の整備、遺棄された骸を火葬し荼毘(だび)に伏すなどの社会事業も行った。空也の菩薩行は行基につながる。称名念仏により、既存の国家、権勢、知識層の仏教から庶民の仏教を唱えた。後の法然、親鸞の専修念仏に影響を与える。一遍は空也を崇敬した。
◆平定盛 平安時代中期の僧・平定盛(たいら-の-さだもり、?-?)。詳細不明。定阿弥法師。かつて猟師であり、鹿を殺めたことを空也に諌められる。以後、殺生の罪を悔い、空也の弟子になる。有髪妻帯の念仏僧(空也僧)になる。966年、空也堂2世。瓢叩き、和讃を唱え洛中に念仏踊を勧め、空也踊躍念仏の祖とされた。
 なお、武将・平貞盛は別人になる。
◆本尊 本堂に「空也立像」が安置されている。空也の自作という。 
◆空也・定盛 空也は貴船に住み、夜毎に啼く鹿の声を愛した。また、空也は鞍馬寺参籠から僧正谷への帰途に、平定盛に出会った。 
 定盛の手には、鹿の角と皮がある。空也が問うと、定盛が射た鹿であり、空也が慣れ親しんだ鹿だった。空也は哀しみ、その鹿の皮を得て、皮衣とし身にまとった。鹿の角は杖の頭に付けて鹿角杖として愛用したという。
 定盛は自らの殺生の行いを悔い、空也の弟子になり僧籍に入る。定盛法師と名乗る。定盛は、空也僧の起源になり、十八家とはその子孫という。(『空也上人絵詞伝』)
◆鉢叩き 遊行聖である空也僧の別名として、「鉢叩(はちたた)き」、「鉦打(かねうち)」がある。少なくとも南北朝時代より現れたという。短い衣を脛高(はぎだか)に着て草鞋を履き、胸に鉦鼓(しょうこ)台を付け、鉦(かね)を下げ、手に撞木(しゅもく)、鹿角杖(わさづえ)を持っていた。各地に空也を祀る空也堂を建てていった。
 江戸時代、空也堂は鉢叩の本拠地になる。鉢叩は、布教の際に竹枝の撥(ばち)で瓢箪(ひさご、はち)を叩き、和讃を唱えたために名付けられた。後に「鉢屋」、「茶筅」とも呼ばれる。最下層の仏教教化集団(空也僧)として、社会的に差別されていたとみられている。僧は各地に散在しており、空也堂がこれらを統括していた。
 江戸時代には、光勝寺(空也堂)門前の敲町(たたきまち/たたきちょう)に、18軒の家(十八家)があった。これらは塔頭であり、彼らは剃髪せず、妻帯し、俗体の空也僧(鉢叩)だった。網代笠を被り、草鞋を履き、胸には鉦を下げていた。喜捨は瓢(ひさご)で受け取り、瓢箪型の菓子を与えた。菓子は幼児の疳の虫に効くとされていた。
 庶民向けに、茶筅(ちゃせん、抹茶を点てる茶道具、物を洗う道具でもあった)を制作し、朝市で売ったという。正月三が日に、この茶筅で茶を点て飲む茶を「大福茶」といい、年中の邪気を免れ、病退散の効用があるといわれた。
 冬(12月13日-大晦日)には、鉢叩により、寒行(寒中修行)が行われた。空也僧は、墓所、葬場、火屋(火葬場)を廻った。竹枝で瓢を叩き、念仏を唱え、無常の頌文(じゅもん/きょうぶん、頌歌)という詩、念仏を唱えた。(『擁州府志』)。江戸時代の第120代・仁孝天皇(1800 -1846)、第121代・孝明天皇(1831-1867)の中陰仏事の焼香念仏も奉納した。
 極楽院内の「上人」という老僧一人は、肉食妻帯せず、剃髪し、僧衣を着ていた。この清僧は、空也堂の住職を務めていた。(『擁州府志』)。
 六斎念仏の始祖は空也とされ、空也堂は一遍の踊り念仏とも関わり深い。踊り念仏も行われていた。近世以降、空也堂は諸国の空也僧を統括する。江戸時代末、六斎念仏講中に免許状を与える特権を得ている。
◆王服茶筅 平安時代、951年、都中に悪疫が流行した際に、空也は車に観音像を載せて、市中を引き廻したという。その際に、茶を煎じ茶筅を振りたてて観音に献じた。その茶を病人に飲ませて平癒させた。(『空也上人絵詞伝』)。茶は、第62代・村上天皇も服用し、「王服茶(おうぶくちゃ、皇服茶)」と呼ばれた。(『都名所図会』)
 以来、12月の事始め-晦日までの48日間にわたり、空也堂の僧が売り廻る茶筅を買い求めた。僧は、頭に定盛頭巾(じょうせい ずきん)を被り、青竹の先の藁苞(わらずと、藁でくるんだ包み)に茶筅を挿して売り歩いた。「空也上人御伝来、王服茶筅」と売り声をあげた。この茶筅には、病除災の効験があると信じられていた。
◆開山忌(空也忌)法要 開山忌(空也忌)法要(11月第2日曜日)が行われている。
 江戸時代には空也の命日に当たる旧暦11月13日に行われていた。この日は、平安時代、965年に空也が奥羽教化に旅立った日という。空也は、再び帰ることはできないとして、忌日にするようにと弟子に伝えた。
 法要の当日、勤行、王服茶(おうぶくちゃ)の献茶式、空也僧による歓喜踊躍(かんぎゆやく)念仏が行われている。瓢箪、鉦、太鼓を鳴らす踊り念仏が行われる。六斎念仏焼香式(重要無形民俗文化財)も催される。
◆年間行事 開山忌(空也忌)法要(11月第2日曜日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』、『一遍辞典』、『京都古社寺辞典』、『京都 歴史案内』 、『京都府の歴史散歩 上』、『昭和京都名所図会 5 洛中』、『京都の寺社505を歩く 上』、『京都隠れた史跡100選』、『京の寺 不思議見聞録』 、ウェブサイト「コトバンク」


     六波羅蜜寺    空也寺    
空也堂 〒604-8253 京都市中京区亀屋町288,蛸薬師通堀川東入ル  075-255-1585
50音索引,Japanese alphabetical order  Home   50音索引,Japanese alphabetical order  Home  
  © 2006- Kyotofukoh,京都風光