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詩人尹東柱 「記憶と和解の碑」 (宇治市)  
Poem inscribed on monument of Yoon,Dongju
詩人尹東柱 記憶と和解の碑 詩人尹東柱 記憶と和解の碑
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「詩人尹東柱 記憶と和解の碑」


「詩人尹東柱 記憶と和解の碑」


「詩人尹東柱 記憶と和解の碑」、「新しい道」(ハングル・日本語)


宇治川の河原、奥に天ヶ瀬吊橋


宇治川


白虹橋


白虹橋


鎮守社


旧・宇治川電気志津川発電所


天ヶ瀬吊橋


天ヶ瀬吊橋


天ヶ瀬吊橋


天ヶ瀬吊橋


天ヶ瀬吊橋から見た宇治川の風景


宇治川、天ヶ瀬吊橋(左端)、白虹橋(中央)、天ヶ瀬ダム(右端) 、OpenStreetMap Japan
 宇治市の宇治川に架かる白虹橋(はっこう-ばし)の北西詰に、「詩人尹東柱(しじん-ゆん-どんじゅ) 記憶と和解の碑(きおく-と-わかい-の-ひ)」が立つ。
 この付近で、近代の朝鮮人詩人・尹東柱(ユン-ドンジュ)が同志社大学学友とハイキングしたという。
◆歴史年表 近代、1940年、12月、紀元二六〇〇年記念として天ヶ瀬吊橋が起工した。
 1942年、4月、天ヶ瀬吊橋が完成する。
 1943年、5月頃、同志社大学に在学中の尹東柱は、帰国を決めた。学友は宇治川の川辺で野外送別会を催している。
 現代、1996年、3月、野外送別会の場所が宇治川の現在地付近であると特定された。
 2005年、市民団体「詩人記念碑建立委員会」が結成される。
 2016年、10月、白虹橋が架橋される。尹東柱生誕100年記念として、「詩人尹東柱記念碑建立委員会」により記念碑が建立され除幕式が行われた。
◆尹 東柱  近代の朝鮮人詩人・尹 東柱(ユン-ドンジュ/イン-トウチュウ/Yun Tongju、1917-1945)。男性。幼名は海煥(ヘファン)。満州(中華民国東北部)北間島(ブッカンド、現・中国吉林省)明東(ミョンドン)学村の生まれ。父・明東校教員・尹永錫(ユン-ヨンスク)、母・金龍(キム-リョン)の長男。祖父・尹夏鉉(ユン-ハヒョン、キリスト教の長老)。キリスト教長老教会で従兄弟・宋夢奎(ソン-モンギュ)とともに幼児洗礼を受けた。1925年、明東小学校に入学する。1931年、大拉(デナブ)の中国人小学校に転入学する。1932年、一家は龍井(ヨンジョン)に移り、東柱はプロテスタント系・恩真(ウンジン)中学校に入学した。1934年、詩作を始める。1935年、平壌(ピョンヤン)のミッション系・崇実(スンシル)中学校に編入した。1936年、崇実中学交が神社参拝拒否問題で廃校処分になったため退学する。故郷の日本人経営の光明(クワンミョン)学園中学部に編入する。詩人・鄭芝溶(チョン-ジヨン)の詩を耽読した。1937年、進学問題で医科を望む父と対立する。1938年、光明学園中学部を卒業し、京城(キョンソンブ、ソウル)の延禧(ヨンヒ/ヨニ)専門学校文科(現・延世[ヨンセ]大学)に入学する。1939年、詩・童謡を発表した。この頃、キリスト教の信仰に根本的な疑いを抱く。1941年、文友会雑誌「文友」に詩『新しい道』などが掲載される。自選詩集『空と風と星と詩』の出版は、ハングル使用が禁じられていたため果たせなかった。戦時下により延禧専門学校文科を繰り上げ卒業する。向学のため渡日を決意し、やむなく一家で「平沼(ひらぬま)」と創氏改名し、「東柱(とんちゅう)」とした。1942年、キェルケゴールを耽読する。3月、来日し、4月、東京・立教大学文学部英文科に入学する。中退し、夏休みに一時帰国後、10月、再来日し、同志社大学文学部文化学科英語英文学専攻に転入学する。武田アパート(左京区田中高原町)に住み通学した。1943年、7月、同志社大学在学中にハングルで詩を書く。戦時下の皇民化政策により、ハングル使用は危険視されていた。夢奎は京都下鴨警察署の特高課内鮮係刑事により、朝鮮独立運動の嫌疑で逮捕される。同月、東柱も同署に同容疑で逮捕・勾留された。蔵書・日記なども多数押収された。12月、2人とも送検される。1944年、3月、京都地方裁判所で改訂治安維持法違反の罪で、懲役2年の判決を受けた。2人は思想犯として福岡刑務所に送られ投獄される。1945年、2月16日明け方、東柱は獄死した。最期に何か大声で一言叫んだという。死因は不明。27歳。
 同年、3月6日、東柱は龍井の東山(トンサン)教会墓地に埋葬された。3月10日、夢奎も獄死している。
 東柱は寡黙で内省的で、いつも微笑み、スポーツを好んだという。遺稿詩集『空と風と星と詩』(1948)、『星かぞえる夜』(1941)、『十字架』(1941)など。現在、韓国では中高校の教科書に東柱の詩が必ず掲載されている。2025年2月16日、同志社大学は、名誉文化博士の学位を贈った。
◆碑 近代、1943年5月頃に、同志社大学英語英文学科に在学中の尹東柱は、徴兵を避けて帰国を決心した。
 学友の男女は宇治川にハイキングに出かけ、川辺で東柱の野外送別会を催している。現在の白虹橋(志津川仙郷谷)付近の川辺だった。飯盒炊飯を楽しみ、「最後なので歌を一曲歌って欲しい」と学友に請われた。東柱は恥ずかしがりながらもアリランを歌ったという。完成間もない天ヶ瀬吊橋(宇治市宇治紅斉・金井戸)上で記念写真を撮った。現在の白虹橋の下流(西側)になる。現存している記念写真には、東柱を含む9人の人物が写っている。学生服の男性7人、女性2人の姿がある。
 これが東柱を写した最後の写真になった。送別会の直後の7月に、東柱は治安維持法違反の疑いで逮捕され、1年半後に獄死した。
 
1995年に、NHKは尹東柱のドキュメンタリー番組「空と風と星と詩-尹東柱・日本統治下の青春と死」を製作した。この取材の過程で記念写真が発掘される。当時、一緒に写真に収まった東柱の学友の一人が見つかり、その女性のアルバムの中に残されていた。
 1996年3月下旬に、「尹東柱詩碑建立委員会」の朴熙均(パク-ヒギョン)ら3人による現地調査で、記念写真の撮影場所は天ヶ瀬吊橋上であり、下流に向かい東側を背景にしていたことが特定される。
 2005年に、市民団体「詩人記念碑建立委員会」が結成される。2007年に各界からの募金により碑石の製作も完成した。ただ、野外送別会の場所が特定されず、碑の設置は見送られていた。
 2017年10月28日に、尹東柱生誕100年記念として「詩人尹東柱、記憶と和解の碑」の除幕式が行われた。志津川区の区有地提供を受けて碑の建立が実現した。碑が設置された場所は、東柱が歌った宇治川の川辺付近という。
 碑の正面には、東柱が1938年5月10日作詩の「新しい道」が、ハングル・日本語で刻まれている。裏面には「詩人尹東柱記念碑建立委員会」の碑文が刻まれている。碑の建立は日本国内では3例目になった。碑の意匠は東柱を象徴する円筒を日本と韓半島の御影石が支えている。高さ2m、幅1.4m。

「新しい道」 (尹東柱、1938年5月10日作、日本語訳者不明)

小川を渡って 森へ
峠を越えて 村へ

きのうもゆき きょうもゆく
わたしの道 新しい道

たんぽぽが咲きかささぎが翔び
娘が通り 風が立ち

わたしの道は いつも新しい道
きょうも あしたも

小川を渡って 森へ
峠を越えて 村へ

◆天ヶ瀬吊橋 近代、1942年に、宇治町により紀元二六〇〇年記念平等院公園計画が行われた。平等院境内、周辺・阿字池・散策道路の整備、天ヶ瀬吊橋の架橋などが計画される。総工費10万円であり、宇治電、宇治町有志、京阪電鉄の寄付によった。
 吊橋の天ヶ瀬吊橋(宇治市宇治紅斉・金井戸)は、宇治町により、1940年12月に起工し、1942年4月に完成している。経費は2万2300円だった。
 橋脚が無く、ロープで吊られている。勾欄はハウトラス式組立になる。直線的な部材で構成される三角形を単位とした構造骨組の一種であり、各部材の端部節点がすべてピン接合になっている。
 延長54.3m、幅員2m。
◆白虹橋 「新白虹橋(はっこう-ばし)」(宇治市宇治金井戸地先・志津川仙郷谷地先)は、現代、2014年7月に起工し2016年10月に竣工した。
 淀川水系宇治川の天ケ瀬ダム(アーチ式ダム、高さ72m、長さ254m)の再開発事業の一環だった。橋はダム直下流地点の渓谷に架橋されている。周辺の景観が考慮され、渓谷との調和が図られている。
 構造形式は国内5例目の自碇式PC吊床版橋(吊床版架設工法を用いたPC複合トラス橋)が採用された。吊床版橋の技術を活用し、橋台間に張り渡したケーブルを支保工として橋体を構築する。吊床版のサグ(弛み量)は小さい。
 特徴として自重が軽くグランドアンカー(地すべり対策)に頼らず、地盤条件が良好でない場所でも架橋が可能、大規模な架設機械が不要・急速施工が可能、支保工が不要、造形式が単純・剛性が高いなどになる。
 構造形式は単径間単純複合床版橋、架設工法はプレキャスト版吊、設計荷重はA活荷重(大型車交通量の少ない道路を想定)、橋長77.0 m、幅員9.23m-22.80m。
◆天ヶ瀬・周辺 付近の宇治川渓谷は「宇治川ライン」と呼ばれ、サクラと紅葉の名所だった。
 天ヶ瀬は古く「甘樫ノ浜(あまかし-の-はま)」と呼ばれた。かつて、上流の宇治田原から搬出された薪は、筏に組んで田原川に流された。現在の天ヶ瀬橋付近から船に積み替え、伏見・大坂に運んでいたという。
 近代、1913年に宇治川水力発電所が竣工した。大峰発電所・志津川発電所が設置されている。現代、1964年に多目的ダムの天ヶ瀬ダムが完成し、関西電力天ヶ瀬発電所が発電を開始した。大峰発電所・志津川発電所は廃止になる。
 さらに、天ヶ瀬ダムの北東の喜撰山東に、1970年に喜撰山揚水ダム・関西電力喜撰山発電所が竣工し、人造湖が生まれている。
◆年間行事 追悼式(2月16日)、記念の集い(10月か11月)。


年間行事(拝観)は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。
年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 「詩人尹東柱記念碑建立委員会」の碑文、『同志社人脈』、『新編 同志社の思想家たち』、『尹東柱詩集-空と風と星と詩』、ウェブサイト「立教大学図書館」、ウェブサイト「尹東柱 と尹一柱-詩に現れた兄弟の思い」、ウェブサイト「東亜日報 2017年10月30日付」、ウェブサイト「瓜生通信2021年3月3日-京都芸術大学広報課」、ウェブサイト「詩人尹東柱 記憶と和解の碑への道」、『尹東柱 青春の詩人』、宇治市の説明板、ウェブサイト「プレストレスト・コンクリート建設業協会」、ウェブサイト「株式会社ピーエス三菱」、ウェブサイト「J-GLOBAL」、『京都府の地名』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 詩人尹東柱 記憶と和解の碑 〒611-0015 京都府宇治市志津川仙郷谷 
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