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尹東柱留魂の碑 (京都市左京区) Monument of Yun,Tongju |
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尹東柱留魂の碑 | 尹東柱留魂の碑 |
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![]() 尹東柱留魂之碑・副碑 ![]() 「尹東柱留魂之碑」 ![]() 尹東柱留魂之碑 ![]() 副碑「序詩」、ハングル・日本語 ![]() 副碑、ハングル・日本語 |
学校法人瓜生(うりゅう)学園・京都芸術大学高原校舎の脇に、「尹東柱留魂の碑(ゆん-どんじゅ-りゅうこん-の-ひ)」が立てられている。 この地に、かつて近代の朝鮮人詩人・尹東柱のアパートがあったという。 ◆歴史年表 近代、1942年、10月、尹東柱は、同志社大学英文科選科に入学した。この地の「武田アパート」(左京区田中高原町)から同大学に通学していた。 1943年、7月、在学中に東柱は、朝鮮独立運動の嫌疑で下鴨警察署に逮捕された。 現代、2006年、3月、京都芸術大学創設者・徳山詳直(とくやま-しょうちょく)により碑が立てられた。 ◆尹 東柱 近代の朝鮮人詩人・尹 東柱(ユン-ドンジュ/イン-トウチュウ/Yun Tongju、1917-1945)。男性。幼名は海煥(ヘファン)。満州(中華民国東北部)北間島(ブッカンド、現・中国吉林省)明東(ミョンドン)学村の生まれ。父・明東校教員・尹永錫(ユン-ヨンスク)、母・金龍(キム-リョン)の長男。祖父・尹夏鉉(ユン-ハヒョン、キリスト教の長老)。キリスト教長老教会で従兄弟・宋夢奎(ソン-モンギュ)とともに幼児洗礼を受けた。1925年、明東小学校に入学する。1931年、大拉(デナブ)の中国人小学校に転入学する。1932年、一家は龍井(ヨンジョン)に移り、東柱はプロテスタント系・恩真(ウンジン)中学校に入学した。1934年、詩作を始める。1935年、平壌(ピョンヤン)のミッション系・崇実(スンシル)中学校に編入した。1936年、崇実中学交が神社参拝拒否問題で廃校処分になったため退学する。故郷の日本人経営の光明(クワンミョン)学園中学部に編入する。詩人・鄭芝溶(チョン-ジヨン)の詩を耽読した。1937年、進学問題で医科を望む父と対立する。1938年、光明学園中学部を卒業し、京城(キョンソンブ、ソウル)の延禧(ヨンヒ/ヨニ)専門学校文科(現・延世[ヨンセ]大学)に入学する。1939年、詩・童謡を発表した。この頃、キリスト教の信仰に根本的な疑いを抱く。1941年、文友会雑誌「文友」に詩『新しい道』などが掲載される。自選詩集『空と風と星と詩』の出版は、ハングル使用が禁じられていたため果たせなかった。戦時下により延禧専門学校文科を繰り上げ卒業する。向学のため渡日を決意し、やむなく一家で「平沼(ひらぬま)」と創氏改名し、「東柱(とんちゅう)」とした。1942年、キェルケゴールを耽読する。3月、来日し、4月、東京・立教大学文学部英文科に入学する。中退し、夏休みに一時帰国後、10月、再来日し、同志社大学文学部文化学科英語英文学専攻に転入学する。武田アパート(左京区田中高原町)に住み通学した。1943年、7月、同志社大学在学中にハングルで詩を書く。戦時下の皇民化政策により、ハングル使用は危険視されていた。夢奎は京都下鴨警察署の特高課内鮮係刑事により、朝鮮独立運動の嫌疑で逮捕される。同月、東柱も同署に同容疑で逮捕・勾留された。蔵書・日記なども多数押収された。12月、2人とも送検される。1944年、3月、京都地方裁判所で改訂治安維持法違反の罪で、懲役2年の判決を受けた。2人は思想犯として福岡刑務所に送られ投獄される。1945年、2月16日明け方、東柱は獄死した。最期に何か大声で一言叫んだという。死因は不明。27歳。 同年、3月6日、東柱は龍井の東山(トンサン)教会墓地に埋葬された。3月10日、夢奎も獄死している。 東柱は寡黙で内省的で、いつも微笑み、スポーツを好んだという。遺稿詩集『空と風と星と詩』(1948)、『星かぞえる夜』(1941)、『十字架』(1941)など。現在、韓国では中高校の教科書に東柱の詩が必ず掲載されている。2025年2月16日、同志社大学は、名誉文化博士の学位を贈った。 ◆宋 夢奎 近現代の朝鮮人学生・宋 夢奎(ソン-モンギュ、1917-1945)。男性。北間島(ブッカンド)明東(ミョンドン)村の生まれ。父・宋昌義(ソン-チャンイ)、母・信永(ユン-シニョン)の長男。尹東柱(ユン-ドンジュ)の従兄弟(父の妹の子)。幼児洗礼を受けた。1932年、龍井(ヨンジョン)のプロテスタント系・恩真(ウンジン)中学校に入学した。1935年、家出し、南京の金九(キムグ)のもとで独立団体に加わる。特高警察の「要視察人」として監視下に置かれる。1936年、龍井に帰る。雄基(ウンギ)警察署に4カ月にわたり拘禁された。1938年、京城(キョンソンブ、ソウル)の延禧(ヨンヒ/ヨニ)専門学校文科(現・延世[ヨンセ]大学)に入学した。1941年、在学中に「文友会」の文芸部長になり、雑誌「文友」を発刊した。自詩『空とともに』を掲載する。戦時のため延禧専門学校文科を繰り上げ卒業する。渡日するため、やむなく一家で「宋村(そうむら)」と創氏改名し、「夢奎(むけい)」と名乗る。1942年、4月、京都帝国大学西洋史学科に入学した。下宿は左京区北白川東平井町にあり、東柱の住んでいた「武田アパート」(左京区田中高原町)から徒歩5分の所にあった。その後、武田アパートに移る。1943年、7月、下鴨警察署の特高課内鮮係刑事に独立運動の容疑で逮捕された。1944年、4月、改訂治安維持法違反の罪で懲役2年の判決を受ける。福岡刑務所に投獄される。3月10日、獄死した。死因は不明。27歳。 東柱とは仲が良かった。優等生で積極的、活動的であり、いくつか小説も書いていたという。 ◆徳山 詳直 近現代の実業家・教育家・徳山 詳直(とくやま-しょうちょく、1930-2014)。男性。島根県隠岐島の生まれ。父・清。境中学に入る。学徒動員で肺結核の診断を受け隠岐で静養した。この頃、賀川豊彦と知り合う。1945年、京都・大谷中学(後に大谷高校)に転向した。新島襄に感銘し、1948年、同志社外事専門学校に入学する。1950年、同志社大学法学部政治学科に編入する。日本共産党に入党し、朝鮮戦争反対の政治活動により拘留された。母から差し入れられた著・奈良本辰也の『吉田松陰』に感銘し、以後、松陰、岡倉天心に傾倒した。その後も含め、7回逮捕・拘留される。1953年、中国に入る。1953年-1954年頃、農民運動を行う。その後、政治活動から離れ、1957年頃-1963年頃、岩倉で牧場を営む。1966年、国際会議場建設に伴い、土地・家畜を売却して資金を得る。1977年、瓜生山で京都芸術短期大学(京都芸術大学の前身)を創立した。1991年、京都造形芸術大学、1992年、山形県・山形市と提携し、縄文の地に東北芸術工科大学(山形市)を設立した。1993年、財団法人日本文化藝術財団(東京都)を創設する。1998年、芸術大学初の通信教育課程を設置する。2005年-2020年、幼児保育機関「こども芸術大学(2019年より認可保育園「こども芸術大学」)を創設した。2006年、東アジア芸術文化研究所を開設した。2010年、芸術の生涯学習機関「東京藝術学舎」(東京都)を開設している。著『藝術立国』。84歳。 吉田松陰を思想的な礎とし、「昭和の松下村塾」を創るために芸術教育による「藝術立国」を目指した。 ◆2つの下宿 近代、1942年4月に、尹東柱は、東京の立教大学文学部英文科に入学する。一時帰国後、同年10月に京都に移り、同志社大学英文科選科に転学した。武田アパート(左京区田中高原町27番地)に住み通学した。アパートの登記簿には、1942年1月受付、木骨造、瓦葺、2階建共同住宅、37坪7合、内2階36坪1合とあった。1942年2月に更生登記されている。東柱は新築後まもなくのアパートに下宿したとみられている。 1942年4月に、従兄弟・宋夢奎は京都帝国大学西洋史学科に入学した。下宿先は左京区北白川東平井町60/6番地?とされる。場所については特定されていない。東柱の住んでいた武田アパートの南東になり、徒歩5分の所にあった。その後、夢奎は武田アパート2階に移ったともいう。 1943年7月10日に、夢奎は独立運動の容疑で下鴨警察署に逮捕されている。7月14日に、東柱も同容疑で武田アパートから下鴨警察署に連行された。1944年3月に、東柱は京都地方裁判所で改訂治安維持法違反の罪で懲役2年の判決を受けた。1944年4月、宋夢も同様の容疑・判決を受けた。 2人は福岡刑務所に投獄される。1945年2月16日に、東柱は獄死している。同年3月10日に、夢奎も獄死した。2人とも27歳だった。 ◆碑 碑は、現代、2006年3月8日に、京都芸術大学創立者・徳山詳直により立てられた。2006年6月23日に副碑が立てられている。 副碑にアパートは、「彼(尹東柱)の詩作の砦であった」と記されている。作・尹東柱の「序詩」(1941)が、ハングル・日本語(訳・伊吹郷)で刻まれている。 死ぬ日まで空を仰ぎ 一点の恥辱(はじ)なきことを、 葉あいにそよぐ風にも わたしは心痛んだ。 星をうたう心で 生きとし生けるものをいとおしまねば そしてわたしに与えられた道を 歩みゆかねば。 今宵も星が風に吹き晒される。 ◆年間行事 2月16日(追悼献花式)。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊年間行事(拝観)は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。 ❊参考文献・資料 副碑文、『同志社人脈』、『新編 同志社の思想家たち 下巻』、『尹東柱詩集-空と風と星と詩』、ウェブサイト「立教大学図書館」、ウェブサイト「尹東柱 と尹一柱-詩に現れた兄弟の思い」、『星うたう詩人』、『同志社と韓国人留学生』、『闇より黒い光のうたを』、『尹東柱 青春の詩人』、ウェブサイト「京都芸術大学」、、ウェブサイト「瓜生通信2021.03.03京都芸術大学広報課」、『藝術立国』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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