平安宮 朝堂院 昌福堂跡 (京都市上京区)  
Ruins of Heiankyu-Shofukudo(Government office)
平安宮 朝堂院 昌福堂跡 平安宮 朝堂院 昌福堂跡
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「源氏物語ゆかりの地」の説明板


朝堂院復元図、現在地は赤い点部分、下に応天門・朝集堂、会昌門・朝堂、龍尾壇の上に太極殿、「源氏物語ゆかりの地」の説明板より


出土した基壇石(凝灰岩の延石)、京都市埋蔵文化財研究所、「源氏物語ゆかりの地」の説明板より


『源氏物語』・「少女」、ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター
 千本通丸太町下ル東入ルに、「平安宮 朝堂院 昌福堂跡(ちょうどういん-しょうふくどう-あと)」の説明板が設置されている。
 平安時代、この地には平安宮朝堂院の一つである昌福堂があり、最も格式の高い建物とされた。
◆歴史年表 平安時代、796年、朝堂院全体が完成する。
 1177年、朝堂院は焼失し、その後は廃絶した。
 現代、2007年、6月、京都市埋蔵文化財研究所により、敷地内での発掘調査が行われた。昌福堂基壇北縁の延石が出土する。
 2008年、3月、京都市は「源氏物語ゆかりの地」を設置した。
◆朝堂院・昌福堂 朝堂院は八省院とも呼ばれた。国家の政治、儀式を執り行う中枢の場であり、現在の国会議事堂に相当する施設だった。平安時代前期、795年に正殿の大極殿、796年に朝堂院全体は完成する。その後、数度の火災で焼失し、再建された。平安時代後期、1177年の火災で焼失し、その後は廃絶した。
 昌福堂は平安宮朝堂院の一二堂の一つだった。東第一堂とも呼ばれる。東側北端の最上位に位置した。平安時代の施行規則である『延喜式』によると、太政大臣、左大臣、右大臣の座が設けられ、十二堂の中で最も格式の高い建物だったという。東、西各3カ所に階段が付けられていた。
 7間2間の南北棟。
◆発掘調査  ◈2007年の民家敷地内(80㎡)での発掘調査で、昌福堂基壇北縁の凝灰岩の切石(長さ100㎝、幅34-38㎝、厚さ11-21㎝)4石分、東西3mが出土した。現在地は昌福堂北端になることが判明した。
 凝灰岩列は、壇上積基壇を構成する最下部の延石にあたる。石は、二上山周辺(大阪府・奈良府県境)で切り出され、再利用されていた。延石の南側には、基壇の盛土(高さ1m)が一部残っていた。
 大極殿と朝堂を区切る龍尾壇の位置について、昌福堂北端と龍尾壇の間は7丈3尺(21.9/22m)との記載がある。(陽明文庫本『宮城図』)。このため、龍尾壇の正確な位置が明らかになり、龍尾壇から大極殿南面までは20丈(60m)だったことも分かった。昌福堂基壇の規模も、南北10丈9尺(32.7/33m)、東西6丈(18m)と判明した。朝堂十二堂は左右対称であり、西第一堂である延休堂の位置、規模も明らかになった。
  ◈2011年の試掘調査により基壇西縁、西面階段痕跡とみられる落込みが見つかった。
 昌福堂基壇の凝灰岩延石は、現地保存されている。
◆源氏物語 『源氏物語』(「少女(おとめ)」)では、光源氏は33歳で太政大臣になった。儀式などの際には昌福堂に座したことになる。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 京都市の説明板「源氏物語ゆかりの地」、ウェブサイト「上京史蹟と文化 2008年vol35-京都市埋蔵文化財研究所」、『平安京を歩く』、『平安宮ガイド』、『京都市文化財ブックス28集 平安京』、ウェブサイト「源氏香の図-ROIS-DS人文学オープンデータ共同利用センター」、ウェブサイト「コトバンク」


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京都市内史跡地図 平安京オーバレイマップ・碑・発掘調
map 平安宮 朝堂院 昌福堂跡 〒602-8155 京都市上京区主税町(しゅぜい-ちょう)1168
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