勝福寺 (京都市上京区)  
Shofuku-ji Temple
勝福寺 勝福寺
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「親鸞上人 御草庵清水庵 真仏房平太郎御化導 之地」
 中立売通松屋町西入ル北側に、勝福寺(しょうふくじ)はある。山門脇に「親鸞上人 御草庵清水庵 真仏房平太郎御化導 之地」の石標が立てられている。親鸞が一時期住した旧跡の一つになる。
 浄土真宗本願寺派(西本願寺)、本尊は阿弥陀如来立像。
◆歴史年表 鎌倉時代、親鸞(1173-1263)は、夷川通西洞院泉町付近に「清水庵(しみず-あん)」を結んだ。「一條坊」とも呼ばれた。
 1236年、親鸞は弟子・信正に庵を譲る。以後、日野家の尼君が相続する。
 室町時代、1519年、本願寺9世・実如(じつにょ)は寺規を改め、善正(ぜんしょう)に寺を中興させた。当寺が親鸞の旧蹟であり、落葉の尊形(親鸞像)を保管せよとの書状を与える。  
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1593)、河原町四条北一丁目(中京区)に移る。
 江戸時代、1622年/元和年間(1615-1623)/安永年間(1722-1781)、現在地に移される。(『坊目誌』)
 1650年以降、勝福寺に改められた。
 1788年、天明の大火により類焼した。(『翁草』)。その後、再建される。
◆親鸞 平安時代後期-鎌倉時代中期の僧・親鸞(しんらん、1173-1263)。法名は綽空(しゃくくう)、善信、範宴、号は愚禿(ぐとく)、諡号は見真大師。日野の里、現在の法界寺、日野誕生院付近に生まれたという。父は藤原北家の流れをくむ、皇太后宮の中宮職(ちゅうぐうしき)、大進(だいしん、たいじょう)の日野有範、母は清和源氏、八幡太郎義家の孫娘・吉光女(きっこうにょ)という。幼くして両親を失う。1181年、叔父・日野範綱に連れられ、1181年、9歳で青蓮院・慈円のもとで出家得度し範宴(はんねん)と称した。以後、比叡山横川首楞厳院の堂僧として20年間修行を続けた。東塔無動寺谷の大乗院で修業する。1201年、29歳の時、比叡山を下り、六角堂に参籠、師・源空(法然)の導きにより、浄土教に帰依した。1204年、法然が定めた「七箇条制誡」弟子のひとりとして連署する。1205年、法然は『選択本願念仏集』の書写、法然肖像を描くことを許す。1207年、承元(じょうげん)の法難により、専修(せんじゅ)念仏停止(ちょうじ)にともない、35歳で越後に流罪になり、僧籍剥奪される。禿釈親鸞と自称する。1211年、赦免され、1214年、42歳で妻・恵信尼、子らとともに関東での布教を行った。晩年、1235年頃、恵信尼らと別れ、末娘・覚信尼と京都に戻る。1256年、長男・善鸞を義絶した。弟・尋有の善法坊で亡くなったという。浄土真宗の祖。90歳。
 浄土真宗の教義が体系化された6巻からなる『教行信証』(1224)などを著した。この年に立教開宗し、「非僧非俗」を宣言した。罪深い身である者は、阿弥陀仏の本願力を信じ、念仏を唱えることが基本であるとした。絶対他力の自然法爾、悪人こそが本願により救われるという悪人正機を唱えた。
 得度し、範宴と名乗るまで、日野に暮らしたという。その頃、父をはじめ4人の弟すべてが出家している。
◆真仏房 鎌倉時代前期の浄土真宗の僧・真仏房(しんぶつぼう、1195-1261)。詳細不明。俗名は北条平太郎(へいたろ)。常陸国(茨城県)大部郷の生まれ。親鸞の弟子だった。親鸞の形見の歯、親鸞自刻の木像「落葉の尊形(親鸞像)」を与えられたという。66歳。
◆善正 室町時代の浄土真宗の僧・善正(ぜんしょう、?-?)。詳細不明。一條坊善正。親鸞の弟子。1519年、清水庵(一條坊、後の勝福寺)を中興した。
◆仏像 ◈本尊の「阿弥陀如来立像」は、平安時代中期の天台宗の僧・源信(942-1017、恵心僧都)の作という。
 ◈落葉の尊形(親鸞像)」が安置されている。親鸞にまつわる逸話がある。
 親鸞がこの寺で教化していた際に、親鸞の歯が抜け落ちたという。親鸞は、「秋はつる 落葉は冬ぞ いざさらば 無量寿国の春ぞ なつかし」と詠んだ。四季の移ろいの中に自らの老いを重ねて詠んだ。
 弟子・真仏房平太郎(しんぶつぼう-へいたろう)は、歌に感銘を受けた。親鸞に、形見として抜けた歯を所望した。親鸞は願いを聞き入れ、自刻の木像「落葉の尊形(親鸞像)」とともに与えたという。
 室町時代、1519年に、本願寺9世・実如(じつにょ、1458-1525)は、中興させた善正に対し、「当寺が親鸞聖人の重要な旧蹟であり、落葉の尊形を子々孫々大事に保管せよ」との書状を与えたという。(『御生骨(ごしょうこつ)縁起』)。 
◆清水庵 当寺は「清水庵(しみずあん)」、「一條坊(いちじょうぼう)」と呼ばれた。
 浄土真宗の宗祖・親鸞は、布教のため関東で20年程を過ごし、1235年頃に京都に戻った。洛中を転々とし、1236年に一条付近にあった清水庵に居住したという。京都では主に「教行信証(顕浄土真実教行証文類)』6巻(1247年頃成立)を補筆し教化活動も行った。
◆文化財 『御生骨(ごしょうこつ)縁起』が伝えられている。
◆石標 石標の南面に<
「親鸞上人 御草庵清水庵 真仏房平太郎御化導 之地」とある。化導(けどう)とは、衆生を教化(きょうけ)して善に導くことの意味になる。
 東面に「旧綾小路中納言姓」とあり、西面に鎌倉時代、「嘉禎二(1236年)丙申年十月四日」、江戸時代、「宝暦三年(1753年)実如宗主御改」と刻まれている。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 「駒札-京都市」、ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、『京都市の地名』、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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