北来地蔵菩薩・来迎堂(新善光寺) (京都市下京区)  
Hokurai-jizobosatsu(stone statue)
北来地蔵菩薩
北来地蔵菩薩
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 堀川通松原上ル西側に、北来地蔵菩薩(ほくらい-じぞうぼさつ)が祀られている。
 北門前町(きたもんぜん-ちょう、松原通堀川西入ル南側)、来迎堂町(らいごうどう-ちょう、松原通堀川西入ル北側)の2町にまつわる地蔵菩薩像2体が安置されている。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 江戸時代、1788年、天明の大火で北門前町、来迎堂町の2町は罹災した。その後、2体の地蔵菩薩像が造立された。
 後、町内の古老の家で像は安置される。
 現代、1963年、堀川が第2疏水分線、小川の廃止により水源が絶たれ、3面コンクリート化、暗渠整備された。その後、現在の地蔵堂が建てられ像が安置された。
◆地蔵菩薩像 「北来地蔵菩薩像」は、北門前町が木彫立像、来迎堂町が木彫坐像で、いずれも江戸時代に造立されている。
 「北来」の名称は、近代、1940年より北門前町の「北」、来迎堂町の「来」の2文字をとって名付けられた。
◆来迎堂町 来迎堂町(松原通堀川西入ル北側)の町名は、平安時代後期、1109年にこの地に創建された来迎堂に由来する。号は新善光寺といい、町の北側にあったという。
 なお、平安時代後期の学者・政治家・三善清行(みよし-きよゆき、847-918)の旧地(五条堀川辺)(『今昔物語集』巻27)ともいう。(『京町鑑』)
 安土・桃山時代、文禄年間(1593-1596)に、寺は下寺町に移っている。
 江戸時代、1637年の洛中地図にすでに「来迎堂丁」の町名がある。
◆北門前町 北門前町(松原通堀川西入ル南側)の町名は、日蓮宗大本山・本圀寺の北門前に位置したことに由来する。江戸時代、1637年の洛中絵図には「町屋門前」とある。
 1672年、1705年、1786年の洛中地図には、「来迎堂町」とある。1762年には「本圀寺北門前」(『京町鑑』)、1831年には「北門前町」(『改正京町絵図細見大成』)とあり、江戸時代中期に来迎堂町から独立したとみられている。 
 

*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 京都市の駒札、『京都市の地名』


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map 北来地蔵菩薩 〒600-8355 京都市下京区来迎堂町727,堀川通松原上ル西側
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