新善光寺 (京都市下京区)
Shinzenko-ji Temple
新善光寺 新善光寺 
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「信濃善光寺分身如来」の石標


路地奥に山門はある。



 新善光寺(しんぜんこうじ)は、本塩竈町(もとしおがまちょう)にある。平安時代、この地には、源融(822-895)の邸宅である六条河原院が営まれていたという。庭園で塩焼をしたことから地名の由来になった。来迎堂(らいこうどう)とも号する。 
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。
 洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第47番札所、札所本尊は来迎地蔵。
◆歴史年表 飛鳥時代、603年、本尊の阿弥陀如来は当初、南都に安置されていたという。法相宗だった。(『山州名跡志』、寺伝)
 平安時代、1109年、堀川松原(五条松原堀河の西)の地に伽藍が再興される。南都より遷された阿弥陀如来像が安置された。以後、来迎堂新善光寺と呼ばれた。(『山州名跡志』)
 その後、僧・顕月が再興したという。(寺伝)
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失する。その後、寺地も転々とする。(寺伝)
 1569年、室町幕府第15代将軍・足利義昭は、寺地、寺領45万石を下付した。浄土宗に改宗する。(寺伝)
 安土・桃山時代、1591年、豊臣秀吉の命により現在地に移された。(寺伝)  
 江戸時代、寛文年間(1661-1673)、第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場のひとつになる。
 江戸時代、幕府より御朱印寺領45石9斗4升を受けた。(「京都御役所向大概覚書」)。天下泰平、国民安全の御祈祷所として栄える。
 1788年、天明の大火で焼失した。
 1864年、元治の大火で類焼する。
 その後、現在の建物が再建された。
◆本尊  本尊の「阿弥陀如来像」は脇侍に勢至観音を安置する。
 伝承がある。飛鳥時代、第32代・崇峻天皇(在位587-592)の時、信濃の善光寺の創建者である本田(本多)善光の子・義助が、善光寺の本尊・阿弥陀如来像を模して造仏しようと誓願した。本尊の示現があり、百済・斉明王よりの閻浮檀金(えんぶだごん、閻浮堤の河中に産する砂金)を得て帰国した。善光寺堂前で加護祈願すると、三尊(一光三尊阿弥陀仏)の分身が空中に現れたという。603年、本尊の阿弥陀如来は当初、南都に安置されたという。厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子、574-622)によるともいう。
 平安時代、1109年、堀川松原(五条松原堀河の西)の地に伽藍が再興され、南都より遷された阿弥陀如来像が当寺に本尊として安置されたという。(「山州名跡志」)


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『京都 歴史案内』『旧版 京のお地蔵さん』


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 新善光寺 〒600-8119 京都市下京区本塩竈町553,富小路通五条下る  075-351-8160
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